第17話 この中に爬虫類、両生類、節足動物がいたら、あたしのところに来なさい!
そんなこんなで数分後。
タマが至極あっさりといじめ集団を撃退したのを見てとり、地に蹲った状態で動かないいじめられっこへと近づいていく苺花。
いつの間に拾ったのか、彼女は細長い小枝で足元の彼をつつきながら声をかけた。
「おーい、大丈夫ですかー。おおーい」
『ちょっと扱い酷すぎない?』
蹲っているため顔は分からないが、体つきから見るに成人男性であると判断した苺花の態度はおざなりだった。
しかし、彼女の鬼畜な扱いにも男から反応が返ってくることはない。
「……返事がない、ただの屍のようだ」
『なに勝手に殺してんのよ』
「意識を失っているだけでは?」
「やぁねぇ、冗談よ冗だ…………ん?」
咄嗟の違和感に再び男を見下ろせば、もぞりもぞりと彼の腹部が動き出し何やら這い出てくる。
「あっ」
「ふむ?」
『っひぃぃぃ!』
瞬間的に悲鳴をあげるフェロモニーとは裏腹に、苺花は瞳をキラキラと輝かせた。
「わあ、タランチュラだっ!
チリアンコモンだ!」
「タラン……?」
聞き覚えの無い言葉に首を傾げるタマ。
「めちゃくちゃ大きいから多分私の知ってるタランチュラと違うけど、そんなことはどうでもいい!
ローズ色で丸っこいフォルムにモハッとした毛、つぶらな複眼がたまらんですな!
っあぁー、これは人馴れしてるだろうか!
撫でられるだろうか!
普通の手乗りサイズもいいけど、抱きしめられるようなぬいぐるみサイズも素敵ぃぃ!
ぅぅぅ可愛いぃぃ可愛い可愛いよぉぉぉ!
タランちゃんきゃわゆいよほほぉーう!」
『巨グモのどこが可愛いのよぉ!
アンタ変! 変!』
激しく興奮する苺花は、女神の必死さを含んだ涙声にも気付かない。
何だかんだ安全性の分からないクモに触れようとはしないところと、そのクモ自身動く様子がないことから、タマは黙って苺花が落ち着くのを待っているようだった。
数分が経過し、ひとしきり歓喜の雄叫びと共にクモを視姦した彼女は、ようやくあることに思い至る。
「……って、そうか。彼はこのタランちゃんを庇っていたのか。
するってぇーと、これは良い人間ですな。心優しい青年ですな。
うむうむ、こんなボロボロになってもクモを守ろうとするその意気や良し!
ということで、タマちゃん。この人を連れて帰って治療してあげやしょうや。
あ。途中で変な人に絡まれたらアレだから、帰りは魔法で姿が見えないようにしてね」
「うむ」
『苺花以上に変な人間なんて見たことないけどね!』
タマはヤンやゼニスに止められない限り、苺花の言葉に否を唱えることがない。
巨クモは魔獣に分類される生物であり、魔力を操り燃えも切れもしない強力な糸を作り出したり、極細の体毛を針のように飛ばしたり、体内に猛毒を生成する器官があり任意にそれを吐き出したり、また、成長すれば3メートルを超えることもざらだという肉食の恐ろしい種であったのだが、幸いというべきか不幸というべきか、その事実を知る人物はここにはいなかった。
「とりあえず、どっちにも触らないように風に浮かせて運ぼうか」
「承知した」
頷くなり、タマは男とクモを浮遊させ不可視化をかける。
苺花はクモが消えた場所に向かい、安心させるような微笑みを浮かべ口を開いた。
「よーちよち。ちょぉっとフワフワするけど怖くないでちゅよぉー。
タランちゃんのご主人様はぁ、私が責任を持って介抱してあげまちゅからねぇ。
安心ちてくだちゃいねぇぇ」
『ウザいそしてキモい!』
「そこには何もないぞ苺花」
よって、酒造倉に残る3人が各々の信ずる神に厄介事回避を熱心に祈る傍ら、彼女らは一足先にゼニスの貸し切る宿へと急ぐことになったのである。
「あらほらさっさーっ」
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「絶っ対、いけませんっ! 元いたところに返してらっしゃい!
