第18話 秘技、手のひら返し!
「とりあえず落ち着いたか?」
気が済んだのか、しばらくして威嚇を止めた苺花にヤンがそう問いかければ、彼女は右手を顔の前にかざし両目を閉じた。
「……私は始めから落ち着いている」
「平然と嘘をつくな」
間髪入れずに己の言葉を否定された苺花は、ほんの少し手をずらして片目を開け、ヤンを流し見つつ鼻で笑った。
「ふっ、いつから私が平静を欠いていると錯覚していた?」
「終いには人のせいかお前。
……まぁ、そんなことはどうでもいい。
落ち着いたのなら、あの男に経緯を説明してやれよ」
そう告げて、ヤンは怯える青年を親指で示す。
彼のその態度に、苺花は残念そうに眉を下げ唇を尖らせた。
「もー、ヤンってばノリ悪いー」
「良くてたまるか」
「じゃあまぁ、そこの女の敵ッ」
ビシィ!
と音が出そうな勢いで青年を指差し、鋭い視線を向ける苺花。
その視線にビクビク怯えながらも、青年はふるえる口を小さく開いた。
「っそ……その、ぼ、僕、ですか?」
「貴方以外に誰がいるのよ。
ていうか、なに。一人称が僕とか狙ってるわけ?
成人していながら朴さんクリソツの少年声を持ち、ついでにそこそこ整った容姿と均整の取れた筋肉を携え、さらに気弱で根暗そうな雰囲気を醸し出しつつも幼い魔獣を身を呈して庇う勇気と優しさを兼ね備えているとかなんだソレ、その高スペック。そっち系の男子か。受けか。無自覚誘い受けか。天然の守ってあげたくなるタイプか。魔性か。魅了のパッシブスキル所有か。
ぬぉぉぉ、私の男は断固やらん、やらんぞぉぉぉ!!
天・地・魔・闘ッ!」
「いやお前なに言ってんだ!?」
吼えつつ左手を頭上近くへ、右手を腰辺りへと動かし、どこぞの大魔王と同じ構えをとる苺花。
どこまでいっても、自分の世界まっしぐらな女であった。
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「というわけで、一応お前を助けたのはこのイッカということになる。
まぁ、十中八九そのクモが目的なようだがな」
苺花に任せていたのでは埒が明かないと、結局、青年へはヤンが説明を施していた。
彼の話を受けて、この世界に珍しく素直な青年は、戸惑いを隠せぬ様子ではありつつも苺花に頭を下げる。
「えっと、その、ありがとうございます」
「うむ、一生恩に着て崇め奉るが良いぞ」
「えっ」
腕を組みそのままブリッジでもしそうなほど背を逸らせてふんぞり返る苺花に、ヤンは呆れた視線を向け手を軽く左右に振った。
「あー、こいつの言葉は真面目に聞かなくていい。
聞いたが最後、人生を脅かされるぞ」
「えええっ」
彼の大仰な言葉に目を丸くする青年。
反対に目を細めてジトリとヤンを見る苺花は、手の甲で彼の腕を軽く叩き、珍しくもツッコミを入れた。
「私は呪われたアイテムか何かですかい。
まぁ、冗談は置いといて……今度は貴方の話を聞かせて貰える?」
『ヤンのは冗談じゃなかったと思う』
当然のように女神の呟きはスルーし、苺花は小さく頷いた青年へさらに言葉を重ねていく。
「最初に言っておくけど、命の恩人を相手に嘘や黙秘は通用しないと思いなさいね。
私、聞く人。貴方、答える人。
んーと、そうね。とりあえず、名前と年齢、出身とそこから現在に至るまでの全てでいいわよ」
「とりあえずで聞く範囲を大幅に超えている気がするんだが……」
そんなこんなで青年の事情について聞き取りを開始した苺花とヤン、ついでに女神。
本人が常に躊躇いがちであったことと、苺花が余計なちゃちゃを入れるため無駄に時間はかかったが、彼の話をまとめるとこうだった。
名はユーリウス・シン・フィメル。
年齢は21で、父親に連れられ常に世界中を渡り歩いていたので出身地は不明。
父親と彼は魔獣使いという職業らしく、クモは生まれた時から一緒にいるパートナーのようなもの。
その性質ゆえに人々から恐れや憎悪の対象となる彼らは、旅生活を余儀なくされていた。
また、1年ほど前から彼は独り立ちしており、以後の父親の動向は不明。
サバイバルには慣れているが、それでも町に入り物資を購入することは少なからず必要で、今回ヘイサの町を訪れたのも古くなった外套を買い換えるためと、冬に向けていくらかの酒を購入するためだった。
(んー、旅や魔獣使いの話を信じるには、あまりにも青年が気弱そうに見えるんですが)
『うーん、私もそこまで詳しい方じゃないから……。
でも、彼は愛護神ムツゴーロの加護を持ってるみたいだし。
あながちウソってわけでもないんじゃない?』
(愛護神?)
