3-13 灰色の男と古の森に潜むモノ hide and seek
3章ようやく折り返しです。
マッドチャリオットと別れること2日。俺は一人で森の中に入り、周辺の調査を続けていた。この2日間でわかったことがいくつかある。
まずは森の状態から、森の入口にほど近い背の高い木に登って上から見て確認したところ、『長老樹』と呼ばれている樹を中心に森が円周上に広がっていること。木の配置は1本1本かなりの間隔があって、おそらくだけど力の強い木のみが生き残って、弱い木は淘汰されていっているのだと思う。森の中の地面の状態は、ぬかるみなどなくしっかりとしており、歩く分には比較的問題なさそうなことがわかった。
リリから聞いた話だと、リリが住んでいたところから大樹様までリリの脚で丸2日の距離があること。森のどのあたりに住んでいたかわからないから、おそらく森の入口から『長老樹』まで、少なくとも倍の5日間の距離があることを想定しなければならないな。
次に危険度の把握。ここ2日くらい探索したが、森の外周部には夜間になっても俺の脅威となり得る生物はいなかった。見かけたのは小さいトカゲとか蜘蛛とかそういった通常の森にすむ小動物ばかりだった。マーキングやフンなど大型の動物がいた痕跡も見つからなかった。だが、これはあまりにも生態系として不自然なため注意が必要だ。森の内部に行った時にはどうなるかはわからない、油断は禁物だが、少なくともリリが住んでいた辺りまで進むのは問題なさそうだ。
リリから聞いた話だと、リリの父親は森の中で狩りをして生活していたらしいからな。それなりの獲物を見かけないのはおかしい話だ。また、犬や狼といった類の痕跡もなかったから、割と森の奥のほうで生活していたのかもしれない。大樹様を守る一族だとか言っていたからな。そうなのかもしれない。
次に食糧事情。これについては何も問題はなさそうだった。自生する果実や木の実が豊富に確認できた。道中はこの辺を収集しながら進めばいいだろう。まぁ食べるものに困ったら固形栄養食もまだまだあるしな。水分のとれそうな果実をメインに探していこう。
リリから聞いた話だと、リリとリリの母親とで食べられる木の実や野草を取っていたらしいから、森の奥にも同じように自生しているはずだ。果実は割と木の上のほうに生っていたから、リリたちには木に登って取るといったことができなかったのかもしれない。まぁ、環境的に肉食傾向が強かっただけの気もするけど、リリのあのリンゴへの食いつきっぷりを見ると謎は深まるばかりだ。
以上の要点を踏まえて、注意深く、森の内部へ進んでいこうと思う。
そうして、進むこと3日が経った朝。俺はいつものように木の上で目覚めた。寝ていて、長時間同じ体勢で固まっていたから、身体の節々がちょっと痛い。欠伸と伸びをするとゴキゴキと骨が鳴った。
「ふああ、今日は3時間くらい寝れたかな。軽く食事をとって、今日も頑張って進みますか。しかし、なんの手掛かりもないのはつらいなぁ。このままじゃ、あと数日もしたら『長老樹』に着いちまうな。まぁ、着いたら着いた『長老樹』を調べて戻ればいいか」
地上に外敵のいる可能性がある森での休息は、木の上で取るのが基本だ。その森にある木の性質にもよるけど、ここの木は頑丈で、太い枝には俺一人が乗ってもビクともしない。よって、太めの枝に跨り、腰のベルトと枝を落下防止用のロープでつなぐと安全に休息ができるわけだ。もちろん、木の上だからといって完全に安全なわけじゃないから、熟睡なんてできない。半覚醒状態でウトウトするだけだが、それでも寝ないよりは遥かに体力回復ができるわけだ。
今日も固形栄養食と木になっていた果実を食べる。ここの森の果実は水分補給もできて便利だな。生っている場所が背の高い木の上だから取るのが面倒くさいのが玉に瑕だが。さて、今日も一日探索を頑張りますか。
いつものように森の中を『長老樹』に向けて歩いているとき、『それ』は突然現れた。
本当に突然だった。見つける直前まで気配も何もなく、目の前たった20メートルほどの位置に、俺が瞬きした次の瞬間に、いつの間にか、『それ』はそこに居た。
まるで、森の葉の緑色に擬態するかのように、獲物を待ち伏せた狩人のように、物音の1つも立てず、呼吸の1つも気取らせず、凪の湖面の如く静謐に、『それ』はそこに居た。
モスグリーンの毛色の、目算推定5メートルほどの、巨大な『獣』。気配の消し方だけでわかる、わからざるを得ない、高い知能と圧倒的な身体能力。その獣の姿を一目見た瞬間に、俺の背中に嫌な汗が溢れた。
これはまずいと思い、こちらも気配をできる限り消し、静かにゆっくりと身体を低く屈めたときに、その『獣』とふと目が合った。現実の時間にして、わずか1秒も経っていないだろうか。だけど、俺の体感時間は恐ろしいほどに永かった。
お互いの緊張が解けたと思った瞬間には、俺の身体は、自分の意思に反して、高速でその場を離れていた。俺が全く知覚出来なかった。そして、理解も全く出来なかった。
俺の身体は後方に、高速で、吹き飛んでいたのだ。遅れて腹部に激痛が走る。
「ごはっ、くそっ」
吹き飛びながら悪態をつきたくもなる。この腹部の痛覚からすると、肋骨辺りの骨が折れたか、ひびくらいは入ってそうだ。くそっ、この状態じゃ、ろくに逃げることもできやしない。無理に動けば内臓が傷つく、内臓が傷つけばそのうち吐血もするだろう。もし吐血すれば呼吸にも障害が出る。そんな圧倒的不利なコンディションで、野生の獣相手に、それも俺が全く動きを知覚もできなかった相手に逃げ切れるわけがない。
くそっ、なんだ、この理不尽さは。慢心していたわけではない。けして油断もしていなかった。前もって準備も十分にした。周囲の危険感知ももちろんしていた。それでも、それでも、この様か。くそが。
だが、それでも、現実が例え、無慈悲だとしても、屋敷のみんなに無事に帰ると約束した以上は、決して諦めるわけには、生きることを諦めてやるわけにはいかない。俺には、帰りを待ってくれている家族がいるのだから。
地面に投げ出されて自由が戻った瞬間に、身体に走る激痛を無視して起き上がった。微かにわかるヤツの気配を探ると、どうやら俺が立っていた位置から動いていないようだった。今のうちに少しでも距離を稼がないと、ヤツの気配と反対側に全力で走り出した。
「きさま、匂うな。その匂い、私が間違えるはずがない。もしや」
しかし、走り出して僅か数秒後、怒号と同時に背中に衝撃を感じたと思った次の瞬間には、俺の身体の自由は奪われていた。何をされたか、俺にはまったくわからなかった。気づいた時には目の前に地面があった。ヤツに地面に押しつぶされたのかっ!と理解した時には、再び身体に激痛が走って、意識をそっちに持っていかれた。同時に視界が霞かかったように薄れていく。
…ごめん、リリ、約束守れないかもし
最期の最期に、リリの不安そうな顔が思い浮かんだところで、俺の意識は、途切れた。




