第12話 薄っぺらな嘘
さて、一行は道中多少魔物の襲撃に見舞われつつもそれを蹴散らし、ついに目的地である西大陸最大都市モスティオへと到着していた。
世界に名を轟かせるゼニスが拠点としているだけあって、都市内の整備は行き届いており、苺花たち4名が横に並んで歩こうともまだ倍は余裕がありそうな石畳の大通りでは、見るも鮮やかな多種多様の人々が忙しなく往来している。
巨大な都市内部は細かく区画分けされており、代表的なものは観光区、商業区、工業区、市民等級により分割された住居区などで、各区ごとの移動は多数商会からの出資による無料周回馬車によって行われているようだった。
苺花たちが向かっているのは当然、ゼニスの商会があるであろう商業区である。
人目を集めない意味でも、彼女は馬車内から都市の様子を眺めるにとどめた。
そのうちに、馬車は一見城とも見紛う5階建ての豪華絢爛な屋敷へと到着した。
苺花以外のハーレムメンバーは、少々緊張した面持ちで手荷物を纏め始める。
ちなみに当の本人はそれを手伝いもせず、ただ期待にあふれる眼差しで屋敷を眺め続けていた。
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屋敷内部の廊下には毛足長めの細かな刺繍のなされた深緑色の絨毯が敷かれていて、さらに、そこかしこに一流と思わしき装飾品や調度品が設置されいる。
苺花はそれが華美になりすぎない絶妙な飾り方であることに感心していたが、慣れないヤンとピ・グーは等間隔に立っている警備兵の手前平静を保っているように見せつつも、どこか落ちつかなげな雰囲気を纏っていた。
人目さえなければ、今にも「帰ろう」と声をかけてきそうだ。
応接室と思わしき部屋に通され、案内の男に促されるまま苺花は3人がけのソファの中央にゆっくりと腰を下ろす。
追ってヤンがそのソファの右側に立ち、同様にピ・グーが左へ、タマは背後に位置取り、それぞれいかにも護衛ですといった体で彼女の傍らに控えた。
事前の打ち合わせの通りの行動なので、それを苺花が咎めることはない。
無駄に話をしないのは、一応盗み聞きなどの可能性を視野に入れてのことだ。
用意された紅茶と茶請けのスコーンのような洋菓子を半分ほど消費したところで、ようやく扉にノックがかかる。
ヤンとピ・グーが微動だにしないあたり、どこか慣れというものを感じさせた。
過去護衛として雇われた経験でもあるのだろうかと考えつつ立ち上がり、軽く身だしなみを整える苺花。
それを終えるとほぼ同時に扉が開き、そこから1人の壮年男性が穏やかな微笑を湛えつつ入室してきた。
「大変お待たせいたしました。
私が当商会の会長。ゼニス・ゲー・アルノンデスでございます」
己の前に立ったゼニスに握手を求められ、苺花は素直にそれに応じる。
ちなみに、彼の名についている「ゲー」は商いに携わる者につけられるもので、西大陸では己の生業を家名の前に入れ込むという古くからの習慣があった。
苺花にはぜひ、イチカ・ビッチ・トウドウとでも名乗って欲しいものである。
「ご丁寧にありがとうございます。
私はイチカ・トウドウ。どうぞ、イッカとお呼びください。
お噂はかねがね。お目にかかれて光栄ですわ、ゼニス様」
いつものテンションをひた隠し、まるでどこぞの貴族令嬢のような立ち振る舞いを見せる彼女に、秘かにヤンが鳥肌を立てた。
一方のピ・グーは、ゼニスの人となりを見抜くべく横目に鋭い観察眼を飛ばしている。
ついでに、タマはただボーっとしていた。
ゼニスにはまだその存在を認識されていない。
彼女があえて猫を被っているのは、必要であれば場に相応しい演技も可能であるという事前のパフォーマンスである。
ファンになったキャラクターの言動を真似ることが好きだというイタいオタクであった苺花は、意外に凝り性なこともあって多くの知識と技術を獲得していた。
武将オタクの女性が、自然と歴史に詳しくなる流れに近いのかもしれない。
とはいえ、素人が表面だけをなぞったところで真の玄人に迫れようはずもなく、苺花も己自身にそこまでの完成度を求めてはいなかったため、そのほとんどが三流の人間は騙せても一流の人間には通用しない中途半端な出来になってしまっていた。
(うん、見た目は悪くないわね。私の趣味的な意味で)
『えぇー。どこにでもいそうなオジサンじゃないの。
むしろ、私的にはかなり残念な部類に入るんだけど』
(替え玉という可能性を捨てれば、このシケた顔で有能商人って中々ギャップ萌えじゃないです?)