『そう。守ってあげたくなるような生き物が好きな神様。
自分と同じ考えの存在に加護を与えて、その弱い生き物との感情が相互に伝わりやすくするの。
多少身体が大きくても、幼生体……子供なら必ず範囲に入るわね。
でも、あの神は選定が厳しくて有名だし、私ですら彼の加護を受けた人間を見るのは初めてよ』
(ほっほぉー。中々に稀有な存在のようですなぁ。
ヤンも普通に胡散臭げな顔してるし。
……しかし、その加護の方向性からすると、使役する魔獣は小さな頃から人間に馴れさせておく必要がありそうですね。
とすると、旅の途中で遭遇した魔獣を集めてパラダイスを作るのは無理かぁ。
いちいち巣穴から攫ってくるわけにもいかないでしょうし)
『きっと苺花のことだから、パラダイスなんて名ばかりの身の毛もよだつサファリパークなんでしょうねぇ』
(失礼な、単にフェロモニー様の好みが狭すぎるんですよ)
『アンタが無節操なんでしょっ!』
(大体、私は趣味こそちょっと個性的ですけど美的感覚自体は普通ですからね?
例えば、あれ、世界一可愛い動物はエゾモモンガ、とか、ちゃんと分かってるんですから。
あ、「うちのペットは世界一ィィィイ!」って主張は絶対的に飼い主補正が入ってるから認めませんよ)
『あの飛行ネズミが可愛いのは同意するけど、それってメチャクチャ独断じゃないの』
「おい、イッカ」
彼女らの会話が無益な言い合いに発展しようとしたその絶妙なタイミングで、ヤンが苺花へと問いかけてきた。
「約束どおり男の話は聞いたわけだが……それで結局、お前はコイツをどうするつもりなんだ?」
ヤンの言葉に、ユーリウスと名乗る青年は何かに怯えるように身を竦ませ、話の最中に振舞われた紅茶のカップを小さく鳴らす。
そんな彼の反応を横目で確認しながら、苺花は唇の端を上げ口を開いた。
「あらぁ、ド直球。
顔と違って意外と気遣いのできるヤンが、敢えて彼がいる前でそれを聞いてくるには理由があるわね?」
「そういうことは、いちいち口に出さなくていいっ。
……で、どうするんだ」
「んもう。ヤンってば、せっかちさん。
あんまりガッつくとモテないぞおっ?
なぁんて、本当にモテちゃったら苺花全力で阻止にかかるんだけどぉ。てへっ。
答えを出す前にまだちょっと気になる点があるんだけど、それを彼に尋ねてからでもいい?」
「……好きにしろ」
彼女のセリフにイラッとさせられつつも、ヤンは何とか冷静さを保って言い放つ。
愛しい恋人の了承を得て、苺花は探るような瞳を向けて青年の元へと近付いていった。
俯きがちな青年ユーリウスのすぐ前に立った苺花は、すうっと目を細めてから静かな声を響かせる。
ここに世にも奇妙な尋問タイムが始まろうとしていた。
「さ、て。貴方は確か父親と2人旅だったと言ったわね?」
「は……はい」
「そう。ところで、貴方の話し方はそのお父様を真似たものなのかしら」
「え? い、いえ。全然、違います。
父は僕なんかとは反対に、とても男らしくて逞しくて、とにかく元気で豪快な人でしたから」
「ふうん。じゃあ、だったら、貴方はどうしてそんなしゃべり方をするの?
