朱に交われば赤にもなれる
うぼああああああ!
厳しい冬を越え、ようやく芽吹きの春を迎えようとしていた陽光の穏やかなある日のこと。
5人は座れそうな大きくゆったりとしたソファにユーリウスの膝枕というオプションをつけて寝転がり読書をしていた苺花は、すでに幾度となく耳にし聞き飽きたレベルのサウンドエフェクトに対し不快そうに片眉を上げた。
「はぁーん。まぁた、不法侵入者ぁー?
ゼニーったら、ちょっと人気者すぎって話よね」
誰にともなく呟いた言葉は、同部屋で彼女の本日の護衛役として控えていたヤンによって拾われる。
「声からして、迷い込んだ子供や動物の類ではなさそうだな」
次いで、部屋の隅でクオリティの高すぎる粘土遊びに興じていたタマがゆっくりと立ち上がった。
「ふむ……では、我は結界の状態を確認して来るとしよう」
「タマちゃんも毎度ご苦労様……って、アレ?
やだっ、ユーリちゃん顔真っ青じゃない大丈夫!?」
本から目を離し扉へと進むタマに視線を向けようとして、その途中で苺花は頭上の人の異変に気付き慌てて上体を起こす。
その他2名の注目も集まる中、青褪めた顔で己の口元に手を置くユーリウスは震える声でこう告げた。
「い、今のなんだかすごく聞き覚えが……」
「えっ、ユーリちゃんの知人かもってこと!?
それって不味いじゃない!」
彼女の台詞を聞いた苺花が焦ってしまうのも無理はない。
タマの結界の効果によって動きを封じられた不法侵入者は、優秀な使用人たちの手により即座に然るべき処置を施されてしまうのだ。
「ぼ、僕、ちょっと行って確かめてきます!」
どうにも落ち着かない様子で席を立つユーリウス。
苺花はそんな彼女の手を取り、追うように腰を上げた。
「待って、ユーリちゃん。そういうことなら私も一緒に行くわ」
「ならば、我は先行して処理班を止めておこう」
「あぁ、タマ頼むぞ」
ヤンの言葉に小さく頷いたタマは、同時にその場から姿を消す。
穏やかな午後から一変。妙な緊張感に包まれた3人は、それから足早に庭へと駆け出したのだった。
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「ああーッ、いた!!
おぃぃユーどういうことだコレ!
突然訪問して驚かそうと思ってペスに手伝わせて空から庭に降り立った途端に強烈な痺れそして痺れ!
つか、今現在も絶賛全身痺れ中とか何だオイ、ここん家ちょっと過剰防衛すぎだろ!!
お前、実は裏社会の怪しいことに関わったりしてねぇだろうな!?」
現れたユーリウスを視界に入れた瞬間、侵入者である男は唯一自由になる口をこれでもかと動かし出した。
彼の無事な姿にホッと安堵の息を吐きつつも、彼女はすぐに冷めた眼差しで男を見下ろす。
「素直に正面玄関から訪ねてくれれば、そんな目にも合わなかったんですけどね」
「いやだから、驚かそうと思って……」
「赤の他人の、それも天下の商王ゼニス様の自宅に不法侵入しておいて、そんな子供じみた言い訳が通用するとでも?
いくら貴方でも知らなかった、なんてことは無いんでしょう。
僕も手紙に書きましたしね」
「う……そりゃ、まぁ……」
普段に無いクールな態度のユーリウスに苺花は「聖属性のはずのユーリちゃんがいつのまに闇属性である暗黒オーラのスキルを!?」などとゲーム脳丸出しの戸惑いを覚えながらも、一応の確認の為に彼女の服の袖を引いた。
「えと……ユーリちゃん、やっぱり知ってる人だった?」
途端。いつもの控えめ清楚淑やかな態度に戻って困り顔を見せるユーリウス。
「あ、はい。その、この人は僕の……」
「えっ、えっ、ていうか、おまっ!
どうしたその格好!?」
彼女の言葉を遮る微妙なタイミングで、男は愕然とした表情を浮かべ叫んだ。
その声に、ユーリウスはハッと自身の姿を思い出し青褪める。
屋敷内では男性体の彼女は、しかし、細かなフリルのふんだんにあしらわれたブラウスやスカート、ヒールのある靴に花やハートを模った装飾品など、明らかに女性用と思しきものをその全身に纏っていた。
自称フェミニスト苺花は不安に怯えるユーリウスを庇うように前に出、代わりに男の視線を受け止める。
「なんだって、そんな女みたいな!?
