第14話 幸運「ふ、どうやら俺の出番のようだ」
時は深夜。女のくせにやたらしつこい苺花がようやく満足し、全員が疲れ寝入っていた刻限のこと。
ふと、自身らの部屋に近づく何者かの気配を感じて、ヤンが傍に立て掛けていた武器に手を伸ばした。
「起コすカ?」
同様に覚醒したピ・グーは、腹の上の苺花を気遣ってか身体を動かさずにヤンに問いかける。
「悪意は感じないが……随分慌てた様子だ。
とりあえず、目覚めさせておいた方が良いだろう」
「ダナ」
ピ・グーが苺花を起こそうと肩口を揺する一方で、楽だからと精霊体を取っていたタマが少しずつ人の身体を成しながら呟いた。
「ふむ、この構成要素の配列には覚えがある。
おそらくゼニス商会の従業員であろうな」
「ゼニス様っ!?」
「ドわッ!」
商王の名が耳に入ると同時に、それまで完全に熟睡していたはずの苺花が物凄い勢いで飛び起きた。
その動作でピ・グーが彼女に添えていた腕がスパンと弾き飛ばされてしまう。
「どこどこゼニス様どこ! いないわよ! ねぇ!?
あーっ、やっぱりこの美貌に陥落したのかしら欲しくなっちゃったのかしら!
美しさは罪って本当よねーっ!」
寝起きだというのに妄想絶好調な苺花は、そう広くない部屋の中を右に左にと騒がしく駆け回る。
……全裸で。
「落ち着ケ!」
「いいから、まず服を着ろ!」
「これが、全裸は恥ずかしくない派というものか?」
『苺花、羞恥心って知ってる?』
彼らの総ツッコミを受けて、彼女はテヘペロ☆とでも効果音がつきそうな苛立つポーズを決めつつ足を止めた。
「おっと、こいつぁうっかり!
そうよね、まず最初は慎みをもって接しなくっちゃあ!」
「最後までもってろ、頼むから!」
「チャキーン! 装備、慎み!」
「裸体に薄イ夜着のみ身につけテ、慎みモ何もあったものじゃナいだろウ」
「でも、これでゼニス様をメロメロにできるかも!」
「此度、来訪したのは従業員であるが」
「なーんだ。じゃあ厚着しよっと」
『色んな意味でいやらしい女よね、アンタって』
ある意味、息ぴったりなやりとりである。
苺花がまともな服を身につけるとほぼ同じくして、部屋の扉が叩かれた。
ヤンがそれに応えると、外から宿の従業員と思わしき声が響いてくる。
「お客様、夜分遅くに申し訳ございません。
ゼニス商会の方が急ぎ取り次いで欲しいとのことで訪ねて来られておるのですが、いかがいたしましょう」
そのセリフに、4人は視線を合わせ小さく頷き合ってから、再度扉を見るのだった。
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「力を貸して欲しい?」
昼間の応接室とは別に、ゼニスの仕事部屋らしき場所に案内された一行。
首を傾げる苺花に、ゼニスは神妙な顔つきで口を開いた。
「もし、了承していただけるのなら……昼間の条件をお飲みします」
瞬間、眉を顰め、彼女は制止の言葉を投げかける。
「お待ちください、ゼニス様。
まだ話の内容を聞いておりませんし、そもそも無理強いは趣味ではありません。
協力自体はやぶさかではないので、まずは事情の説明からお願い致します」
「あ……あぁ、そうですな。
申し訳ない、少々気が急いておりまして」
