369:常闇の王
その娘は千石の姿を見て唇を噛み、そこから血が滴り落ちる。その姿は心底くやしそうで、自分の無力さを嘆いているのが、ありありと伝わった。
「なんじゃ……あたくしに何か用かえ?」
「悪りぃねぇ。お前の力でイルミスを、眷属にしてやっちゃ~くんねぇかい?」
「…………千石がそれでよいと言うのなら、あたくしは是非もない。じゃがよいのかイルミス。二度と人としての生は望めぬぞえ?」
「ええ、いいですわ。異世界の娘に惨敗し、このまま何の証もなく朽ちるくらいなら、喜んで貴女の眷属になりますわ」
「わかった、なら今すぐ執り行うとしよう。あまり時間もないようじゃしな……」
少女は千石を睨むように見つめ、そこから一筋の涙を落とす。それを見た千石は苦笑いしながら、その少女「アリス」の頬をつたわる涙を指で拭う。
「アリス。おめぇのせいじゃねーって、何度も言ってるだろう? この呪いを跳ね除けられなかった、俺の未熟さゆえの事よ。だから、んな顔すんなって。なぁ? おめぇのそんな顔見てたら、死にきれねぇから化けて出て来ちまう」
「フン。それは結構な事じゃ! 化けて……出てきて……グスッ……ずっと、あたくしの側にいるがよいわ!!」
「おーおー。流石『常闇の王』は言うことがおっかねぇな。本当にそうなりそうで怖ぇぜ」
「馬鹿も休み休み言えと、いつも言っておるじゃろうが……こんな時まで……くッ」
アリスは黒いドレスを翻し、イルミスへと向き直る。それは夜を纏うような漆黒の美しいドレスだったが、どこか普通と違う。
「イルミス。これから、あたくしがお前のマスターとなる。そして、千石もあたくしと同等の権限を持つための儀式を行う」
「ええよろしくてよ。今日から貴女のモノになりましょう。そして千石のモノにもなれる」
「まったく酔狂だねぇ。そこまでして俺のモノになりたいのか? もう死ぬつーのに」
「馬鹿ね。その一瞬でも貴方のモノになりたいのよ。それだけで、これから先の永遠とも言える生を、貴方と共に生きられるわ」
「馬鹿だねぇ……」
「いいのよ。もう友人関係なんてゴメンなの。わたくしの心は乾ききってるわ。これ以上は我慢できない、今すぐ貴方のモノになりたい」
「本当に馬鹿だねぇ……」
千石はイルミスの手間、一メートルに来る。そしてアリスへと視線を向け頷くように話す。
「さぁやってくれアリス」
「うむ。――汝、イルミス。我の眷属となり、そして我と同等の権限を持つ男。古廻千石の従者になれり!」
「ええ、全て受け入れるわ」
アリスは頷くと、風もないのに黒いドレスを揺らし、ふわりと浮き上がる。
瞬間、アリスを起点とし、真紅の魔法陣が三人を囲む。そこから伸びる赤い鎖にイルミスは四肢を固定される。
「え~っとこうだったか? 汝、イルミスの血、肉体、魂の一片まで古廻千石のモノとする。これより先、未来永劫俺の眷属として生きよ」
千石がそう言うと、その右手より赤い鎖がゆっくりと這い出し、イルミスの首に巻き付く。
イルミスは一瞬苦しそうな表情になるが、そのまま儀式は続く。
「さぁ開け、隠された魂の箱よ。我にその姿を見せ、その権限を譲渡せよ」
アリスがそう言うと、イルミスの胸が〝バクリ〟と割れ、中から心臓が出てくる。
だが不思議と血は吹き出ておらず、心臓のみが規則正しく鼓動をうつ。
痛みは無いが、その光景にイルミスはめまいがした。が、それでも意識をしっかりと持ち、先の儀式にそなえる。
「魂と血を捧げ、我の一部となれ! 魂魄反転!! スィヴ・フォグドマグ!!」
飛び出した心臓が激しく鼓動をうつ、そして――破裂!!
粉々になった心臓が飛び散った刹那、アリスは右手を力強く握りしめる。
するとアリスの黒いドレスから、無数のコウモリが出現し、飛び散った心臓を集めだす。
それが空中に集まりだし、一つの塊となる。それはやがて漆黒の心臓となり、黒く光を放つ。
「千石、その心臓に盟約の証を刻むのじゃ」
千石は頷くと、黒く変色した脈打たない心臓へ近づくと、自分の唇をかみ血を滴らせた。
その血を右親指で拭い、黒い心臓へと押し付ける。すると活動を停止していた心臓が、次第に脈打ちはじめ、心臓に赤い鎖が絡みつく。
「アアアアアアアッ!!」
イルミスは絶叫する。いいようのない苦痛と快楽。それが同時に無いはずの心臓の位置から、体中を駆け巡る。
「事は成った!! これよりその魂を我ら二人のものとする。常闇の王の名において命ずる! 閉じよ、常闇の箱! 光が届かぬ深淵へと堕ちよ!!」
「アアアアアアアアアッ――――ァァァ…………」
イルミスを拘束する真紅の鎖は、ますます輝く。やがてその輝きが眩しいほど光ると、鎖は弾け飛び、それと同時に魔法陣も消え去る。
消え去った魔法陣。イルミスも同時に意識を失う。
「これで良かったのかイルミス……ったく仕方ねぇやつだ」
千石は気絶しているイルミスを静かに抱き起こす。そして、そっとその唇にキスをすると、優しく髪を撫でるのだった。




