電車内で
いよいよ、明日は文化祭だ。今日は放課後から、机を片付けて、暗幕を張ったりと用意をしていた。どうしてもいつもより遅い時間になってしまった。
いつも、通勤ラッシュには被らないよう、早めに家を出て、早めに家に帰っているので、今日の人ごみは見るだけでうんざりする。この電車、こんなに人が利用しているのかと驚くくらいだ。
「大丈夫? たくちゃん。おばさんに迎えに来てもらう?」
「え、大丈夫だよ。普通に。ちょっと混んでるくらい」
「でも、恐くない?」
言われてみて、少し考えてみる。駅のホームにこれだけ並んでいる人が、すでに人が乗っている電車に全員乗り込むのだ。きっとぎゅうぎゅうだ。
全然知らない女の人と、肩とか触れ合う距離なのだ。……ぞわっとする。でも、反対側にかなちゃんがいるとしたら? ……うん、いける。大丈夫。
「かなちゃんがいるから大丈夫だよ」
「へ、う、が、頑張るよっ」
僕の答えに、かなちゃんは気合を入れたように両手を胸の前で握ってうなずいた。そこまで頑張らなくてもいいけど。まあ、混んでいるからって、そんな変なことする人なんていないでしょ。
そもそも、僕に変なことしてきたのってかなちゃんだけだし、いくら男女逆転してるっていっても、法律がちがちなだけに、そこらに犯罪者って滅多にいないもん。テレビの中だけだよ。
「あ、電車きましたよ」
みんなで電車に乗り込む。当然、みんな一緒なので、普通にみんなが僕を囲うように乗ってくれた。何の問題もない。ただ、普通にぎゅうぎゅうではある。
「ご、ごめん、卓也君」
「大丈夫だよ、市子ちゃん。みんなくっついてるから」
謝られたけど、気にする必要はない。不可抗力なわけだし。友達とか関係なくても、この状況でぶつかっているくらいで、腹を立てたりするほうが間違っている。
もっと恐かったりするかな、と思ってたけど、友達だからか全然そんなことなくて、むしろなんかちょっと、いいねって感じ。女の子にぎゅうぎゅうされている感じは、どこも柔らかい感じで、悪くない。ちょっとだけ、混ざり合ったなんか制汗剤? の匂いは微妙な感じだけど。
「はー。やっとついた」
「じゃあまた明日、さよならでーす」
順番に別れて、僕とかなちゃんの二人になった。幸い僕は扉のすぐそばを確保できたけど、また乗客は増えて、相変わらず混んでいる。あと僕らの駅まで2駅だ。かなちゃんが僕の背中から覆いかぶさっている形でドアとかなちゃんに挟まれていてかなり狭いけど、まあ耐えられる。
「ん?」
と思っていると、ふいにお尻のところで何かが動いた。振り向くと、かなちゃんと目が合う。にこっと微笑まれた。あからさまにお尻を揉まれた。おいおいおいっ。なに笑ってるんですかねぇ!
「ちょっと、かなちゃん、やめてよっ」
「え、なに?」
きょとんとするかなちゃんに苛立ち、思い切って振り払ってやろうかと思ったその時、
「この人痴女です!」
と、僕のお尻から手が離れ、すぐ左後ろから声がした。やば、かなちゃんが検挙される!? と慌てて振り向くと、
「ご、誤解です!」
「間違いなく、この目で見ました。あなたの連れを痴女してたんですよ。あなたも手伝って。そっち持って」
「あ、はい!」
「え?」
知らない女の人が、知らない女の人の左手を頭上高くに持ち上げていて、急かされてかなちゃんがその知らない人の右腕を掴んでいた。
「え? ……ええっ!?」
「た、たくちゃん? 大丈夫? ごめん、すぐ気づかなくて。痴女されてたんだね」
「確かに触られてたけど、かなちゃんかと思った……」
この女の人が触ってたのか!? そう思うと、急に怖くなってきた。知らない女の人に、性欲の対象として見られて、勝手に触られてたなんて、ぞっとする。背筋がぞわぞわして、怖くてなんだかおしっこが出そうで落ち着かなくて、足元まで不安になる。
「ええっ、それで変な反応だったの? 違うよ」
「あの、私も勘違いですって。たまたま当たってたかもしれませんけど。ねっ? 別にそんな触ってませんよね? ねっ!?」
「っ……」
かなちゃんと呑気な会話をしていると、許されると思ったのか割り込むように犯人が僕に笑いかけてきたけど、その笑顔に変な声が出そうになった。
