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370:二つを一つに

(ここは……わたくしは一体何を……体が凍えるように冷たい。けれど心が温かいわ……この感覚は……)


 意識が朦朧(もうろう)としつつも、次第に覚醒する。目覚めればそこに、愛しい男が自分の唇から離れていく瞬間だった。

 あたたかくも寂しい感覚を残念に思うも、いまだ覚醒しきれない自分の感覚が歯がゆい。

 何度もしてくれた髪を優しくすくのを感じつつ、とても幸福な気持ちになる。が……。


(そうでしたわね……もう千石とはお別なのね……)


 目は開かないが、聴覚は回復し、徐々にだが体中に力が戻ってくる。しかし口も開かなれければ、指すら動かせない。

 そんなイルミスが意識が目覚めた頃、千石はアリスへと語りかける。


「アリスよくやってくれた。お前の眷属なんて、高級なものにしてくれて感謝するぜ?」

「馬鹿者……おまえなら、いつでも眷属にしてやったものを……」

「やめとくぜ。俺は人として、おっ死ぬんだって決めてるからなぁ」

「それで今死んだら間抜けじゃな」

「あぁ間抜けだ。俺の親父殿も間抜けに裏切られて死んだ。どうやら親子揃ってその血は濃く受け継いだようだぜ」

「自分の親をそう悪く言うものではない。それにその刀、『備前長船』を振るう時、おまえが父を心底尊敬しているとよくわかる」


 千石はよろめきながら玉座へと戻り、豪奢(ごうしゃ)な椅子に立てかけてあった備前長船を手に取る。

 それがもう抜刀する事は無いだろうと思うと、千石は寂しそうな表情で、持ち手である柄を撫でる。


「はは。常闇の王ともなると、人の心まで分かるもんかい?」

「馬鹿者。そういう話では無いわ」


 アリスはそう言うと、千石へ真面目な顔で睨むように話す。


「先にお前が言っていたことじゃが……。あれは本当の事かえ?」

「あぁそうか。お前はいなかったから分からないか。あれは俺がこの戦いに赴く前の事だったか」


 千石はますます顔色を、土気色に染め上げたまま続きを話す。

 

「俺がここに一人でいた時のことだ。いきなり世界が止まった。そう、文字通りな」

「なぜそう思ったのじゃ?」

「簡単な事だ。丁度ぶどう酒を呑んでいた時、ボトルからグラスへとついでいた。そのぶどう酒が空中で止まったからだ」

「なんと……」

「さすがのお前も驚いたか? それで、だ。回りを見渡すと、なにも動いていない。窓の外を見れば、激しく降っていた雨も止まっていたワケだ」

「その時現れたのじゃな、その『時空神』と言う存在が?」

「ああ、そして俺に言った。このあと俺は死ぬ。だが俺の子孫が不完全に継承した、鍵鈴の印をもって異世界へと来るとな」

「じゃからこそ、あたくしがココに居たのかもしれぬな……」

「あの時は、そんな神の予言なんざ打ち払ってやると思ったが……。今はそんな気がしてならねぇ。アリス、お前と出会ったのも神の導きかもしれねぇ」


 アリスは二度頷くと、イルミスを見つめた。そして何かを言おうと口を開くが、首を三度よこに振り、千石へと向きなおる。


「イルミスがこうなるのも予測済みかえ?」

「まぁな。本当にひどい男だよ俺は。あいつの純粋な気持ちを知りつつ、永遠の従者にしちまったんだからな」

「じゃがな千石。それは今に始まったことじゃない、以前から――」


 千石はかぶせるように優しく話す。


「――分かっているさね。だからこそイルミスには、俺の魂をここに来る馬鹿野郎な子孫へと、分けてやる大役を任せるのさ」

「そうか……そうじゃったな。では最後の儀式を始めるとしよう……魂魄分離の術を」


 アリスは千石が座る玉座へと向かうと、その額へと右手をそえる。

 瞬間、玉座を起点に青い魔法陣が出現し、千石とアリスを青白い光が包む。

 呪文を重ねるアリス。やがて千石の体から薄い影が抜け出たかと思うと、アリスの右手に一筋の血液として集まりだす。

 やがてスライムのような赤いソレは、赤い玉となって浮遊する。


「へぇ、そいつが俺の魂の一部かい?」

「そうじゃ。これが千石の魂のかけらじゃな」

「なら頼む……そろそろ時間切れのようだ……」


 アリスは無言で頷くと、イルミスの元へと進む。

 意識は覚醒しているイルミスは、その後なにが起きるかは予想がついた。なぜなら――。


(待って! まさか、わたくしを千石の依代に……。そう、そうなのね。あの時、神が言った事。『二つを一つ』と言う意味は)


 千石は備前長船を片手に持つと、イルミスの側へと歩く。その足取りは最後の時を刻むように、静かだがしっかりとしたものであった。

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