疲れたように額に手を置き、実は……と続けたゼニスの説明をまとめるとこうだ。
1つ国を挟んで存在する小国の新王が暴君で、彼に無償の物資提供をしろと脅してきた。
しかし、当然のことながら毅然とした態度でそれを拒んだ商王。
そうして新王の怒りを買った彼は、その後、しつこい嫌がらせを受けるようになる。
だが、その嫌がらせすらもゼニスの采配によりことごとく失敗に終わり、ついに痺れを切らした新王は大枚をはたいて裏家業の人間を雇ったらしい。
その人間が今宵屋敷を襲撃し、圧倒的な実力差でもって多くの護衛を屠り、彼の各国売買許可証を奪っていったのだとか。
「狙われたものが私の命ならばまだ良かった。
優秀な従業員や息子たちが後をなんとでもしてくれたでしょう。
しかし、売買許可証を奪われたとあれば、商会は終わりです。
仮に再発行で事なきを得ようとしたところで、1国程度ならばまだしも、全世界分ともなれば、信頼は地に落ち2度とは戻らない。
我が商会に関わる多くの者に少なくない不幸を招くことになるでしょう」
『あらまぁ、いい人。これで年齢と顔さえ圏内ならねぇ』
悔しそうに歯を食いしばるゼニスと、これまた悔しそうに呟きを零す女神。
苺花もいつになく真剣な顔で彼を見ていた。
「……ひとつ、よろしいですか?」
「何でしょう」
彼女の傍に静かに控えるヤンは、そのやりとりを見て空気を読まない質問を投げかけるのではないかと内心落ち着かない。
だが、その心配は杞憂に終わった。
「なぜ、そのような重大な話を私に?」
確かに最もな疑問だった。
彼女が彼と会ったのは昼間の1度きり。
そして、それは今回の話を聞くに足る信頼関係を築くような内容ではなかったはずである。
ゼニスは苺花の言葉に納得の様子で頷き、ゆっくりと返答を紡いだ。
「あなたは常人にはない広い視野をお持ちのようだ。
ゆえに、身内にならんとする今、商会の不利を招く真似はなさらないと判断しました。
長年人を見てきた己の勘を信ずるのならば、昼間の話に嘘もなかった。
そして、この最悪の状況を多少なりとも打破できる可能性のある人物は他に思い浮かばなかったのです」
『へー、天下の商王と呼ばれる男でも思いっきり判断を間違えることがあるのねー。
たとえ嘘をついていなくとも、この歩く非常識の苺花が迷惑をかけないわけがないのにぃ』
声が届かないことを知っているため、女神は言いたい放題である。
唯一、その声の届く苺花もいつもどおりスルーだ。
「そう……ですか。
ありがとうございます。
好きな人に頼られることは、素直に嬉しいですわ」
言って、苺花は珍しく邪気の無い清廉な微笑みを浮かべる。
彼女の笑みにヤンとピ・グー、さらにゼニスまでもが知らず見惚れてしまったのだが、次に告げられた言葉に各々ハッと意識を取り戻した。
「ですが……お話を聞く限り、すでに許可証は破棄されているのではないかと」
「やはり、そう考えますか」
「ええ、残しておく理由がありませんもの。
万一にも取り戻されてしまえば、今宵の苦労は水の泡……ですよね?」
はっきりと希望を打ち砕かれ、うなだれるゼニス。
苺花は難しい顔でうなり、妄想力を総動員させていた。
数分後、ふと背後を振り返ってタマにこう尋ねる。
「ねぇ。タマちゃんなら何とかなるんじゃない?