確かに僕は、かなちゃんだと思ったから呑気な反応していた。全然何とも思ってなかった。でもそれは、かなちゃんだと思ったからであって、かなちゃんじゃないとすれば、気持ち悪くて仕方がない。だいたい、人違いって言うならともかく、僕のお尻にあった手なら、もう揉んでいたのは間違いない。それくらいあからさまな動きだった。
そう言ってやりたいのに、今更、もう触られていない今になって、恐い。この、全然知らない女の人。普通にしてたら普通にしか見えない女の人が、触ってたなんて。それに今、僕に微笑みかけているような表情なのに、瞳の奥が全然笑ってなくて、まるで怒鳴りつけられているようで、恐ろしい。
「話しかけるなっ」
「ぐっ、いたたたたっ」
ドアに張り付くように引いた僕に、かなちゃんが怒鳴りつけるようにして、その知らない人の腕をひねりあげて下に押し付けた。最初に女の人が手をあげて言ってくれた段階で、周りの人静かになってちょっと引いてスペースできたとは言え、狭いのに、なんかぐるっと腕を動かしたかと思うと犯人はするっと折りたたまれるように下がって声を上げた。
「あ、すみません。思わず、勢いよくしましたけど、巻き込まれませんでした?」
「え、ええ。大丈夫です」
かなちゃんは助けてくれた人にはっとして見る。勢いにのってちゃんと手を離してくれたみたいで、変に助けてくれた人までひねったら大変だし、それはよかった。
って、え、普通にしてるけど、凄くない!?
「か、かなちゃん、何いまの。凄くない?」
「え、そう? ありがとう。えへへ。結構、色々、練習したりしたから」
「そうなんだ」
驚きで胸をおさえつつ、でも、もう恐怖はない。むしろ、かなちゃんが格好良くて、なんだかどきどきしてきた。
そんな僕に、かなちゃんは安心させるように微笑みながら改めて話しかけてくる。
「うん。それで、実際どうなの? 触られてたの、間違いないの? もし間違いなら、私、土下座しなきゃいけないんだけど」
そう尋ねられて、今度こそ普通に口は動いた。
「あ、うん。間違いない、です。完全にもまれてたし。あの、この人の手だったんですよね?」
そして僕と同じくかなちゃんの豹変に驚いていたらしい恩人さんに確認する。恩人さんは戸惑ったように空いた手で頭を掻きながらも教えてくれる。
「え、はい。そうです。えっと、余計なお世話だったかもしれないけど、その、つい。気づいたので」
「いえ、助かりました。ありがとうございます」
今は確かにかなちゃん一人で拘束できているけど、じゃあこの人がいらなかったなんてそんなことはない。僕がかなちゃんじゃないって気づいてもっと恐くなる前に助けてくれて、本当に助かった。それに、かなちゃんだけじゃなくて、全然知らないのに助けてくれた女の人がいるってことが、何より僕にとって、ありがたい事実だ。僕はまた、全ての女の人を怖がらなくていい。
「私も気づいていなかったので、本当にありがとうございました」
「いえいえ。そんな。とりあえず、証言まで付き合いますね。今の拘束のままだと動けませんし」
「お願いします」
恩人さんは、多分大学生なのかな? 私服で20歳くらいっぽい。地味な感じの格好で、髪が長くて大人しそうな感じだ。パッと見て、そんなに活発そうに見えない。きっと、さっき、痴女だって声を上げてくれるのに、とても勇気を出してくれるんだろうなってわかる。
だって逆の立場なら、僕がちゃんとできるって、自信をもって言えるかわからない。本当にありがたい、と思いつつ、今気づいたけどこの人めっちゃ胸大きくない? と気づいた。
さっきまですごいいっぱいいっぱいそんな他のこと気にしてなくて、全然気づいてなかったけど、え、普通におっぱいでかいよね。明らかに掴んでも手からはみでるどころか、乗せるくらいしかできなさそう。
って、僕、余計なこと考え過ぎだろう。恐怖体験してすぐエロイこと考えようとするとか、これってもしかして、僕の生存本能? いや、単にこの人が巨乳過ぎるだけだな。
そんなことを考えて、犯人からは視線と思考をそらしながら、僕らは到着した駅で降りて通報した。