まったくもうっ、どうしてアンタはそう考えなしなのっ!」
「オイ、ヤン。落ち着ケ。口調が変だゾ」
「ピ・グー殿の言うとおりですぞ。ひとまず落ち着きなされ。
そう頭ごなしに怒鳴りつけて、聞く耳を持つ相手じゃあないでしょう」
宿に戻れば案の定、3人から絶賛叱られ中の苺花。
青年は未だ目を覚まさず、クモはその枕元から片時も離れず付き添っている。
一応、怪我人に気を使い別室で話し合いを始めた5人であったが、その内容は当然のごとく平行線を辿っていた。
が、ヤンと一緒にダメ出しをしていた2人が彼を諌めに入れば、嫌だ嫌だとダダをこねるばかりであった苺花が一気に反撃に移ってくる。
「確かに私はあのクモをとても可愛いと思っているし、とても飼いたいと思っているわ。
でも、見くびらないで。私だって色々と考えているの。
あのクモが魔獣だって話は分かったけど、だからといってあの子が危険であると判断するのは早い。
現状大人しくしているし、そもそも危険な力を持っているというだけならヤンやピーちゃんやタマちゃんだって同じでしょう。
それが人でないからとか言葉が通じないからってだけで忌避するというのは、ちょっとばかり道理が通らないんじゃないの。
魔獣は凶暴なんて既成概念に捕われずに、様子見くらいはしてもいいはずだわ」
攻撃の仕方を変えた苺花の言葉に、3人は顔を見合わせた。
「……ただの子供と違って妙に知恵がまわるのが厄介ですな」
ゼニスが薄く苦い表情を浮かべれば、彼女は追撃とばかりに次のセリフを口にする。
「ま、これでクモがいい子でも、あの青年が悪人で人間に害を与えるためにあのクモを手懐けているなら危険は皆無とは言えないでしょう。
でも、それならそれで野放しにしてどこかで実際に被害を出されるよりは、彼を押さえ込めるだけの力を持っている私たちが監視してあげればいいんじゃあないかしら?
いくら私だって、傷つけられる可能性がある限り1人でクモや青年と接触するような安易な真似はしないし」
「ヌぅ……言われてみれバそうすルのが良いような気モ」
「おまっ、何あっさり言いくるめられてるんだ!
魔獣だぞ!?」
何でもかんでも頷くタマは除き、元々ハーレムメンバーの中で苺花に1番甘いのはピ・グーである。
年齢のせいか少々親の心境も入るヤンやゼニスと違い、彼は彼女を怒鳴りつけることすらろくにできない。
その苺花に少しでも納得のできる理由を並べられれば、ピ・グーが望みを叶えてやりたくなるのも仕方のないことだった。
あっという間に1人を陥落させ、さらに彼女のターンは続く。
「そもそも、私たちまだ彼と話しすらしていないの。彼がどんな人間か全く知らないの。
だったら、最終判断はあの青年の事情を聞いてから下しても遅くないんじゃなくて?
ねぇ、私のやったことは、私の言っていることは、そんなに一方的に怒鳴りつけられるほど間違ったことなのかしら?
小さな生き物を庇って打たれた彼を、その優しさゆえに怪我人となった彼を、再び襲われる可能性のある町に放り出すことが本当に正しい行いなのかしら?
