愛人とは
「な、なに? 愛人って、何言ってるの? どういうこと?」
「あれ? たくちゃん、もしかして愛人の意味知らない?」
首を傾げてどこか呑気な調子でかなちゃんが聞いてくる。意味じゃねーよ! と言おうとして、でもそれより先にかなちゃんが、もっと驚くことを言った。
「愛人って言うのは、準結婚相手みたいなものだよ。形式は人によるけど、法律的には、結婚していない人と愛人関係を結んだなら殆ど結婚関係と同じくらいの関係になるよ」
「ほうりつ?」
え? ちょっと、ちょっと待った。え、法律? 法律的に愛人が認められているってこと?
予想外の連続で、頭がパンクしそうだ。くらくらしてきて、頭を抑える。
「えっと、ちょっと説明しようか。一回座って、落ち着いて。市子ちゃんからだと恥ずかしいだろうから、私からするね」
「う、うん」
「うん、お願い」
すぐ近くのベンチに座る。2人が心配そうに見てくる。かなちゃんが僕の隣に座って、愛人について説明してくれた。
僕の認識では、愛人と言うのはいわゆる不倫相手と言うか、結婚して正式な相手がいるのに浮気している相手をさすと思っていた。何というか、法律的には悪者って言うか、後ろめたい存在と言う認識だった。
だけどこっちの世界では、愛人と言うのは法律的にも定められた存在だった。結婚するのと同じような手続きで役所的に法律的に認められた関係だ。婚姻関係の相手がいれば基本的にその人が相手の生活を保障しあうけど、愛人はその次に保障する義務があるらしい。
とかなんとか、システム的な詳細とかも色々教えてもらったけど、あまり頭には入ってこなかった。
だって、愛人って。こっちの僕は結婚とか法律とか興味がなくて調べないしテレビでやってても耳に入って来なかったんだろうけど、要は人口比の為に一夫多妻が合法だってことだ。そしてつまり、何の後ろめたいこともなく、市子ちゃんは僕の二人目の恋人に立候補してきたってことだ。かなちゃんの許可も得て。
「……」
まず感じたのは、さっき思ったのと同じだ。かなちゃんは、どういうつもり? 僕のことどう思ってるの?
だって、法律的にオッケーとか、そういう問題じゃなくない? だって好きなら独占したいし、僕は絶対かなちゃんが他の男の子ともなんて嫌だ。どうして、市子ちゃんが告白するって言われて、了承したの? 僕なら断ると信じた? それとも。
「かなちゃんは、僕が愛人をつくってもいいの? 何とも思わないの?」
「えっと、あのね、愛人って言うのは結構推進されてる政策で、仮にたくちゃんが私をその、結婚してくれたとして、たくちゃんが他に愛人をつくるのをとめる権利はないん」
「権利の話なんてしてないでしょ!」
思いのほか、大きな声が出てしまった。だって、そんなの、誤魔化しだ。僕は本心が聞きたいんだ。これが、本当にこの世界の一般的な普通の人ならみんななんの抵抗もない話だと言うなら、僕がおかしいのかもしれない。世間を知らない引きこもりだった僕がおかしいのかもしれない。
でもそうじゃなければ、僕はいったい、どんな顔をすればいい? ほんの少し前に、両想いになれたと浮かれていたのに、かなちゃんはあんなに僕を求めた癖に、僕ほどに一途に恋していたわけじゃなくて、ただただ体目当てだったから、独り占めしたいとかはないの? そういうことだったの?