……あっ! まさかお前!」
苺花と背後のユーリウスに数度視線を彷徨わせた後、何かに気が付いたような声を上げる彼。
ユーリウスはビクリと体をふるわせ、無意識に苺花の服の裾を握った。
だが、そんな態度も次の男の発言が耳に入るまでだ。
「このどことなく腹黒そうな女のせいか!?
この女に騙されて無理やり言う事を聞かされているうちに、すっかりそっち方面を開発され今では逆に快感に……」
「タラン」
「ぬわーーーーッ!?」
いつの間にか無表情になっていたユーリウスは、これまた感情の乗らない硬質な声で愛しい魔獣の名を呼んだ。
途端、屋敷の上階から降ってきたタランドールは彼女の指が示す先に転がっている敵に容赦なく牙をむく。
「待っ痛っちょっ痛ぇ! 痛ぇーって!
お前痛ってなにしてんの、なぁ絶賛全身痺れ中の実の父に向かって魔獣けしかけるとかマジでなにしてんのユーさんよぉッ!?」
「……イッカさんの悪口は血の繋がった親と言えど許せません。
訂正してお詫びを」
「ぎえーっ! いたた痛い痛い!
何か知らんが悪かった! スマン!
謝るからタランドールどうにかしてくれぇーッ!」
どうやら、男の正体はユーリウスの実の父親のようであった。
エラのはったゴツい顔に筋肉質でがっしりとした体格と、黙ることを知らない子供のような騒がしい性格。
およそ全てが彼女とは似ても似つかないが、面々は母親に似たのだろうということで自分を納得させた。
すでにじゃれ合う親子の見物人と化している3人は、何やら好き勝手なことを呟いている。
「軽くキャラが変わっちゃうレベルの愛、か。
うふふ、そうこなくてはね。
あ。ところで、さっきのあの人のセリフ、どこか悪口になってた?」
「さぁな。当たらずとも遠からずと思ってしまった俺には分からん。
……しかし、アイツ。意外と容赦のない面があるんだな」
「なに、女青年の本職からしても必要な姿であろうよ。
あの魔獣をあれ程まで見事に御しているからには、甘いばかりの主人では有り得まい」
そうこうしている間に父親の躾けが終わったのか、彼らの方へと身体を向けたユーリウスは申し訳なさそうに頭を下げた。
「ということで、すみません皆さん。
僕の父がとんだご迷惑を」
その謝罪に返事をしたのは勿論苺花だ。
彼女は恋人の父親の手前か、いつもの奇行を隠して常識人を装う。
「いえいえ。むしろ、間違って処分されなくて良かったわ。
じゃあ、ホラ。せっかくお義父様が訪ねていらしたんだから、積もる話もあるでしょう?
応接室にでも移動しましょうよ。ね?」
「……イッカさんがそうおっしゃるなら」
明らかに気が進まない様子のユーリウスは、それでも彼女の言葉に従った。
苺花はどうにも不安気な彼女の側頭を撫で機嫌の回復を図りつつ、タマへと声をかける。
「じゃあ、悪いけどタマちゃん。
お義父様を運んであげてちょうだい。
ついでにタランちゃんに噛まれたケガも治してあげてね」
「うむ」
一見優しいようでいて身体の痺れまでは解除させないあたり、苺花の中で彼が未だ警戒対象に入っていることは明白であった。
過去日本において様々な物語と接してきたせいか、彼女の想定する最悪のケースは多岐に及ぶ。
ユーリウスの父親だったからと言って、彼女の中でゼニスやその他逆ハー面子の誰かを狙っていないこととイコールでは繋がらない。
また、そのような悪意が無くとも、騒がしい性格を見るに意図せず周囲を害する可能性もあるし、そもそも彼が本当に本物のユーリウスの父親であるのかすら苺花は疑っていた。
よごれオタク慎重派、彼女はそんな女だった。
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「改めて初めまして、お義父様。
私はイチカ。イチカ・トウドウ。
宅のユーリウスさんとは、真剣にお付き合いをさせていただいております」
こっそりと自身の考えうる限りの様々な対処を施したあと、ようやく男の身体を回復させた苺花。
