ピ・グーの里帰り
今にも雨が落ちてきそうな曇天のある日。
もはや実家と呼ぶべきゼニスの屋敷内廊下を、色んな意味でご機嫌な苺花が目的も無いままウロチョロしていた。
「うぷぷ。いっやぁ、ごねてみるもんですなぁ。
あの照れ屋のヤンからまさか、今際の際の愛の言葉を約束してもらえるとは。
うやむやにしたかっただけの本人気付いてないみたいだけど、これって変わらぬ愛を確信していないと出ない台詞ですよねぇ?
ほひーっ、滾るーぅっ。私ってば超愛されてるぅーッ。
なぜか襲いかかったら逃げられたけど、この件はばっちりヤンデレ記録帳に書いて……あれ?」
当人が耳にすれば真っ赤な顔で握り拳を震わせそうな呟きを漏らしていると、少し先にある曲がり角から顰め面をしたピ・グーが姿を現した。
何か考えごとをしているらしき様子の彼に、すかさず近づき声をかけるビッチ。
「ピーぃちゃんっ。難しい顔してどうしたの?」
「ん? アぁ、イッカか」
彼女の存在に気が付いたピ・グーはふと表情を和らげたあと、次いで申し訳なさそうに視線を逸らしながら自身の頭を撫でつつ口を開いた。
「ソの……スまんガ、スぐにでモ祖国へと帰らねバならなくなっタ」
「え」
瞬間、苺花の頭の中が真っ白に染まる。
「手紙が来てナ。
護衛の件で一時ヤンに負担をカけることニなるが、世話にナった長老の……」
「やだああああッ!
実家に帰らせていただきます展開なんてやだあああああ!」
「オ、オイ!?」
大きなショックを受けた苺花は続くピ・グーの言葉を耳に入れることができず、ありえない誤解からマッハの勢いで彼の腹にしがみ付いた。
その姿は、さながら森の中に昔から住んでる隣のアレにくっつく少女たちのようだ。
「なんで!? なんでなの!?
昨日へっへっへイイ乳しやがってって揉んでみたのがいけなかったの!?
それとも先日顎肉を延々タプタプし続けたのが気にさわったの!?
お腹でペチペチ8ビート刻んだのが嫌だったの!?
お鼻を何度かピンポーンって押したのが不快だったの!?
お耳をピロピロすんすんスリスリはむはむしたのがダメだったの!?
まさか、もしや、よもや、オメェの身体に飽きたんだよってことなの!?
そんなのヤダぁあ!
なんならジャンピング土下座だってオシオキと称した特殊プレイだって何だってするから捨てないでよぉぉぉお!
愛していると言ってくれぇーーッ!」
いつ誰が通るかも分からない廊下で、聞かされた方も気まずくなるであろう内容の叫びを平然と上げてくるのがビッチクオリティである。
ピ・グーは心の内で「コういうのはヤンの役だろウ!?」と焦りつつ、彼女を諌めようとその華奢な肩を掴んだ。
「コラ! イッカ、落ち着ケ!
勘違いダ! 用が済めバすぐにデもココに帰って来ル!」
「ももももういっそ中身をカニバって外身は剥製の『永遠に一緒』エンド…………っへ?
帰って……来るの?」
彼の必死な主張に、相当ヤバい方向に逝きかけていた妄想世界から既の所で帰還を果たした苺花。
どうやら月日の経過と共に深まりすぎた愛情が、彼女の脳内に危険な歪みを生み出しているようである。
通常状態に戻った苺花にホッと安堵のため息を吐きつつ、ピ・グーは続けて説明を施した。
「サっきも言ったガ、長老かラ手紙が来たんダ。
ナんでモ、国でオレの5強士としテの力が必要にナったようでナ。
マぁ、オ前の想像しタようナことは一切無いかラ安心しロ」
「な、なんだぁ。ビックリした」
「ソれはコっちのセリフだ。
ナぜ自ら選んダ居場所であルお前の隣を捨テ、ワざわざ出奔した地へ戻らねバならン」
「うぅ、ピーちゃん」
彼の言葉に安心と感激で半泣きになりながら、苺花は強く額を擦り付ける。
ピ・グーがその背を落ち着かせるように撫でてやれば、しばらくして彼女はキッと強い視線を向けてきた。
「でも、それなら私も行く。
ピーちゃんがお世話になったって人にきちんと挨拶したい」
「駄目ダ」
間髪入れず、ピ・グーは苺花の提案を却下した。
納得のいかない彼女は、不満げに眉尻を下げながらそのワケを知るべく問いかける。
「なんで? 私がビッチだから?」
「違ウ。
……イや確かに女に囲われテいるナドと立場的にアまり周知されタものでハないガ、コの場合は違ウ」
そこで1度黙り込んだピ・グーに、先を促すべく苺花は熱い眼差しを送り続けた。