『ギャップ萌えって言っときゃ、何でも許されると思うんじゃないわよ』
優しげだが、どこか冴えないオーラ。
太ってはいないが、年相応といった中肉中背のオッサン体型。
少し垂れ気味の眉毛と目、それを覆う厚めの丸眼鏡。大きめの鼻と浮き出た頬骨。
チョビリと申し訳程度に生えた口髭と顎髭に、禿散らかった頭皮。
だのに、西大陸の習慣により長く伸ばされた後ろ髪が、ものの憐れを誘う。
彼女らの前に現れたゼニスは、商王の名に相応しからぬ窓際族のごとき侘しい様相を呈していた。
苺花がほんの少しとはいえ、替え玉の可能性を視野に入れてしまったのも無理はないだろう。
(ていうかね! よくよく聞くと彼の声、あの塩沢さんとクリソツなんですよ!
っあーー、やばい! 色気がやばい!
シケ面に声だけ壮絶な色気というギャップもイイヨイイヨー!
通常状態もいいけど、カマっぽいしゃべり方めっちゃ希望!)
『あのって言われても分からないし、だいたい他人に個人的な嗜好を押し付けるのはどうかと思うわよ?』
(ふぉぅ、女神様だけには言われたくないセリフきたーーー!)
『はいぃ?
私はアンタみたいに無理やりの交渉なんてしーてーまーせーんー』
(あれ、最初のとき思考阻害の術がどうとか言ってませんでしたっけ?
あっるぇーぇ?)
『っく、イヤミったらしい!
なんでそんな余計なことばかり覚えているのよ!?』
脳内で女神とじゃれ合っているおかげで微笑みを浮かべたまま黙り込んでしまった苺花に、ゼニスが僅かに首を傾げて話を促す。
「それで、本日はどういったご用件で?
部下から伺った話では、何やら私めに内密かつ重大なご相談があると……」
彼に声を掛けられたことで意識を戻し、苺花はキリリと顔を引き締め頷く。
「はい。
失礼は重々承知の上で申し上げますが、実はゼニス様に厚かましくも叶えていただきたい願いがございまして」
「願い、ですか?」
ゼニスは彼女の発言にも笑顔を崩さない。
唐突に見知らぬ人間から無理難題をふっかけられるのは、おそらく初めてではないのだろう。
「とは言っても、一方的にお力を借りようなどとは勿論考えておりません。
双方に益のあるお話にできればと思っております」
「……要領を得ませんな。願いとは何なのです?」
ずばり尋ねられて、彼女はひとつ覚悟のため息をついてからこう口にした。
「単刀直入に申し上げますと……ゼニス様。
どうか、私の伴侶となってはいただけないでしょうか」
告げられた瞬間、ほのかに眉を動かしたゼニスだが、すぐに表情を取り繕い再び先ほどと同じ笑顔を浮かべる。
どんなに貧相な顔面をしていても、やはりこれは商王であるのだと苺花は心の中で頷いた。
「なぜ……と、お聞きしても?」
「ふふ、ゼニス様。これはプロポーズなのです。
となれば、理由など1つしかありませんでしょう?」
にこりと笑みを深くしてそう返すと、彼はヒゲを撫でつけながら苦笑い気味に口を開く。
「ご冗談を。
これが一般的な求婚であるとおっしゃるのなら、なぜ益などという言葉が必要になりましょう」
「ゼニス様は商人でいらっしゃいますもの。
ただ愛を囁くよりは、よほど安心して話を聞いていただけるのではという愚鈍な女の浅知恵ですわ」
「……ほぅ」
彼女の言葉に目を細め、ゼニスは先ほどまで纏っていた穏やかな空気を一変させた。
「イッカ殿。妻亡き後、私に求婚してくる女性は現在に至るまで絶えもきらない状況です」
