朱熹を呼ぶ①
翌日朝早く、趙汝愚は留正の屋敷へと向かった。まだ朝食の最中だった留正は、趙汝愚が話しているのを食べながら聞き入っていた。
「趙汝愚殿、わざわざそなた自ら書物を返しに来なくてもよいのに。そんな仕事は使用人にやらせればよいではないか」
口に肉の脂を付着させながら話している留正に眉をひそめそうになるのをこらえながらも、趙汝愚は自分の話をすることにした。
「おっしゃる通り、このような事は使用人のすることです。ですが、今日はどうしても留正殿と話しておきたい事がありまして自らやって来た次第です」
「という事は、右丞相就任の件を受けてくれるのですかな?」
「いやいや、そっちではないのです。実は私を枢密使に就任させてくれませんか?」
「枢密使だと?」
不可思議なことを言うものだった。留正はいまいち分からず、首をかしげた。実は今、趙汝愚が就任している知枢密院事も彼が就任したがっている枢密使も名前が違うだけで、軍政担当の枢密院の長官という意味ではまったく同じだった。
ただ枢密使に就任している人物は長い間おらず、ずっと知枢密院事が多かっただけである。
「なんでまたあんな古いものに就きたがるのだ?」
「私は同じものは二つも必要無いと思っています」
「どういう意味だ?」
「どこかの誰かが知枢密院事だと知った時は驚きました」
「うん?……あっ!」
さすがに留正も鈍感ではなかった。名前を言わずとも誰だか分かったのである。まずいところを突かれてしまった。陳騤と趙汝愚の仲が良くないのは知っていた。
しかし仕方がなかったのである。
「趙汝愚殿、すまん。これにはわけがあるんだ……」
「あるのだったらいくらでも聞きましょう。まさか陳騤に脅されたのですか?」
「そうなんだよ。あいつが私の屋敷にやって来て、無理やり政権に入れろと……そうじゃないと、知り合いの言路官を使って……」
最後の付近は口をもごもごさせて、よく聞き取れなかったが、どうやら陳騤に脅迫を受けたのは間違いないようである。この男なら、あっさりと降服しても仕方がない。
趙汝愚は、深い溜息をついた。
「分かりました。あなたもつらい立場だったでしょう。ですが、よく考えてください。このまま奴の言いなりになってもいいのですか?一回聞いたら、おしまいですよ。どんどん吹っかけてくるはずです。次第に要求がひどくなってきますよ」
「なんだと?どうしよう……教えてくれ、趙汝愚殿」
やれやれ、と趙汝愚は内心あきれ果てた。こんな男が政権を持つことになるなんて、先が思いやられる。これは一月も持たないかもしれなかった。




