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夜空色の青春  作者: 上永しめじ
第二章「絆と葛藤の深化」
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第28話「実技試験と呼び出し(3)」




 一瞬の静寂



 直後——


「はぁっ、はぁっ、はぁっ......!」


 キオの膝がカクリと折れた。


 立っていられず、地面に崩れ落ちそうになる。



「キオ!」


 間一髪、シュバルツがその体を抱き止めた。

 夜空色の翼がキオを覆い隠すように広げられる。


「はぁ、はぁ......あ、ありがとう、スバル......」


 肺が酸素を求めて激しく収縮を繰り返す。視界がチカチカと明滅し、指先が痺れて感覚がない。


 たった一瞬の発動で、体中の魔力を根こそぎ持っていかれた感覚だった。


 シーン......と、訓練場が静まり返っている。


 何が起きたのか理解できず、生徒たちは息を呑んでいた。



「......空間干渉」


 静寂の中、ベゼッセンの声だけが響いた。

 その表情に驚きはない。あるのは、自らの仮説が立証された時のような、得心のいった笑みだった。


「召喚術の真髄は、次元と次元の隔たりを超えること......。その基礎にして奥義である空間の操作を、まさか、行使するとは」


 ベゼッセンの専門である召喚魔法。それは高度な空間把握能力と、次元をつなぐ魔力がなければ成立しない。


 ゆえに彼は、誰よりもその魔法の理屈と、今のキオがどれほど無茶をしたかを理解していた。



「......おい、大丈夫か、ネビウス!」


 我に返ったアイゼン先生が、慌てて駆け寄ってくる。

 魔法が消えたことへの驚きよりも、教え子の疲弊ぶりを心配する顔だった。


「はぁ、はぁ......はい、なんとか......ちょっと、魔力を使いすぎて......」


 キオはシュバルツに身体を預けながら、掠れた声で答えた。


 まだ心臓が早鐘を打っている。



「無茶しやがって......。だが、見事だ」


 アイゼン先生が、安堵と感心が入り混じった息を吐いた。


「俺の魔法がどこかへ消えちまったぞ。あんな防御、見たことがねえ」



 パチ、パチ、パチ。


 乾いた拍手の音が響いた。


「素晴らしい」


 ベゼッセンが、拍手をしながら静かに歩み寄ってくる。


 その瞳は、ボロ雑巾のように疲れ切ったキオを見て、むしろ歓喜の色を深めていた。


「アイゼン先生。これは物理的な防御ではありません。空間そのものを歪め、攻撃をあちら側へと送る......極めて高度な魔法です」


「空間操作だと? そりゃあ、今のネビウスには荷が重すぎるだろう」


「ええ。普通の魔導師ならば、魔力の枯渇......命に関わる負荷でしょう。ですが......」


 ベゼッセンがキオの目の前で立ち止まる。


 キオの体が、恐怖と疲労で強張る。それに気づいたシュバルツの尾が、そっとキオの腰に巻きつき、威嚇するように空気を震わせた。


 ベゼッセンはシュバルツの夜空色の翼を見上げ、満足げに目を細めた。


「黒竜の眷属であるスバル殿と『シュバルツ一族』であるネビウス君だからこそできたのでしょうね」


 その言葉に含まれた意味深な響きに、キオの背筋が冷たくなる。


 意識が朦朧とする中で、その言葉だけがはっきりと耳に残った。


「君とスバル殿の絆は、私の想像通り......いや、それ以上だ。叔父として、誇らしく思うよ」


 最後の言葉は、誰にも聞こえないほどの小声で囁かれた。

 キオだけがそれを聞き、総毛立つような悪寒を覚えた。


「合格です。文句なしの満点でいいでしょう、アイゼン先生。......彼を休ませてあげてください」


「おう! 異論なしだ! おい、誰かネビウスを医務室へ......いや、そこのベンチで休ませてやれ」


 友人たちが慌てて駆け寄ってくる気配を感じながら、キオは安堵と疲労で重くなった瞼を瞬かせた。


 胸の奥では、警鐘が鳴り止まなかった。


 限界を超えた魔法を見せたことで、ベゼッセンに何か「確信」を与えてしまったのではないか。


 そんな不安が、疲労と共に身体に沈殿していった。





―――


 全員の試験が終わり、解散の合図が出された頃には、日はすっかり傾いていた。


