第28話「実技試験と呼び出し」
十二月の朝は、肺腑を刺すような鋭い冷気と共にやってきた。
見上げれば、空は雲一つない快晴だ。だが、その澄み渡った青さは地上を温めるどころか、世界中の熱を宇宙の彼方へ吸い上げていくようで、かえって寒々しく感じられる。
足元の枯れ草は霜に覆われ、白く凍てついた地面は、まるで今の自分の心象風景のようだった。
寮の重い扉を押し開け、キオは外へと足を踏み出す。
ほう、と吐き出した息が瞬く間に真っ白な霧となり、冬の乾いた空気に溶けて消えていった。
「キオ君、大丈夫?」
隣を歩いていたルイが、足を止めて覗き込んでくる。その青い瞳には、隠しきれない心配の色が滲んでいた。
キオは首を縮め、マフラーに顔を埋めるようにして頷く。
「......うん。大丈夫だよ」
努めて明るく返そうとしたが、喉から絞り出した声は情けないほど上擦っていた。
自分でも分かるほどの動揺。それをルイに見透かされないはずがない。
今日の実技試験。その担当教官の名は、ベゼッセン・シュバルツ・ヴァーグナー。
これまでも精霊召喚の儀式や通常の授業で、その姿を目にすることはあった。だが、それはあくまで大勢の生徒の中に紛れてのことに過ぎない。
今日は違う。試験という形式上、至近距離で対峙し、言葉を交わし、その視線に晒されなければならないのだ。
その事実だけで、胃の腑に冷たい鉛を詰め込まれたような重圧を感じていた。
「ベゼッセン先生が試験官だもんね......」
ルイが誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟く。
友人たちは皆、キオがベゼッセンに対して異常なほどの恐怖心を抱いていることを知ってくれていた。詳しい過去の因縁までは話していない。それでも、あの教師の前で見せるキオの強張り方は、尋常ではないと察してくれているのだ。
「心配するな、キオ。僕たちがついている」
背後から、オーウェンの落ち着いた声がかかった。振り返ると、頼もしい友人たちがそこにいた。
オーウェンはいつもの冷静な表情の中に、力強い意志を宿してキオを見つめている。
「そうそう! それにキオにはスバルもいるし、あたしたちも見てるんだから! 絶対大丈夫よ!」
カリナが両の拳をぐっと握りしめ、冬の寒さを吹き飛ばすような快活さで励ましてくれる。
「僕も応援してるよ、キオ君。スバルさんがいれば、きっと平気だよ」
セドリックもまた、穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
友人たちの言葉一つ一つが、凍えきっていた心に温かな灯火をともしてくれるようだった。強張っていた肩の力が、ほんの少しだけ抜ける。
キオは深く息を吸い込み、冷たい空気を肺いっぱいに満たしてから、ゆっくりと吐き出した。
『キオ』
不意に、心の内側——心の深い場所から、低く落ち着いた声が響いた。
シュバルツだ。
『うん』
『今日は実技試験だ。俺もお前の傍にいる。片時も離れはしない。忘れるな』
『......ありがとう、シュバルツ』
言葉を交わさずとも通じ合える、心の繋がり。
背中に感じるその確かな存在感が、何よりの支えだった。
―――
実技試験の会場となる屋外訓練場は、張り詰めた緊張感に包まれていた。
広大な敷地には複雑な幾何学模様を描く魔法陣が複数展開され、万が一の事故を防ぐための強力な防護結界が幾重にも張り巡らされている。
冬枯れの芝生を踏みしめるたびに、ザクザクと霜の砕ける音が響く。
生徒たちは出席番号順に整列し、それぞれが契約した精霊を傍らに控えさせて自分の番を待っていた。精霊たちの放つ微かな光や魔力の粒子が、冬の空気に幻想的な彩りを添えているが、生徒たちの表情は一様に硬い。
そして——試験官席の中央。
そこに並び立つ二人の教官の姿を認めた瞬間、キオの呼吸が止まった。
一人は、岩のような逞しい体躯を誇るアイゼン先生。防衛魔法の実技担当として、生徒たちに攻撃魔法弾を放つ役目を担っている。その腕組みをした立ち姿からは、元騎士としての威圧感が漂っていた。
そして、もう一人。
キオの視線は、磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、その男へと固定された。
艶やかな黒髪。整った端正な顔立ち。
口元には常に穏やかな笑みを湛え、物腰柔らかな佇まいは、理想的な教師そのものに見える。
ベゼッセン・シュバルツ・ヴァーグナー。
精霊との連携を評価する担当教官として、彼は採点板を手に優雅に立っていた。
ふと、ベゼッセンが顔を上げた。
遠く離れた場所にいるキオと、視線が交差する。
——目が、合った。
ドクン、と心臓が早鐘を打った。
背筋を冷たい蛇が這い上がるような悪寒。視界が明滅し、七年前の忌まわしい記憶の断片が、脳裏をフラッシュバックしかける。
『キオ、落ち着け』
混乱の淵に落ちかけそうになった意識を、シュバルツの鋭い声が引き戻した。
『深呼吸しろ。俺がいる。今のあいつは、ただの試験官だ』
キオは唇を噛み締め、痛覚で現実を繋ぎ止める。
縋るように隣を見上げれば、そこには絶対的な守護者がいた。
夜空を切り取ったような黒い鱗。知性を宿した深い紫の瞳。額から天へと伸びる黒曜石の角は、冬の淡い日差しを受けて鈍く、しかし力強く輝いている。
長くしなやかな尾が静かに揺れ、その威厳ある竜人の姿は、どんな恐怖も吹き飛ばしてくれるほど頼もしかった。
ベゼッセンはふわりと柔らかく微笑むと、何事もなかったかのように視線を外し、手元の羊皮紙に目を落とした。
傍から見れば、生徒を見守る優しい教師の姿。その完璧な擬態が、キオには何より恐ろしかった。
「それでは、これより実技試験を開始する!」
アイゼン先生の腹の底から響くような大声が、訓練場の空気をビリビリと震わせた。
「今回の試験内容は、精霊との連携による防衛魔法だ! 俺が放つ魔法弾を、精霊と協力して防御しろ! 評価点は二つ! 一つは防御の完成度、もう一つは精霊との連携の質だ!」
アイゼン先生が、丸太のような太い腕を振り上げる。
「ベゼッセン先生が精霊との連携を、俺が防御技術を評価する! 出し惜しみはするな、全力を出し切れよ!」
生徒たちの間に、さざ波のように緊張が走った。
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