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異世界仙人  作者: 黒羽光一 (旧黒羽光壱)
魔王襲来というか醸造編
49/80

間章7:彼女ならそれを怠慢と言うだろう

NTR(軽)のタグ微違反注意

 

 

 枝蔵英夫の毎日は、決して満たされてはいない。副委員長、藤堂太朗それを言えば、肩をすくめられた。

「何ぞ、生きてるだけでもめっけものだろ」

 ある日、王宮の広場にての会話である。芝生に座りながら、太朗は英夫に肩の力を抜いて笑いかけていた。

「こんな訳わからん状況に放り出されて、立場を保障されている。いつ切られるかわからんというのはあるが、それでも最低限の衣食住が保障されてる。自由も多く、ま物理的な制限も多いだろうが、それでも生き残れてる。これは、幸せなんじゃねーのか?」

「……副委員長にゃわかんねーよな」

「いや、おみゃーの言いたいこともわかる。要するにアレだろ? 退屈なんだろ。参謀組は言っちゃアレだが、コミュ症がこっちの次くらいには多いしな。スマホもないテレビもない、こんな状況でひゃっはーしてんのは、おい……? 何だっけ、魔法組の――」

「俺も知らない」

「まあそいつと、同じく魔法組の腐ってるのの二人くらいだろ。ま前者はあんまり表面化させちゃいねーが」

 異世界、異大陸、ガエルス王国。突然こんな世界に飛ばされて、平然としていられる人間は少ない。戦闘組には割合少なかったものの、ホームシックやら、ちょっと気が振れかけているのも居ないわけではない。例えば太朗の彼女たる花浦弥生は、かつて学校に居た頃以上に、彼にべったりだった。現在も彼の膝の上で、すーすー寝息を立てて居る。単にいちゃつきたいとか、傍に居たいとか、それ以上に不安なのだろうことは、一人きりの時の彼女の挙動から、なんとなく察することができた。

 当然事態はこの一例のみにならない。太朗も、委員長の牧島香枝も、「まさか弥生のために読んだ臨床心理系の書物が役立つ日がこようとは……」といったところであった。

「んな辛気臭い中で部屋引篭もってたら、そりゃ気も落ちるわな」

「……副委員長は、結構元気だよな」

「二択で聞かれりゃ駄目な方だが……、まあ、考え方をちょっと切り替えたからな。

 知ってるか? 意識不明の患者って、見舞い客がポジティブならその分回復する可能性が上がるらしい」

「……知らない」

「ま、正確にはポジティブだからこそ毎日通って声をかけて、それが刺激になって脳が動く確率が上がるとかだったか……。まその理屈で言えばどちらかというとアクティブが正解なのかもしれんが、それと同じだ」

 とにかく究極を言えば、生きてりゃいい。しがみつくところをそこにあわせりゃな。

 そう言って笑った藤堂太朗も、いつの間にやら帰らぬヒトとなった。その彼女たる花浦弥生は、相当荒れた。見ているのが可愛そうになるくらい、まるで壊れた人形のようになってしまっていた。その傍には、彼女の幼馴染たる阿賀志摩(あがしま)辻明(つじあき)が居た。ごく自然なように寄り添い、支えていたように見えた。

 多くのクラスメイトは事情を知らない。一年ちょっと前に起こった事件であっても、先輩などとのつながりがなければもみ消されたままであり、結果としてそれは自然な――言い方は悪いが、藤堂太朗の頃よりも、おさまりが良く見えてしまった。若干、辻明が弥生の身体を見せびらかすようにさわったり、といったことは散見されたが、まあそれくらいは許容範囲か。

 そんなある日――英夫は、見てしまった。

 それは、彼の価値観を根底から破壊する光景であった。何が、ということではない。だが少なくとも、花浦弥生を使()()()、戦闘組の大半や兵士らがしていたことを考えれば、文字通り目撃者が誰であっても価値観を根底からゆさぶられるだろう。同時にまた、友人の恐ろしく狂暴な、暴力的な一面を見てしまったショックは、案外と計り知れなかった。

 そして中心に居た、阿賀志摩辻明は悪魔のささやきをした。結果として――彼も、二重の意味で逃れる事はできなかった。状況として、下手な事をすれば彼とて殺されてしまうかもしれない。二人きりになった際、辻明は嬉々として太郎の最後を語った。それを密告する事は当然できたが――しかし、王は兵士としての彼を認め、捨てる事はない。兵士達も一部協力していたことは、当然知っていたはずである。そうして彼も「仲間」にされ、のめりこむうちに、いつしか背徳的な充足感を感じるようになったのは、間違いない。結局、色々いったところで彼もまた、単なる動物であったということか。