応接室の長椅子にユーリウスと並んで座った彼女は、テーブルを挟んで向かい側の男へと疑心暗鬼の塊のような己の内面を一切悟らせない朗らかな笑みを向けた。
ちなみにヤンは護衛として彼女の背後に控え、タマは何を考えているのか逆に何も考えていないのか侵入者の真横に座っている。
タマが腰を下ろすと同時に、その場にいた全員が瞬間的に怪訝な顔を見せたが、どうしてかその小さな疑問を言葉に乗せる者はいなかったという。
ユーリウスの父親だという男は、微笑む苺花に面倒くさそうに手を振りながら軽くため息を吐いた。
「ああ、いい、いい。そういう堅っ苦しいのはよ。
お前さんのこたぁ、ユーの手紙にビッチリ書いてあったから知ってる」
「え? ビッチに書いてあったから知ってる?」
「書いてませんよ!?」
隣から聞こえてきたあんまりな間違いに仰天し、反射的にツッコミを入れてしまうユーリウス。
その後、室内に数秒できた沈黙の中へ、ヤンの極小の呟きが響き渡った。
「……概ね間違ってはいないけどな」
「ていうか、そのものずばりだしね」
「然り然り」
苺花・ザ・ビッチを肯定した3人はそれからおもむろに顔を見合わせた後、何が可笑しいのかワッハッハと楽しげに笑い合う。
普通に本人が交ざっているのが如何ともしがたい状況である。
流れについていけないユーリウス親子は、揃ってポカンとした表情を見せていた。
「……え、っと」
「おい、ユー。やっぱりお前騙されて……」
「ませんッ!」
性懲りもなく彼女の地雷を踏んだ父親。
先ほどのようにタランドールこそ嗾けられなかったものの、良くも悪くも苺花の影響を受けて立派な女となったユーリウスの激しい口撃は彼を即座に後悔の渦へと溺れさせていく。
「大体何がやっぱりですか。イッカさんはとても真摯な女性ですから、愛を囁こうとする相手に自らの負の側面を隠すような卑怯な振る舞いはけしてしませんし、そもそも他人を騙そうだなんていう人じゃありませんよ。まず彼女をその辺の人間と同じ枠組みで考えること自体が間違っているんです。自由の象徴のような彼女をせせこましい世間の常識とやらで測れるなどと思わないで下さい。彼女の空よりも広く海よりも深い愛情は冷たいばかりの世の中とは違いつまはじき者とされる存在にも隔てなく与えられ、僕もまたその恩恵にすがらなければこうして心からの幸福を感じるような日々を送ることはなく、言うなれば自身で殺そうとしていた女としての僕の命の恩人であり、さらに異端認定を受けることが恐ろしく常に脅えの対象でしかなかった人間を心から愛するということを計らずも教えてくれた尊き師でもあり、それは最も大切な……って、ちょっとお父さん真面目に聞いていますか。イッカさんをろくに知りもせず貶めたからには僕の話を最後まで聞く義務があるんですよ。これはご自分が撒いた種ですからね。いいですか、まぁ貴方にも分かりやすく具体的に言いますけど……」
そんな説教に見せかけたユーリウスの惚気話は、夕方過ぎに仕事の合間を縫って挨拶に訪れたゼニスによって止められるまで延々と続いた。
また、その間完全に蚊帳の外状態になってしまった苺花たち3人は、さすがに部屋こそ移らなかったものの彼女の話を聞きも止めもせず読書や粘土遊びの続きに興じていたそうな。
「わ、タマちゃん。その天女の清廉なる微笑みは内に滾る熱情を覆い隠す薄くも完璧なる衣となりし美しきイッカ像すっごいイイんだけどっ。
観賞用と保存用と布教用で3つ同じの作ってよー」
「良かろう」
「おい待て、何を布教するつもりだ。
いや、その前に像の名は本当にそれでいいのかタマ」
沈みかけた夕陽を背に死んだ魚のような目で呆然と帰宅を果たした父親は、それから数日後にようやく自身の息子が娘であったことに気が付いたが、その時にはもうそんな程度のことはどうでも良くなっていたのだという。
かくも愛と恐ろしいものである。