もう1度良く考えてみて欲しいの」
『ほんっとイヤらしいわアンタのやり口。
も、ほんっとイヤらしいわ』
今度は人間が当たり前に持つ情に訴えかけてくる苺花。
その後もあの手この手で3人をやりこめようとする彼女に、しょせんは愛の奴隷である男たちが適うわけも無く……。
ひとまずの妥協点として、彼らはこのまま青年の回復を待つという約束をさせられたのだった。
ちなみにこの話し合いの間、タマは始終空気だったそうな。
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当の青年が目を覚ましたのは、それから丸1日経過した昼過ぎという時間であった。
巨クモに餌やりをしてみたい苺花が、その青年の存在をまるっと無視して枕元にいるクモの目の前で全長20センチほどもあるコオロギに似た虫をユラユラ振っていた。
ちなみに調達したのはピ・グーである。
人間よりも鼻のきく彼は、その臭いによって魔獣の種類や居場所を特定することができた。
そんなピ・グーに、いつかキノコ探しをしてもらおうと興味本位で目論んでいる苺花がいたのだが、今は関係の無い話だろう。
数秒の後、彼女の望みは見事成就し、虫に食らいついたクモは青年の顔の真上でバリバリと音を立て始めた。
当然の流れとして、そのカスが青年の顔にボロボロ落下していくが苺花の目にはクモしか入っていないらしく、ベッドのわきで歓喜と慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。
虫を食べるクモとそれを見守る美女、食べカスに汚れていく青年。
非常にシュールな光景だった。
顔面への落下物が不快だったのか、クモが虫を食べ終わる頃になって青年が小さく唸りながら瞼をふるわせた。
何ともいえない表情で苺花を見守っていたヤンがいち早くそれに気付き、彼女の腰に己の腕を巻きつけて青年から距離をとる。
「え、何。っあ、タランちゃんに嫉妬?」
「なわけあるかッ。
よく見ろ、男が起きそうなんだよっ」
彼のいきなりの行動に驚いた苺花が、見当違いの妄想でニヤついた。
そのしたり顔が不快だったため、即座に青年を指差すヤン。
呻く彼に気付いた苺花は少しばかり興がそがれたように表情を薄くし、次いで不満そうな顔を作ってヤンを見上げた。
「っはぁん、なんだそんなことかぁー。
たまには愛に狂って暴走してくれてもいいのよ?」
「暴走なんかお前がいつでもしてるだろうが」
うんざりといった体で返したヤンだったが、その雰囲気は彼女に伝わらなかったらしい。
苺花はポッと己の頬を染めて彼に絡みついた。
「それ……遠まわしに誘ってる?」
「誘うか! 止めろベルトに手を伸ばすなッ!」
「大丈夫、すっかり目を覚ました青年に見られるくらい興奮材料にしかならない大丈夫」
「全く大丈夫じゃないだろバカ!
って、おい、あの男もう普通に起きてんじゃねぇか!
こっち見て呆然としてるじゃねぇか!
なんで分かってて平然と続けようとしてんだよお前は!」
「赤の他人より愛する人を優先するのは当然でしょ?」
「言葉の使いどころが完全に間違ってる!」
さすがに人前で流されることを良しとしないヤンは、常よりも少しばかり力を込めて彼女を引き剥がそうとする。
その様子に今回は無理そうだと判断した苺花は、意外なほどあっさりと彼から手を離した。
ホッと息をひとつ吐いてからヤンは青年に向き直り、彼女もそれを追うように首を動かす。
しかし、2人から視線を向けられた当の青年はそれに気付かず、未だ身を固まらせていた。
だが、それも無理からぬことだったろう。
魔獣を庇い暴行を受けていたと思ったら、凶悪な人相をした筋骨隆々な男が女神と見紛う麗しい美女に襲われていた。
とかく意味不明にもほどがある状況に置かれ、なお冷静に思考を巡らせることのできる人間がどれだけいるというのだろうか。
そんな青年の意識を戻したのは、彼自身の生理現象だった。
顔にかかった食べカスが鼻腔を刺激し、おもいきりクシャミが出てしまったのだ。
「へぷちッ」
「ッテっメェぇえええ!
なに可愛らしいクシャミしてくれてんだゴラぁああああッ!!」
「ひぃぃっ!?」
「こらっ、止めろ!
不用意に殴りかかろうとするんじゃない!
そもそも何でキレてるんだお前は!?」
唐突に雄叫びを上げ、男に襲いかかろうとする苺花。
もはや彼女の奇行に慣れきっているヤンは驚きに動きを止めることもなく、反射とも言える速度で彼女を取り押さえた。
動けない苺花は、ギリと歯を食いしばりながら青年を睨みつける。
「ああいう男がいるから、男が女に求めるハードルが上がるのよ!
敵めっ、この女の敵めっ!」
「どういう言いがかりだ……」
彼女の主張が理解できないヤンは、疲れたようにため息をつき項垂れた。
そうして視界に入るキシャアアと人間らしからぬ声で威嚇をしている己の恋人と、女相手にビクビクと身を縮込ませ涙目になっている青年。
この後に話し合いが控えているかと思うと、せめてもう1人道連れに同席させるべきであったと今さらながらの後悔をしてしまうヤンであった。