 環境が悪かった。状況が悪かった。いくらでも言いつくろうことは出来るだろうが――それは当然、当事者たる藤堂太朗が生きていれば、決して許される事もないだろうというのは知っていた。だがしかし、彼は気付いていなかった。同様の想いを抱いていたもう一人が、彼等のすぐ傍にいたことに。日に日におかしくなっていく花浦弥生を、気に掛けている人間が居たことに。

 一月をすぎた前後か。英夫がある日、いつもの様に「仲間」たちとしていると、彼女は現れた。偶然だったのか、それとも狙っていたのか。定かではないものの――しかし間違えようもなく、牧島香枝はその場に現れた。目を見開いていた。顔面が一気に蒼白になっていた。そしてまた、英夫の顔も真っ青になった。辻明が居ない間にやったのが、タイミングとしては最悪だったのかもしれない。普段ならひらりと交わされていたはずのそれが、この日に限っては目撃者をつくってしまったのだ。

 香枝は、覆いかぶさっていた英夫の鼻っ面をぶん殴った。当然のごとく、高い身体能力の彼女の一撃は堪えるものがあった。ましてや呆然としていた時――「自分の好きな」彼女に、決定的な場面を見られて、鬼気としてぶっ飛ばされたのだ。今度は彼が、自分の顔を押さえながら、呆然として彼女を見ることしかできなかった。

 他の兵士や、戦闘組は思わず引いた。腕力にモノを言わせれば当然取り押さえられたろうが、それほどに恐ろしい怒気を、彼女は撒き散らしていた。兵士達は、強大な魔力が迸ったのを感じた。クラスメイトたちは、実質的リーダーたる彼女が目撃した事を恐れた。

 弥生は、その頃はまだ辛うじて正常な判断ができていた頃だった。だが、価値観は既に大きく塗りつぶされかかっていた。香枝は、太朗の名前を出して正気を取り戻させようとした。だが――そんなタイミングで、辻明がその場に帰還する。

 状況を察するや否や、彼は香枝の後頭部を蹴り飛ばした。転がされる彼女。メガネにヒビが入り、吹き飛ばされる。

 そんな場で、彼は周囲に言った。

「押さえてろ。何、所詮みんな『同じ』だ。大丈夫だ、俺達は『仲間』だろう?」

 その言葉の意味が、英夫には最初わからなかった。だが周囲の「連中」が下卑たる笑みを浮かべた段階で、最悪の事態が想定できた。

 起き上がり、止めさせようとした。だが辻明は、残酷な現実をつきつける。

「何言ってんだ? お前、俺らの仲間だろ。今更カマトトぶってんじゃねーよ?」

 にやりとした笑みには、強烈な悪意が宿っていた。そして同時に、自分たちが仕出かしたことの大きさに気付いた。ようやく、気付いた。

 生きてさえいりゃめっけもの。太朗の割り切り方が、彼の脳裏で響いた。と同時に英夫には、そこまで「腹をくくる」ことが到底できそうになかった。

 大好きな彼女一人守ることも出来ず、その資格もない。助けたところで今さらであり、どう足掻いても詰みである。何をするにも何もできない、そんな心情は巨大な混乱を伴って、英夫の脳を蹂躙した。 手足を押さえられて、動けなくなった香枝。制服のボタンが、丁寧に外されていく。そんな様すらタックル一つでどうにかできるかもしれないのに、しかし彼は動くことができなかった。結局――己の命一つが、大事だったと言うことなのだろう。その事実に、辻明は絶望をした。今更過ぎる、絶望をした。

 顔面に覆いかぶさった男が強要したことに対して、彼女は牙をつき立てて反抗した。イチモツを押さえて飛び退く兵士の一人。周囲は、その行動に同様の怒りと嗜虐心を抱いたに違いない。手っ取り早くその心を折ろうと行動した瞬間。香枝の悲鳴を聞いてか、「仲間」になってなかった戦闘組の男が現れ、彼女の窮地を救った。

 彼はそこまで強くはなかった。だが、後から現れた彼の恋人の少女が、魔法を使ったことで状況は一変した。

「ヒデ。何やってんだよ……」

「あ、アッキー……」

 友人たる己を見る彼は、ひどく悲しい目をしていた。おそらく、彼は英夫の様子がおかしいことに気付いていたのだろう。現在こそのめり込みはしたが、最初の頃はいつ自分も藤堂太朗と同様に殺されるか、気が気でなかったのだ。それは、間違いあるまい。

「委員長、大丈夫ですわ、もう」

「駄目! だって、弥生が――っ」

「……でも、お前等の方にいても、弥生は幸せなのかねぇ?」

 花浦弥生を抱き上げた辻明に、彼女は憎悪を向けた。それは、今まで英夫が見たことのなかった顔だった。そしてその目が自分にも向けられていると知った時――英夫は、もう、何をやっても取り返しがつかないのだと理解した。

 結局その後、彼女は数日とせずに王宮を去る事となった。去る直前、ヒビの入ったメガネを彼女に手渡した。その際、以前のような友好的な目の光は、欠片も浮かんでいなかった。

