何でもない一日
「それでは、一年間お疲れさまでした。二年生になれば、担任は変わりますが、授業では会うこともあります。また皆さんの元気な姿を見せてくださいね」
先生の挨拶が終わり、一年生最後の登校日が終了した。今日で、僕の長かった高校生活一年目が終わる。明日からは春休みだ。
先生が教室を出ると、途端に教室は騒がしくなる。僕は何となく、そのまま窓から外を見ている。見慣れたこの風景も、もう終わりか。教室が変わるんだもんな。
この一年、思えばすごくいろんなことがあって、めちゃくちゃ長かったんだけど、終わってみればあっという間だった気がする。
「たくちゃん、なに黄昏てるの? 可愛いよ?」
「何言ってんの?」
春休みだからって頭の中まで春になってしまったみたいな発言をするかなちゃんは、僕のツッコみをスルーして窓の外を覗き込むように一瞥する。
「何にもないよ?」
「別に、何ってことはないけど、何ていうか、この一年、色々あったなーって」
「……そうだね」
遠い目をしたかなちゃんは、何を思い出しているんだろう。だけどそれを聞くのは何だかはばかられて、僕は右側の席を見た。市子ちゃんと歩ちゃんが、成績表を見せ合っている。
「おーい、なにゆっくりしてんだ? 帰らないの?」
「ちょうどいいところに! 勝負ですよ!」
智子ちゃんが自分の席から鞄を担いでやってきた。歩ちゃんがばっと勢いよく立ち上がり、成績表片手に詰め寄る。
僕らも混ざって成績表を比べあう。あえて詳細は公表しないけど、トップはかなちゃん、ドべは智子ちゃんだった。何という、面白みのない結果だ。
しょうがないので、みんなでだらだらしながら下校し、次は週末に集まってお花見することを約束して、解散する。
「あ、加恋も大丈夫だって」
家に向かいながら、加恋もそのお花見に誘ったところ、OKがでたらしくかなちゃんが携帯電話を軽く振って示しながら報告してくれた。
僕の方ではお姉ちゃんも誘っていて、そっちからも返事がきた。友達の大盛先輩もくるらしい。お母さんも誘おうとか言ってきている。思い付きで言い出したのに、なんだか段々大所帯になってきたなぁ。
「え、おばさんも? えー、じゃあ、私もお母さん誘った方がいいの? え、みんなにも言った方がいい?」
「いや、いやー、やっぱお母さんはいいよ。家族だけで行くことにする」
お姉ちゃんにもそう伝えると、こだわりがあったわけではなく、そうか、と普通に返ってきた。かなちゃんにもそれを言うと、慌てた様子からほっとしたように胸をなでおろした。
「いやー、びびったー。だって、あ、もちろん嫌なわけじゃないけど、なんかこう、ね? 親を交えての挨拶的な感じになっちゃうじゃん? しかも急だし、野外だし」
「さすがにね。ていうかみんなって言うか、歩ちゃんもいるのに、さすがにね」
それはそれとしてちゃんと挨拶しなきゃとは思うけど、でも、もしそうなったら、僕が歩ちゃんの立場ならめっちゃ肩身狭いわ。歩ちゃんまで親呼んだらさらに意味わからないし。いや、一見家族ぐるみの普通の円かいっぽいけど、ほぼ僕の恋人って言うのが、改めて考えると狂気的ですらある。
「それねー。普通に考えたら、罰ゲームだよね」
「そうだと思うけど、言い方考えようよ」
「それはともかく、もうすぐ、一年だね」
「ん? ああ、うん。そうだね」
急に話変えてきた。話の流れが悪くなったと思うとすぐこれだよ、とは思ったけど、でもそれは僕も考えてはいたことだ。
今日はすごく、天気がいい。あの日、全然、何にも感じなかったから、曖昧だけど、あの日も天気はよかったんだろうか。少なくとも雨とか、極端に暑かったり寒かったりしなかった。
「ねぇ、ちょっと、散歩しない?」
なんとなく、そんな気持ちになって、そう提案する。あの日を振り返ろうってほどじゃないけど、何となく、そうしたい気になった。
「え、荷物もったまま?」
「言うほど荷物ないじゃん」
だと言うのに全然察してくれない。えー? なんか意味ありげに一年だね、とか言ったくせに。
「あの日、行けなかったコンビニ行こうよ」
「え、ええっ!? ほ、本気で?」
「えー。なにそんなびっくりしてるの?」
「いやだって、ずっと避けてたじゃん」
「避けてたって。まぁ、そうだけど、そう言うと大げさじゃない?」
別に、トラウマとか恐くて道を渡れないとかバイク見れない、なんてことはない。でも事故った場所だ。何となく敬遠してしまって、少なくとも事故った横断歩道はわたらなかった。