失った許可証の復元とか」
「ふむ? ……そうさな。
我が人の型を成す過程を応用し、寸分違わぬ許可証を再現することは可能だろう。
だが、さしもの我も1度たりとこの目にしておらぬものを作りあげることは叶わぬよ」
「そっかぁ」
そう呟き、更に考え込もうとする苺花にヤンがふと素朴な疑問を投げかけた。
「というか、それは偽造じゃないのか?」
「えっ、でも全く同じものならもう本物でしょう?」
「ナニ。使ウ者が気にしなけれバ、偽造だろうガ本物だろうガ問題はなイ」
「あー、まぁねぇ」
「身もふたもないが、確かに」
少々の雑談を終え、再度思考に耽る苺花。
想像力に関しては彼女に適うものではないので、武人であるヤンやピ・グーはただ黙ってその場に控えていた。
さらに十数分後。彼女は何かを思いついたかのようにパッと顔を上げ、ゼニスに話しかける。
「ゼニス様、少々お聞きしたいのですが。
許可証を発行した国は、何をもって許可済みの商会を把握しているのでしょうか」
「えっ……あ、はい」
唐突に声をかけられ一瞬動きを止めたゼニスだが、彼女のセリフを即座に反芻し回答を述べた。
「使用される用紙こそ国により異なりますが、売買許可証発行の際には、必ず同様のものを2枚作成します。
そのうちの1枚を商人が貰い受け、もう1枚を控えとして国が厳重に保管するのです。
再発行はその保管された許可証を元に行われ、大抵は少なくない費用がかかります」
「なるほど、ありがとうございます」
ゼニスの話を聞いた苺花は丁寧に礼をした後、ニヤリと勝ち誇ったようなウザい笑みと共に再び口を開く。
「ついでに、所有していた許可証の一覧と世界地図などあればお借りしたいのですが」
「はぁ」
頭上に疑問符を浮かべながらも、頼った手前か彼女に協力の姿勢を見せるゼニス。
すぐに用意された地図を広げ、片手に一覧の本を持ちながら、苺花は何らかの確認作業を始めた。
「えーと、まずは国がぁー、いち、にー、さん……結構あるのねぇ。
許可証をもらっていない国の方が少ないみたい」
「なんだ、イッカ。何をする気だ?」
ヤンに問われ、彼女は視線を地図と本に固定したまま、ごく軽い口調でこう答える。
「タマちゃんは概念的存在だし、物理的な距離なんて本来は関係ないでしょう?
通常の生き物のように肉体に縛られるものじゃないから、この世に存在する魔法はそのまま全てがタマちゃんであり、またそうではないとも言えるわけだ」
「然り」
『えぇー、下位神気の話は塵ほども理解してくれなかったくせに、なんでそういう考え方はできるの?』
「スまン、ヤン。イッカは何を言っていルんダ?」
「いや、俺にもよく……」
「魔法の要素は誰にでもどこにでも存在するものだって、いつかにタマちゃん自身で言ってたし。
ささーっと精霊体で各国のお城に忍び込んで許可証を見てくればいいんじゃない?
まぁ、本当は他の商会に許可証を見せてもらってサインの部分だけゼニス様のものに変えたものを作ってもらおうかと思ったんだけど、ゼニス様だけが持っている許可証がある可能性もあったからねー。
それぞれの国が保管してるなら渡りに船っていうか」
「……ほぅ、やはり苺花の思考は得難く興味深い。
確かに、我の力なれば世界を巡るも容易きこと。
許可証の再現を含め、数刻もかからず終えるであろうな」
『えええぇー、なにこのご都合主義みたいな展開……って、そういえば私が幸運補正をあげたんだったわ』
すでに、呆れ気味のフェロモニー。
2人のやりとりを生ぬるく見守るヤンとピ・グーは、タマに世界中を回らせるという部分だけを理解し複雑そうな表情を浮かべ呟いていた。
「天下の精霊様をとことんアゴでコキ使う気だな、イッカ。
信者がいればとっくに刺されているぞ」
「救いハ、当人同士ガ一切気にしテいなイところカ。
……イっそ信仰に篤イ者が憐レになってくるナ」
「全くだ」
実際は、タマが世界に干渉するなど1千年単位であるかないかという程度なので、全くの無干渉状態よりは余程世の役に立っているのだが、その事実を知るものはここにはいない。
「それで、タマちゃん地図の見方は分かる?」
「うむ、ヤンに習ったゆえ多少はな」
「じゃあねぇ。とりあえず、今いるのはここね?
行ってもらいたいののはココと、ココと……で、あとココを除いた全部の国。
それぞれの王都や首都はこのマークのあるところね。
できれば、朝までに全て用意してもらえると助かるわ」
「理解した。では、すぐに出るとしよう」
「うん、いってらっしゃい。気をつけてねー」
苺花の言葉に小さく口元だけで笑うと、タマは溶けるようにその場から消えていった。
彼が完全に消失したのを確認して、彼女は唖然とするゼニスに向き直りにっこりと笑う。
「と、いうことで。売買許可証の件、何とかなりそうですわ」
よくよく考えれば彼女自身は何もしていないのだが、その時心底疲れきっていたゼニスには、苺花が救いの女神のごとく眩しい存在に見えてしまっていたのだという……。
合掌。