僕の言葉に、かなちゃんは眉を寄せて、半笑いみたいな顔になる。その顔に、少しだけ安堵する。今のは誤魔化しで、本気で僕の質問が分からないほど、僕らの意識がずれていたわけじゃないんだ。
「ご、ごめん……その、わかった。真面目に話すよ。えっと、ごめん、ちょっと2人で話してもいい?」
「あ、うん。わかった。外すから、終わったら呼んで」
「ごめんね、市子ちゃん。告白したばかりなのに」
「気にしないでいいよ。行くよ、歩」
「は、はい」
市子ちゃんには悪いけど、二人にしてもらう。今は市子ちゃんの気持ちに一喜一憂してられない。それよりも、かなちゃんの気持ちの方が重要だ。
二人の背中が小さくなったのを確認してから、かなちゃんは僕をじっと正面から見た。その顔は、何故か笑いを耐えているようにも、泣くのを堪えているようにも見えた。
どういう感情なのか、読み取れない。思えば昔から、かなちゃんはそういうところがある。いつも困ったような笑顔で、本気で怒ったり悲しんだりしているのか、判断着かないところがあった。
「あのね、たくちゃん、まず勘違いしないでほしいんだけど、私はちゃんとたくちゃんのこと好きだよ。その、もしたくちゃんがいいって言ってくれるなら結婚してほしいし、してくれなくてもずっと一緒に死ぬまでいるくらい好きだよ」
「あ、う、うん……」
かなちゃんの言葉に、僕は揺れていた心が落ち着くのを実感しながら、視線をおとす。恥ずかしい。かなちゃんを疑うようなことを言ってしまった。
言われてみれば、かなちゃんの言葉も行動も、今この瞬間まで疑うところは一切なかったのだ。なのに、簡単に疑った。疑り深くて自分勝手な気持ちを押し付けて、すぐカッとなってしまう。そんな自分が嫌になる。
「ごめん、かなちゃん。いやでも、じゃあなんなの? あの流れは。その、市子ちゃんが僕を好きなのは、この言い方はおかしいけど、いいとして、かなちゃんがそれを良しとして僕に愛人になるのを目の前で見守るって、どういうことなの? どういう感情なの? 僕はかなちゃんを好きだから、独占したいけど、女の子はそうでもないの?」
「そんなことないよ。そりゃあ、できるなら私はたくちゃんを独占したいよ。でも、法的にもそうだけど、私にはそれを止める資格はないから」
「資格なんて、恋人だから以上にいる? 僕らは今恋人だから、お互いに法的な縛りなんてないよ。でも僕は、かなちゃんが他の人とも恋人になるなんて絶対許さないから」
違法じゃないとか、合法とか、昔に間違ったからとか、そんなのは全然関係ない。僕はかなちゃんの気持ちを聞いているんだ。今の僕らの関係に、それ以外は必要じゃない。
「そういうことじゃなくて……私はたまに、恐いんだ。また、たくちゃんに無理強いをしてしまうんじゃないかって。今はまだ自制していても、いつか、何かしてしまうかもしれない。そんな時、たくちゃんには逃げ場所があってほしいんだ。対抗できる人が、私と対等で私からたくちゃんを守ってくれる人が、いてほしいんだ」
「……」
僕は、何といえばいいのかわからなくなった。そんなの必要ない、とは思う。
僕はもうかなちゃんの全てを受け入れたし、その時の強引さももう怖くはなかった。だけど、今後も絶対とは言えない。そんなのは世の中すべてに言えることだけど、其の時の為に保険をかけたいと言う理屈はわかる。
そして、万が一を恐れている、と言うのも紛れもなくかなちゃんの気持ちには違いない。むしろ、そんなことを考えていたのか、と何だか不思議な気持ちだ。きっと僕と同じくらい好きなはずなのに、そこまで僕の立場で案じてくれていたのか。
「だから、僕に愛人をつくらせようとしてるの?」
「してるって程じゃないよ。たくちゃんが、他の女の子に全然興味がないって言うなら、無理強いするつもりなんて全然ない。ただたくちゃんの気持ちのままにしてくれれば、私としても不満はないし、むしろ安心するってだけ」
そういう意味で、あの時意味深に頷いたの? ちょっと紛らわしい。
まあ、それはいい。でも、とりあえず言いたいことはわかった。うん。あんなに怒るほどじゃなかった。
「なら僕の答えはきまってるよ。恋人はかなちゃんだけで十分だ」
「え、本当に? 嬉しいけど、でもたくちゃん、他の女の子に全然興味ないの? 結構たくちゃんってむっつりスケベだし、興味しんしんだと思ってた。だからこそ、たくちゃんに正面から話をしてもらったのに」
「…………」
ちょ、ちょっと、待って。え? 興味って、そういうレベルの話なの? 愛人って、普通にちゃんとしたもう一人の恋人じゃなくて、せ、セフレ的な、そういうレベルの話なの?
「……」
「……どうなの?」
「ど、どどどうって」
そんな、え、ってか、その、か、体的な意味だけなら、その、な、なくはないって言うか。だって、かなちゃんでもあんな感じで、結局疲れたりはしても痛いとかなくてむしろずっと気持ちよかったわけだし。
他の女の子だって、その、結構色々女の子の友達増えたけど、可愛い子結構いるし、意識しないかって言われたら。僕だって、男だし、向こうでの意識もそうだけど、そりゃ、ちょっとくらい、うん。っても別にそんな、そういう目的とか、そういう目で見るために友達増やしたわけじゃなくて、僕は純粋に。
いろんな言葉が頭を回って、でも適切な言葉なんてちっともわからなくて、口を開いては閉じる僕に、かなちゃんはくすりと笑った。