でもそういうのも、やめよう。これでキリをつけよう。僕は、あの日から変わった。少なくとも今は、そう自信をもって言えるし、これからもっと変わって行くんだ。
なら、今日と言う日をケジメにしよう。本当にちょうど一年でもない、ただの終業式の日だ。でも思い立ったのが今日だから、今日にしよう。そのくらいいい加減なほうが、僕らしい。
「トラウマとかになってないの?」
「なってないよ。かなちゃんは、僕を甘やかし過ぎ」
「それはしょうがないよ。だって、好きな男の子を甘やかさなくちゃ、女がすたるでしょ」
「……」
さらっと、そういう事言う。うーん。普通に照れる。でも、照れてばかりじゃ、話がすすまない。僕はごほんとわざとらしく咳ばらいをする。
「それじゃあ、僕と一緒に散歩してくれるんでしょ?」
「うん、もちろん」
そうと決まれば話は早い。僕らは手を繋いでさっさと家を通り越して、コンビニへ向かった。ここ一年ほどご無沙汰とは言え、さんざん行き慣れたコンビニだ。距離だって近い。今更迷うなんてこともなく、特に感慨にふけることもなく、あっさりとコンビニ前の信号までついた。
赤信号だったので立ち止まる。少しだけ、緊張してきた。避けてきた時間があるだけに、もしかして、渡ったら何かあるんじゃないかと頭が思い込んでいるのかもしれない。
かなちゃんの手を握る力を強くして、誤魔化すように肩掛け鞄を担ぎなおす。
「たくちゃん、大丈夫?」
握り返しながら僕の顔を心配そうに見つめてくるかなちゃんに、僕は不安だった心が消えていくのを感じた。
大丈夫だ。だって、あの時と今は違う。あの時、僕はかなちゃんと反対側にいた、いや、僕とかなちゃんは並んでいたけど、一歩前後にずれていて、手も繋いでいなかった。
どちらにせよ、今とは違うんだ。
「ん。大丈夫だよ。だって、もしもがあっても、今度こそ、かなちゃんが守ってくれるんでしょ?」
「! うん! もちろん!」
今はこうして、かなちゃんと笑顔を見せあって、一番近くにいるんだ。だから、きっと大丈夫だ。
信号が変わって、歩き出す。さっきまでの緊張が嘘のように、僕の心は平静だし、もちろん世界もごく普通だ。バイクも車もやってこない。
何事もなく、僕らはコンビニに到着した。
「よし。やったね、克服だ」
「うん。まぁ、わかってたけどね」
「あはは、じゃあ私がお祝いに、なにかお菓子買ってあげる」
「じゃあ、アイスにしない? 結構あったかいしさ」
「いいね」
アイスを買って、店を出て二人で並んで、入り口脇のベンチに座って食べる。日差しはあたたかく、アイスは冷たくて、美味しい。
「ねぇかなちゃん」
「なに?」
「ありがとう」
「ん、いいよ。別に。アイスくらい」
かなちゃんの反応に、僕はちょっと笑ってしまう。さっき買った時もレジ前で言ったのに、アイスのことで何回お礼言うと思ってるの?
「アイスじゃないよ」
「え? 他に何かあるっけ」
きょとんとするかなちゃんに、何だかおかしくて、僕は照れくささも吹き飛ばすように笑いながら答える。
「僕の傍にいてくれたから、だよ」
僕の答えに、かなちゃんは少しだけ驚いたみたいに目をまるくしてから、ふっと、優しく微笑んだ。
「……そんなの、当たり前だよ。ていうか、いてくれた、じゃないでしょ?」
「え? ああ、かなちゃんからしたら、いさせてくれた、ってこと?」
「それはそうだけど、そうじゃなくて、過去形じゃなくて、進行形ってこと。いてくれる、ってせめて言ってよ」
「ああ……それもそうだね」
まるで、終わったみたいな言い方だった。反省。
頷く僕に、かなちゃんはにっと笑って、空いている左手をのばして、強引に僕の左手をとった。
「うん。もちろん、これからもずっと、一緒にいるよ。いさせてください」
「うん。ずっと、一緒にいてください」
プロポーズ染みた言葉なのに、隣り合ってお互い左手を繋ぐなんて、格好付かない。だけどしょうがない。アイスを食べているんだから。
それに、めちゃくちゃで格好悪いくらいでも、僕は今もすごく嬉しくて、幸せな気持ちになっている。だから僕らにはちょうどいい。格好良く素敵に無敵な日々をずっと何て、土台無理な話だ。めちゃくちゃで、喧嘩をしながらでもいい。今日みたいになんでもない特別じゃない日を重ねていこう。きっとそれが、幸せってことなんだ。
何でもない一日を、特別じゃない一日をずっと、一緒にすごそう。そして、当たり前みたいにずっと、幸せにすごすんだ。
僕らは幸福な未来を想像して目を細めて、アイスを食べた。
おしまい。