しばしの間の後、何かを観念するように瞼を伏せた彼は、深く息を吐き出してから慎重に言葉を紡いでいく。
「ソうだナ……。
イッカ、オ前はなぜ我々トン・デイブ人が他の獣人と違イ鎖国同然に暮らしているカ。
ソして、ナぜ常に集団で行動する習性があルのか。
その理由を知っているカ?」
「知らない。どうして?」
「マぁ、ソうだろウ。
コれは我々トン・デイブ人ですラ、ごく少数しか知らなイ歴史ダからナ」
「歴史?」
急に話が飛んでしまったような気がして、苺花は怪訝に思いながら首を傾げた。
「トいってモ100年も前じゃあなイ。
簡単に説明するとダ、オレたちの暮らしテいた東大陸の一部が長く飢饉に襲われてナ。
ソれまデ生活を共にシていタはずの人族に……食料としテ狩られたんダ。
人間達は自らの深き罪ヲ、トン・デイブ人は肉体的格下の存在に滅ぼサれかけタ恥を隠すたメとしテ、ソの事実は闇に葬り去られテしまっタ」
「何それっ……真実を隠せば、その失敗から学ぶはずだったことまで無かったことになるじゃない。
いくら自分たちが忘れたいからって、やっていいことと悪いことがあるわ」
やたらと重い話に発展してしまったにも関わらず、戸惑うどころか逆に見当違いの憤りを見せてくる苺花。
そんな彼女の反応に苦笑いで返しつつ、ピ・グーはようやくの本題をその口に乗せた。
「ダガ……知らずとモ何か感じるものガあるのカ、人間を嫌うトン・デイブ人は多イ。
ヨしんバついて来たとしテ、言葉も分からン中さんざ敵意を向けられ終わルだけダ。
傷つくト分かっていテお前ヲ……大事な女を連れて行きたイ男がいルと思うのカ?」
言いつつ、ピ・グーは苺花の髪を優しく梳いてくる。
瞬間、ハートの中心にデカいのをズッキュン撃ち込まれた脳内苺花は、エコー・モノクロ・スローモーション等の演出を駆使しつつ、満開の花畑にそれはもうド派手に倒れ伏した。
直後、鼻からの大量出血で真っ赤に染まってゆく花たち。
あっという間に湖のごとき広さに達した赤が、現実世界の苺花から噴出されていないのは、ある意味で奇跡と言えた。
「ソれニ……ソラ、雨が降っテきたゾ。
濡れ鼠デ旅をすルのはイッカも嫌だろウ?」
死にかけた虫のようにピクピク痙攣する己を妄想していれば、いつの間にか窓の外へと視線を外していたピ・グーがそんな風に尋ねてきた。
思考の切り替えの素早い苺花は、すぐに右手をパタパタ横に振りながら彼の言葉を否定する。
「え。別に嫌じゃないわよ。
うたれることで私の色気をごく自然に増幅してくれる雨を、身体が冷えたと抱擁を強請る理由を作ってくれる雨を、その後に脱衣系エロイベントを引き起こしてくれる雨を、どうして嫌うことができるというの」
「作物に恵ミをモたらスからだとカ、雨上がリの虹が綺麗だかラとカ、ソういった理由は一切無いんだナ」
あまり聞きたくなかった正直すぎる彼女の答えに、さすがのピ・グーも呆れざるを得ない。
と、そこで唐突に苺花からとある指摘が飛んできて、彼はその予想外の鋭さに思わず己が顔を歪めさせた。
「ていうかさ、ピーちゃんは言わなかったけどさ。
祖国も守らずフラフラ旅する5強士だって、普通に風当たりが強いんじゃないの?」
「……グぬ。相変わらズ、無駄なトころデばかり頭が回ル」
「当たりね?
っだったら、やっぱり一緒に行く!
ピーちゃんにだけ嫌な思いなんて、絶対させないんだから!」
「イッカ……」
思いもよらない彼女のまともかつ健気な台詞に、ピ・グーはジンとその胸を熱くさせる。
が、それも一瞬にして雲散霧消した。
「大丈夫よ!
周りからの悪意なんて、面の皮の厚さに定評のある私が全部完璧にディフェンスし尽くしてやるわ!
はいっ、ディーフェンスッ! ディーフェンスッ!
どうよ、この鉄壁防御っぷり!?」
「え、ア、アぁ。え?」
両手を大きく広げ、がに股で左右への横移動を繰り返す苺花。
もはやどうしていいのか分からないピ・グーは、ただ遠い目をして誰かツッコミ役が通りかかる幸運を待っていたのだという。
「あそれ、ディーフェンスッ!
もいっちょ、ディーフェンスッ!」
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土上の石を取り除き、四方に木の杭を立て軽くロープを張っただけの簡素な決闘場。
その中央に今、1人のトン・デイブ人が立っていた。
「……ソラ、ドうしタお前達、モう終わりカ?
