表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜空色の青春  作者: 上永しめじ
第二章「絆と葛藤の深化」
97/106

第29話「問いかけと優しい風(3)」



 同じ頃。


 ベゼッセンは、学園内に用意された自室へと戻っていた。

 特別講師として滞在する間、あてがわれた客員用の個室だ。質素だが生活に必要なものは揃っている。窓からは月明かりが差し込み、室内を青白く冷ややかに照らしていた。



 扉を閉め、ほっと息を吐いた瞬間——


 ベゼッセンの動きが凍りついた。

 誰もいないはずの自分の椅子に、人影がある。



「おやおや、お帰りなさい」


 聞き覚えのある、芝居がかった声。

 月の光ような白と闇に染まったような黒を混ぜたような髪。冷たい美貌に浮かぶ、人を小馬鹿にしたような笑み。



 パラッツォだった。


 ベゼッセンの椅子に深く腰掛け、まるで自分の城であるかのようにくつろいでいる。



「......勝手に入るな」


 ベゼッセンは低く吐き捨てた。声には隠しきれない苛立ちが滲む。


「おやおや、そう怖い顔をしないでくださいな」


 パラッツォは椅子の肘掛けに頬杖をつき、愉快そうにベゼッセンを見上げた。


「今日のご様子を、少し覗かせていただきましてねぇ」


「......」


「いやあ、よかったですねぇ、ベゼッセン様」


 パラッツォの声が、毒を含んだ蜜のように甘くなる。


「駒鳥ちゃん、最後に笑ってくれたじゃないですか」


 その言葉に、ベゼッセンの肩がわずかに揺れた。


「ふふ、七年ぶりの笑顔でしょう? あなたに向けられた笑顔は」



 パラッツォは優雅に立ち上がり、音もなくベゼッセンの周りを歩き始めた。


「謝罪も、なかなかの演技でしたよ。『厳しくしすぎた』『やり方が間違っていた』......ふふふ、まるで本当に反省しているかのようでした」


「......茶化すな」


「おや、怒りましたか?」


 パラッツォがわざとらしく首を傾げる。



「でもでも、私は褒めているんですよ? 本当に。『優しい叔父』という仮面、お見事です。周囲の教師たちも、すっかり騙されているようですしねぇ」


 ベゼッセンは無言で、まとわりつくようなパラッツォの視線を睨み返した。


「ああ、そうそう」


 パラッツォは窓際へと移動し、空に浮かぶ月を見上げた。



「ホリデーの間は、駒鳥ちゃんとは接触できませんねぇ。残念ですが、仕方ありません」


 その声には、微塵も残念そうな響きはない。むしろ、楽しみを先延ばしにする子供のような高揚感が混じっている。


「ですが——」


 振り返ったパラッツォの顔に、ゆっくりと、三日月のような笑みが裂けた。


「ホリデー明けには、大きなイベントがあるでしょう?」


「......何の話だ」


「おや、ご存知ないのですか?」


 パラッツォは大げさに驚いてみせた。


「彼らがメインで開催する、国を挙げてのイベントですよ」



 彼ら。

 その言葉が、妙に鼓膜に引っかかった。


「一年で最も華やかな、あの行事です。ふふ、彼らにとっては晴れ舞台でしょうねぇ」


 ベゼッセンの眉が、微かに動く。


「......あれか」


「ええ、ええ。あの行事です」



 パラッツォの笑みが、さらに深く、暗くなる。


「大勢の人が集まる。貴族も平民も、国中から。警備も厳重になりますが......だからこそ、混乱も起きやすい」


 月明かりが、パラッツォの白い髪を白銀に輝かせた。


 その瞳が——一瞬、飢えた獣のように怪しく光る。



「楽しみですねぇ」


 その声は、甘く、優しく、そして——底知れぬ悪意に満ちていた。


「とても、とても、楽しみです」


 パラッツォは両手を広げ、まるで舞台役者のように朗々と言った。



「どんな舞台になるのか......ああ、考えただけで震えが止まりませんねぇ」


 窓から差し込む月明かりが、パラッツォの横顔を照らす。

 その笑みは——月さえも凍りつかせるような、残酷な美しさを湛えていた。



 ベゼッセンは何も答えなかった。

 ただ、冷たい目でパラッツォを見つめている。


「おや、ベゼッセン様は乗り気ではありませんか?」


 パラッツォが不思議そうに首を傾げる。


「でも、いいんですよ。あなたは今のまま、『優しい叔父』を演じ続けていてください。それが一番ですからねぇ」


 パラッツォは再び窓際に立ち、夜空を見上げた。


「さあ、幕間は終わりです」


 歌うように呟く。


「次の幕が上がる時が、楽しみですねぇ......ベゼッセン様」


 振り返った時には、パラッツォの姿はもう消えていた。

 まるで最初からそこにいなかったかのように。影すら残さず、気配ごと掻き消えていた。





 ベゼッセンは一人、月明かりの中に立ち尽くしていた。

 窓の外では、冬の星々が冷たく瞬いている。


「......」


 彼は何も言わず、ただ窓の外を見つめた。


 パラッツォが座っていた椅子に、ゆっくりと腰を下ろす。座面には、まだ微かな温もりが残っているような気がして不快だった。



 彼らがメインで開催する、国を挙げてのイベント。


 一年で最も華やかな行事。

 その言葉が、頭の中で反響する。


「......何を企んでいる」


 誰に向けるでもなく、空虚な空間に呟いた。

 パラッツォの真意は分からない。あの悪魔が何を考えているのか、ベゼッセンにも読み切れない。



 ただ一つ、確かなことがある。

 あの男は——何かを仕掛けようとしている。

 キオを巻き込む、決定的な何かを。



「......」


 ベゼッセンは目を閉じた。


 まぶたの裏に浮かぶのは、今日のキオの姿だった。

 怯えながらも、最後に見せてくれた小さな笑顔。


 あの笑顔を——


 守りたいのか。


 それとも——


 その答えは、ベゼッセン自身にも分からなかった。



 部屋の隅で、ヴェルメが静かに佇んでいる。


 首なし騎士は、何も言わない。何も言えない。


 ただ、肩口から立ち上る闇色の霧が——まるで主人の迷いを映すように、静かに、静かに揺れていた。



 窓の外では、冬の月が冷たく輝いている。


 ホリデーまで、あと数日。


 そして、その先に待つ——彼らの祭典。


 静寂の中、ベゼッセンはただ一人、深まる夜の闇を見つめ続けていた。


最後までお読みいただきありがとうございます。

面白い、続きが気になると思っていただけましたら、

下の☆マークから評価や、ブックマーク(お気に入り登録)をしていただけると、執筆の励みになります!

(お気軽にコメントもいただけたら嬉しいです)

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