「えぇ、お察し致します」
「その中には当然、貴方の言う益のある関係を築けるであろう方もおりました。
それでも、こうして独り身に甘んじている理由を貴方はご存知でしょうか」
唐突な彼の問いかけに、苺花は緩く首を横に振る。
「いいえ。いくつか想像はしておりますけれど」
「ふむ、例えばどの様な?」
「少々長くなりますが、よろしいでしょうか」
「……どうぞ」
彼の答えに間があったのは、彼女のセリフに疑問を持ったからだ。
ゼニスには、苺花の言うような「長くなる」理由というものが想像できなかった。
彼女の妄想癖を知らないことで、ゼニスはこの後の喜劇……いや、悲劇を呼んでしまう。
真剣な眼差しを向け、おもむろに口を開く苺花。
ちなみに、以下読み飛ばし可である。
「ひとつは、亡き奥様に操を立てていらっしゃるということ。
理由は今でも彼女を愛しているから、さらに、それの進化系で奥様以上の女性はいないと思っているから、それと、罪悪感を感じているパターンなどもありますね。
その場合、殺した、死に目に会えなかった、直前に喧嘩をしてしまった、自身の言動が彼女を死に追いやった、守れず殺されたからなど多様な原因が考えられます。
次に、実はゼニス様が偽装結婚をしていた可能性ですね。
本当は女性を愛せず、それを隠すために事情を知る奥様と結婚していた。
何とか次代も産んでもらい順当に育っている今、わざわざもう一度誰かと結婚をしバレるリスクを冒す必要はないでしょう。
3つめは、息子さんたちの幸福を最優先に考えているということ。
子供たちが結婚や独り立ちなどをするまで自分を後回しに、と考える保護者も世の中にはおりますね。
後は、結婚のできない事情を持つ愛人がいらっしゃるなんてこともあるでしょう。
それが完全に内密であるか、身内の間で公認の存在であるかは分かりませんけれど。
それから、最初とは逆に奥様の態度があまりにも恐ろしいものであったため、女性に対し恐怖を抱いてしまったということも有り得ます。
結婚後に態度が大きく変わってしまう、これは男女共に有り得ない話ではありません。
恐怖までいかずとも、懲りてしまったというのであれば、敢えて必要のない結婚をしようとは思わないでしょう。
あとは、忙しすぎて女性にかまけている暇がないとお考えになっているとか。
大なり小なり、女というものは面倒くさい生き物ですもの。そのように結論付けて忌避してしまうのも無理はありません。
また、女性が恋愛対象でも特殊な性癖を持っていらっしゃる場合。
それならば、普通の女性は受け入れられないと考えるのは当然のことです。
世間に隠す必要もあるでしょうから、慎重になるのも分かります。
他にも……あら、ゼニス様?」
色々な意味で酷い妄想を垂れ流しまくる苺花。
相手によっては名誉毀損で訴えられたり、怒りによってその場で切り捨てられたりしてもおかしくないだろう。
気がつけば、ゼニスのみならず傍に控えているヤンとピ・グーまでもが盛大に顔を引きつらせていた。
なぜか、タマだけは彼女の想像の域の広さに感心しているようだったが。
『なぁんか、アンタの間口が異様に広い理由が分かった気がするわ……』
どこかウンザリしたような口調で女神が言う。
幾度か瞬きをしたのち、苺花は周囲の不可解な状況にただただ首を傾げるのであった。