「人間一人を完全にぶっこわして、楽しい?」

「……楽しくない」

「なら、どう行動したらよかったか、分かってるでしょ。それだけだから」

 そしてこの日より英夫は、語る事こそできなかったものの、「仲間」を抜けた。





 それからは、本当に目まぐるしく事態は変わっていった。リーダーを失ったクラスに、辻明が新にのし上がり、結果として幾人かが死に、散り散りになっていった。そんな中でも、英夫は何一つ選択することはできなかった。言い訳をするのなら、あの時、大好きな彼女を前に何も出来なかった無力感から、折れてしまったのだろう。そのまま流されるように辻明たちの、つまり兵士たちと共に行動し、やがて大きな出来事があってある国で、自分を想ってくれる相手と出会えた。こんな何もできない自分の何が良いのか、彼には一つもわからなかった。

「みんなに優しくしないとっていう貴方は、まるで自分に罰を課してるようで、見てられない」

 だが自罰的になっていた英夫は、そんな彼女の想いとて、どうしようもなかった。

 しかし、である。辻明の周囲に居たら、おそらく花浦弥生と同様の目に、彼女はさらされるだろう。安定した生活をしていた彼だが、しかしその恐怖とは常に隣り合わせであった。弥生の消息すら、既に定かではない。いつの間にか、例の「集まり」で使()()()()女性も、別人になっていたように思う。そして、辻明が結婚したのだとしても、その際に永遠の愛を誓ったのだとしても、英夫にはとうてい信じることは出来なかった。

 全ては自分の蒔いた種であったが――しかし、そのタイミングで、ガエルスの敵国が攻めてきたのだ。当時、未だ戦争は完全には終結しきってはいなかった。ガエルス国とケント国との力関係は、既に歴然としていた。ガエルスからすれば、ケントは資源に他ならない。ちびちびとした抵抗程度でどうにもならない程に、既にガエルスはケントを追い詰めていた。だからこの時、ガエルスの領地だったその場所をケント側が攻めてきたのも、特に不思議はなかった。

 そして英夫は、彼女と一部の仲間達をつれて逃げた。クラスメイトはその内に三人。総勢としては二十数人で移動し、彼らは聖女教会を頼った。

 だが、跳ね除けられた。……何ということはない、当時その付近にあった聖女教会も、余裕はなかったのだ。ケント国側の方でも、一部地域で宗教改革が起こり、聖女教会の庇護を求める場所が出てきていた。それもあって、教会も手いっぱいだったのだろう。

 それでも粘る英夫。自分はどうなってもいい。だが、せめて彼女や周囲の仲間達だけでも助けられはしないか。そんなタイミングで――高位職に就いた彼女は、牧島香枝は現れて、言った。

「因果応報って、あるとは思わないでしょうか。結局……、貴方にも、選択肢はあったはずですよ? こうなる前に逃げ出すことも、己を好いてくれる相手に責任を果たすことも、何もかもできたはずです。何を言われても耳を塞いでいたのは、貴方でしょう?」

 実際、身抜かれたように言われていたが、それは事実だった。後に彼の妻となる彼女が、教会に自分の想い人のことを相談しに行き続けていたのだ。常に周囲で、どんなに声をかけらても、手を伸ばしても、話してくれと、返事をしてくれといっても、結局それを面倒がり、恐がり、無視していたのは他ならぬ英夫であった。それゆえ牧島香枝は、彼の現状を察することができた。だがだからこそ、彼女は容赦しなかった。

「出来ないことは、言わない。やらない。取り返しがつかないことは、絶対にしない。特にそれが自分だけではなく、自分以外の誰かに関わることならば。だったら、貴方に残された道は、何があるのでしょうね」

 その言葉の意味を考えながら、英夫は自問自答を続ける。仲間たちと移動しながら、時に「第三の魔王」の噂を聞きつけ頭を下げながら。

 クラスメイトが、開拓前の山の崩落で一人死んだ。

 その後出来た村でも、開墾や苗の育成に悩んだ。

 魔王に借りを多く作りながらも、収穫が段々と安定していった。

 そのうち香枝から情報が伝わったのか、あの決別の日以来親交のなかった友人夫婦とまたつながりができた。

 時を同じくして、流行り病にかかりついてきたクラスメイトのもう一人も逝った。

 村の発展と共に、散り散りになっていったクラスメイトたちの情報も手に入るようになっていった。

そして戦争終結の前後、自分達にも娘ができた。大陸的には遅い方であったが、それでも夫婦は、賢明に娘に愛情を注いだ。

 だが、依然として彼は自問自答を続けていた。


 自分は、何をしなければならないのか。

 何をすれば――許されるのか。

 許されないのだとしても、何を成さねばならないのか。

 

 

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