 茜色の夕日が訓練場に長い影を落とし、冷え込みが一層厳しくなっていく。


 少し休憩して体力を回復させたキオは、安堵した生徒たちと共に、温かい食事の待つ寮への道を歩き出していた。


「ネビウス君」


 背後からかけられた声に、キオの足が凍りついたように止まる。


 聞き間違うはずもない声。


 恐る恐る振り返ると、そこには夕日を背にしたベゼッセンが立っていた。逆光で表情は見えないが、穏やかな笑みを浮かべている気配がする。



「少し、よろしいですか」


 友人たちも足を止め、警戒するようにキオを庇う位置に立つ。ベゼッセンはそれに気づいているのかいないのか、気さくに手を振った。


「ああ、お友達も一緒で構いませんよ。大した話ではないので」


 彼は歩み寄りながら、事務的な口調で続けた。


「シュトゥルム先生には既にお伝えしてあるのですが......竜人の精霊について、もう少し詳しくお話を伺いたいのです」


「......え?」


「精霊召喚の専門家として、この稀有な事例を正確に記録に残しておきたいこともありましてね。明日の放課後、またこちらに来て頂けますか? シュトゥルム先生が用意してくださった部屋があります。もちろん、当人であるスバル殿にも、ぜひご同席いただきたい」


 学術的な関心からの至極真っ当な要請。断る理由などどこにもない正当な手続きだった。


 傍から見れば、何も問題のない光景だ。


 だが、キオの本能がこの男と二人きりになりたくないと思ってしまう、が。断ることもできなかった。


「......分かりました」


 キオは、震え出しそうになる手を太ももの横で握りしめ、平静を装って答えた。


「明日の放課後、こちらに伺います」


「ありがとう。では、楽しみにしていますね」


 ベゼッセンは優雅に一礼すると、踵を返して去っていった。


 その背中は夕闇に溶け込み、何の不穏な気配も漂わせていない。それが逆に不気味だった。





 ベゼッセンの姿が見えなくなると、堰を切ったようにカリナがキオの顔を覗き込んだ。


「キオ、大丈夫? 顔色、真っ青よ」


「......うん、なんとか」


 頷きはしたものの、声に力が入らない。


 全身の血が引いていくような感覚が消えないのだ。



「竜人の精霊について聞きたいって......まあ、学術的な興味からだとは思う。スバルみたいな存在、前例がないからな」


 オーウェンが顎に手を当て、冷静に分析する。だが、その眉間には深い皺が刻まれていた。


「でも......キオ君、やっぱり辛そうだね。ベゼッセン先生と二人きりになるの、不安だよね......」


 ルイが痛ましそうに眉を寄せる。

 セドリックも声を潜めて同意した。


「もし無理そうなら、僕たちが一緒についていこうか?」


 友人たちの優しさが、痛いほど胸に染みた。


 キオがベゼッセンを恐れていることを知っているからこそ、こうして気遣ってくれている。


 だが、これはキオ自身の問題だ。いつまでも彼らに守られているだけではいけない。


「ううん、大丈夫。......スバルも一緒だし」


 キオは隣に立つ相棒を見上げた。


「大丈夫よ! スバルがいれば怖いものなしでしょ!」


 カリナがわざとらしく明るい声を上げ、キオの背中をバンと叩く。


「それに、何かあったらすぐに私たちに言ってね! いつでも駆けつけるから!」


「ああ。僕たちは、いつでもキオの味方だ」


 オーウェンが力強く頷く。



「......ありがとう、みんな」


 友人たちの温かさが、凍えそうな心を少しだけ溶かしてくれた。


『キオ』


 シュバルツの声が、心に直接響く。


『俺がいる。何があっても、お前の傍を離れない。あの男が何を企んでいようと、指一本触れさせはしない』


『......うん、信じてる』


 空はすでに茜色から群青色へと移り変わり、一番星が冷たく輝き始めていた。


 明日の放課後、ベゼッセンの教室で何が待っているのか。

 キオには分からなかった。


 ただ、シュバルツがいてくれること。そして仲間たちが待っていてくれること。


 それだけを心の支えに、キオは重い足取りで寮への道を歩き始めた。


 長く伸びた影が、夜の闇に飲み込まれていくのを、不安な気持ちで見つめながら。




最後までお読みいただきありがとうございます。

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