魔獣のこと良く思われないから、あまり人前には出ていなかったんでしょう?
四六時中一緒にいたのが父親だけなのだとしたら、貴方が今その彼と全く別の言葉遣いをしているのは不自然よね?」
「っえ、あの、僕は……そんな」
「それに、その怯えた際の内側に縮こまる仕草。カップを手にした時、さり気に立つ小指。
腰まで伸びる長い髪を耳にかける柔らかで滑らかな腕の動き。何気に磨かれている爪。
綺麗に揃え軽く斜めに流された内股気味の両足。
独立してたったの1年で父親の仕草を払拭したと言い張るには、これ明らかに完成されすぎてるのよねぇ」
苺花が独り言を呟くようにツラツラと言葉を並べ立てるたびに、彼は可哀想なほど顔を青ざめさせていく。
そんな青年の様子を見て、苺花は何かを確信したように目を見開いた後、悔いるように顔を顰めた。
「やはり……か。っく!」
同時に苺花はがっくりと膝から崩れ落ち、しばし額に右手を重ねる。
それから、おもむろに青年へと向き直った彼女の顔は驚くほど真剣な雰囲気を纏っていた。
奇行自体はいつものことだが、いつにない苺花の反応にヤンは胡散臭げに表情を歪める。
「……申し訳ない、お嬢さん。
愚かな私は貴方が女性であることにも気がつけずに、随分と乱暴な真似をしてしまったようですね」
『変わり身はやっ!』
声のトーンを少しばかり落として告げられた苺花の言葉に、青年はひゅっと喉を引きつらせその動きを止めた。
「いや、そいつどう見ても男だろ。
何を言ってるんだお前は」
場の空気が読めないのか、1人緊張感のない呆れ声を上げるヤン。
苺花はそれをガン無視して、物語の中の騎士のように跪き、青年を上目遣いで見つめながらそっと手を握った。
「どうかこの無礼をお許しいただきたい」
さすがは自称フェミニスト。汚いほどの豹変っぷりである。
彼女のいきなりの懇願に対し、顔面を蒼白にして浅く呼吸を繰り返す青年ユーリウス。
それでも何とか苺花の言葉を否定しようと、彼は口を開いた。
「……っぼ……僕は……おと、男……で……」
「それは肉体の話でしょう?
私には分かります、貴方の心が女性のそれであると。
だとすれば、見た目など問題ではない。
私にとって貴方は間違いなく女性なのです」
安心させるように微笑む苺花だが、青年は今にも泣きそうな表情を浮かべ激しく首を横に振る。
「ち、ちがうっ!
僕はっ、僕はそんなッ……!」
パニックに陥る寸前といった必死な様子に痛ましげな視線を向け、苺花はゆっくりと白く柔らかな両腕をのばした。
そうして、彼女は包み込むように青年の頭部を自らの胸に抱いて撫でながら、優しく言葉を紡ぐ。
「とても、とても苦しかったでしょうね。
辛かったでしょうね。
けれど、もういい。もういいのです。
もう無理に自分を偽る必要はないのですよ」
苺花の声が、労りが、じわりと青年の身体に沁み込んでいく。
その暖かさに、彼の瞳から一滴、また一滴と涙が零れていった。
「ッ、僕……僕はっ……」
「はい」
「……っ僕は……ゆっ、赦されてっいっ……いいんで、しょ……か……」
「貴方の心が女性である事実、それ自体は罪でもなんでもありません。
けれど、貴方の心の解放に誰かの赦しが必要であるというのならば、この私が赦しましょう。
だから、貴方も、貴方自身をどうか、ゆっくりでいい……受け止めてあげてください」
苺花からの肯定を得た青年は、いや、ユーリウスは、彼女に縋り付き次第に嗚咽を漏らし始める。
そうして、ようやく女性としての産声を上げたユーリウスを、苺花はただいつまでも、どこまでも柔らかく包んでいた。
ついでに、彼女の完全なるキャラ崩壊もとい聖女モードに、ヤンはただ「え、どなた?」などと呟きつつ、いつまでもどこまでも阿呆面を晒していた。
この瞬間の彼の空気っぷりはあのタマをも超えていた、とは後日某女神よりの談である。




