朱熹を呼ぶ③
亡くなった上皇も生前に朱熹の博識の噂を耳にしたので朝廷で働いてもらおうと何度も使者を寄越したのだが、彼の答えはいつも、「完成させたい書物がある」、「気分がすぐれない」といったものだった。
こんないたちごっこがずっと続いたので、さすがの上皇も頭にきたらしく朱熹を放置することになった。
朱熹は後世、朱子と呼ばれ朱子学の開祖としてあがめられ、その学問は江戸時代には幕府の御用達の学問となるのである。
しかし、そんなこと今ここにいる趙汝愚や李明は知るよしもなかった。
「こうなったら無理にでも朱熹を呼び出そう。李明、すまないが使者として行ってくれ」
「構いませんが大丈夫なのですか?今まで呼んでも断られたのでしょう。今度も断られるのではないのですか?」
「案ずるな。朱熹と私は十年来の友人だ。私が嘆願の手紙を書くから、それさえ読めば彼も納得してくれるはずだ」
「へえ、友達がいたのですか。意外ですね。俺はそっちの方が驚きですね」
「お前、あんまり口がすぎると給料を払うのやめるぞ」
「すいません。それから趙汝愚様、俺から一つお願いがあります」
「なんだ?」
「旅費をください」
李明は、ねだるように両手を差し出した。
溜息をついた趙汝愚だったが、長旅なので旅費を出してやるのは主人として当然の義務だった。これはけちをするわけにはいかなかった。
確か朱熹が現在住んでいるのは潭州なので、ゆっくり行っても一月ぐらいはかかるのではないだろうか。
「分かった。それじゃあ旅費を少々出そう。さらに我が家の馬も使っていいぞ」
「ありがとうございます。実は『使者として行け』と言われた瞬間に頭の中で計算しました。まずは宿の宿泊代、それから旅の食事代、旅で衣服が汚れた時の替えの衣服代、妓館に寄る代金に、それから……」
「待て!私から何を徴収しようとしているんだ。寄り道せずに帰って来い」
結局、旅費は李明の予想より大幅減額となった。
***
李明が出立した翌日、早くも趙汝愚が留正に提案した案が実行されていた。
陳騤は知枢密院事を解任となり、参知政事に移動となった。
わけが分からないという状態の陳騤だったが、何も反論ができぬまま言う通りにするしかなかった。
同日には余端礼が同知枢密院事を辞任して、陳騤と同じ参知政事へと移動した。
趙汝愚が聞いてもうつむいてばかりで、何も言わなかった。どうやら彼は自分と留正が何か企んだことに感づいたようだ。
速い話とばっちりをくらいたくないので、自分も消えることにしたようだ。




