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192:どんよりと浮かぶ女

 江戸時代の街並みを堪能した流と美琴は、刀照宮家へと戻る。

 屋敷へ戻るとすでに閑散としており、実に寂し気だった。

 門を潜り母屋へと向かうと、侍女がやって来て静音の下へと案内された。


「お帰りなさいまし流様。美琴ちゃんは?」

「ただいま戻りました。あれ? さっきまでいたはずですが……」

「そうですか……。ではお約束のこちら、悲恋美琴をお受け取りください。直接触れるなと主人より言われていますので、このまま失礼を」


 静音は陰陽術の封印が施された布越しに悲恋美琴を持つと、流へと静かに差し出す。

 その表情は苦し気で、額には脂汗が流れていた。


「確かに受け取りました」

「……本当に流様は問題なく持てるのですね。私共ではこの布が無いと命の危機さえあるかと」

「ええ、私も違う世界で美琴……悲恋美琴を敵に触られそうになった事がありましたが、そいつは恐怖に支配され絶命しましたね」

「そこまでの物でしたか……。我が娘ながら恐ろしい妖刀を創造したものですね」

「私にはとても優しいのですがね」

「ふふふ。あの子も面食いですからね」

「はぁ、そう言う物ですか」

「ええ」


 その後、美琴の昔話を聞きながらお茶を飲み、夕餉(ゆうげ)の支度が整うまで離れへと戻る事にする。

 夕暮れに離れに入り、ひぐらしが鳴く声が庭木に染みるのをじっと聞きながら、池の赤が多めの錦鯉達を丸窓から見つめる。

 辺りが茜色に染まる頃、流は腹が減って来たのを感じこの後の事を思い出す。


「今日の夕餉は何だろうなぁ。やっぱり魚料理とかなのかな?」

「多分魚料理がメインですよ」

「なんだ、やっぱりいたのか」

「……ちょっと考えたい事があったので、一人になりたかったのです」


 寂しげな表情の美琴を見ながら、流は気になる事を聞く。


「なぁ美琴、お前は昔の事はどの程度覚えているんだ?」

「そうですね、刀鍛冶の事は不本意ながらも全て覚えています。全体的なものは最後の辺りの記憶以外は、ぼんやりと覚えている程度でしょうか」

「そっか」


 流は白鞘に収まっている悲恋美琴を抜く。それをまじまじと見つめ、美琴に問いかける。


「なぁ美琴。この悲恋美琴だが、俺が未来で使ってるお前と違って恐ろしく淀んでるな……。まるで底なしの井戸を見ているかのようだ」

「そう、ですね。今はまだ私の心が怨念めいているでしょうから」

「そうか……やはりこの悲恋美琴の中にも別のお前がいるんだな」

「ええ、でも自分が誰かも分かっていないと言うより、存在が悲恋と溶け合ってますので、意思はまだ取り戻していませんね。私を『思い出す』まで、随分と時間がかかりましたね。ハァ~、いくら酷い事をされかと言って、ここまで世を恨むなんて……自分でも今見ると恐ろしいです」


 人は黒歴史と言う物があるものだが、美琴が言うと実感が凄い。目の前に現物があるだけに。

 

「恐ろしいってお前なぁ。幽霊が恐ろしがるなよ、しかも自分を」

「あぅぅ。で、でも怖い物は怖いんです! ほら、この辺りに顔が浮かんでいる……ひぃ」

「ほんとだ……。不気味すぎる……」

「不気味って言わないでください、酷いです!」

「酷いのはお前だよ! はぁ。まったく面倒な娘だよ」

「あうぅ」


 ふと、今の悲恋美琴に足りないものを思い出し、流は美琴へと問う。


「そう言えば天女ちゃんがいないぞ?」

「あぁ~、彼女は私が各地を彷徨っている時に会って、お友達になったんですよ。あれは虹がよくかかる、綺麗な浜辺に私が突き刺さっていた時の事でしたねぇ」

「さまようって……そ、そうか。お前にも色々あったんだな」

「ふふ、長生きですからね」

「生きてるのかよ……」


 そんなやり取りをしながら美琴の過去の話を聞き、やがて本題へと入る。


「なぁ美琴。このままここにずっと、ここへいる訳にもいかないのは分かるな?」

「……はい」

「俺もここまで来てしまった以上、戻るには本当の意味でお前を手に入れにゃならん」

「で、でも! ここで一緒に暮らして――」


 流は美琴の言葉を遮り現実を告げる。


「分かっているんだろう? ここにいたら異世界の俺の体がどのみち完全に死ぬ。そしてここに俺がいれるのは、時空神・万世の帝がその権能で『庭の時空石』に道しるべを作り、『(ことわり)』が魂だけ時を超えて来れるようにしてくれたおかげだ。そしてそれは長くは持たない」

「…………はい」

「そしてそれはお前も同じだ。万世の帝が俺に残してくれた情報から考えると、俺もお前も残り十日持つかどうかだ。俺の魂はこの過去世界から消え失せその後どうなるかは不明だが、お前の場合は同時軸に二つの魂があると言う、異常な状態に耐え切れなくなり……消滅する」


 美琴はそれに答えず涙を浮かべ〝こくり〟と頷く。そしてこう続ける。


「覚悟……はしていました。でも、私を手に入れると言う事は……流様もその……」

「だから言っているだろう? ここに来た時点ですでに覚悟は決まっていると」

「そんな簡単に言って! 失敗したら死んじゃうんですよ!?」

「はっはっは! それがどーした! このままならどの道死ぬような未来だろ? 今更だ」

「うぅぅ。そう言う言い方はズルイです……。少しだけ、時間をください」

「ああ、分かったよ美琴。お前の好きにするといいさ」


 そう流が告げると、美琴は立ち上がり背中を向ける。


「私は……貴方の物でありたいと、今も強く願っています」


 くるりと美琴は振り返ると、寂し気に微笑みながら消えて行った。

 その消えてしまった空間をぼんやりと眺めながら、流は独り言ちる。


「俺もお前だけだぜ、美琴」

 

 丸窓からしばらく庭を眺めた後、離れから出るのだった。

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