運だケで5強士の立場を手に入レた身の程知らズは未だ無傷で立っテいるゾ」
地に転がり痛みに呻く若きトン・デイブの戦士たちへ、らしくもなく皮肉を口にし嘲笑を浮かべてみせるのは、苺花を伴い帰郷を果たしたピ・グー=マイノゥリットである。
5強士の中で最も年若い彼が早々に祖国を旅立ったことで、近頃になってその実力をろくに知らぬ若輩の戦士らが名誉ある名を我が物にせんと画策し……そして今、あっけなく敗れたのだ。
さらに、ピ・グーが単身かつ素手であったのに対し、戦士らは複数かつ武器所持の状態だったというのだから惨めなことこの上なかった。
「…………ブ……ブブゥっ」
「フン。コの程度の痛ミに脅えルか、情けなイ」
ボロボロになったリーダー格のトン・デイブ人が敗北を宣言すれば、ピ・グーは悪態をつきながら彼らに背を向ける。
くだらない用件で呼び戻されたこと、質の低い戦人の相手をさせられたこと、しかもそれを衆人環境の中で行わされたこと、彼の実力を目の当たりにし分かりやすく色めき立つ女たちに、どうにか国に残らせたいという考えが見え見えの一部長老衆……何もかもに彼は苛立っていた。
早くこの場を去ろうと足早にロープを超えたところで、手紙の送り主である長老が周囲に分からぬよう人間の言葉で話しかけてくる。
「すまんかったなぁ、ピ・グー。
近頃はワシの話をまともに聞く者も少なくなりおって、抑えきれなんだわ」
「イヤ、尊師が悪くナいのは分かっていル。
ダガ……出来れバ、2度と無いよウにして欲しイ」
「分かっておるよ。
外に良いツガイも見つけたようじゃしの」
チラと背後に視線をやった長老を追い顔を上げれば、そこには最愛の恋人である苺花がいた。
彼女はピ・グーの元に寄って来ようとする女どもの前に立ちふさがり、互いに通じないはずの言葉でなぜか言い争いをしている。
「ブキッ!」
「プギー! ブゴ、フゴー!」
「っかぁー、ぺぺぺぺっ!
私のピーちゃんに群がるんじゃないわよ、この雌豚どもがぁ!」
「ブブブ、ブキッキ!」
「ブキャブ! ブゴゴーッ!!」
「っはぁー? アンタら勘違いも甚だしいのよ!
本気で愛してるっていうんなら、彼の好みに合わせてダイエットのひとつでもしてから来いってぇの!」
「プギギギィーッ!」
「ピギャプギャアアッ!!」
「はい、ずぁーんぬぇーんどぅぇーしたぁーーっ!
この性格込みで彼は私の虜なんですぅー!
無駄に肉のついた根性悪な女はお呼びじゃありまっすぇーん!ベロベロベロ!」
「ブガァァアッ!」
「プギプギィィィ!」
「ええい無駄無駄無駄無駄無駄無駄ぁああああああ!
そんな程度の中傷がこの私様に効くと思うんじゃあねぇーってんだわよぉーッ!」
もはや酷いなどという表現では言い表せないほどのアレな苺花に、数秒間石化していた長老が目をおぶおぶと泳がせながら震える声で先ほどと同じセリフを呟いた。
「よ、良いツガイを見つけたようじゃしの……」
「……ア、いや。尊師、無理しなくテいいんデ」
大量の汗をかき挙動不審になっている長老に、ピ・グーはそれまで苛立っていたことなど完全に忘れて、生ぬるい眼差しと共に優しく彼の肩を叩く。
「ていうか、アンタさぁー。実は本命別にいるでしょ?
決闘中だってお互いチラ見し合っちゃってさぁ、完全両想いじゃん。
なに、アテツケか何か?」
「プギッ……!?」
「ブ、ブキキ!?」
「って、いやいや。
そういうそっちも、アソコにいる背の高い人に熱ぅい視線送られてるみたいですけどぉ?」
「ブゴブ!?」
「ホラ、あっちのアレ」
「ブッ!? ブブブキッ!」
「えっ、マジで!? 普通に玉の輿じゃん!」
「ブキィー!」
「やっだー、それ超悪女ー! 素敵ぃー!」
「フゴー!」
「ブキャキャッ!」
「あー、分かる。焦らしテクは結構重要よねー」
「ブ? ブブーゥ?」
「ん? はいはい。
えーと、そっちの子はねぇ、向こうにいるぅー……」
苺花の下世話な方向に鋭い観察眼により、少し前の険悪な雰囲気はどこへやらキャッキャウフフとガールズトークを繰り広げる女たち。
これをきっかけに彼女らと急速に仲良くなった苺花は、その後3日間の滞在中人間嫌いのトン・デイブ人の敵意に晒されることもなく、快適かつ楽しい日々を過ごしたのだという。
そんな彼女の様子を間近で見ていたピ・グーが「あるいは最強とは苺花のことを言うのかもしれない」などと、思ったかどうか……それは定かではない。




