第27話「期末試験と繋がり(3)」
同じ日の夜。
教職員の休憩室には、温かな橙色の光が灯っていた。
大きな暖炉に薪がくべられ、パチパチと弾ける音が心地よく響いている。窓の外では、冬の星々が凍てついた夜空にひしめき合うように瞬いていた。
「今回の期末試験、1年生たちはよく頑張っていましたね」
シュトゥルムが椅子に深く腰掛け、湯気の立つ紅茶のカップを手にしながら穏やかに言った。青い髪が、暖炉の光を反射して柔らかく揺れている。
「うむ! 特にA組の連中は気合が入っておったな! 図書室で勉強会をしていたと聞いたぞ! 良い事だ!」
アイゼンが豪快に笑いながら、自作のスパイスクッキーを口に運ぶ。鍛え上げられた分厚い胸板が、笑うたびに大きく揺れた。
ガチャリ。
扉が開く音と共に、黒髪の男が姿を現した。
「お疲れ様です」
ベゼッセン・シュバルツ・ヴァーグナーだった。
彼は室内を見回すと、柔らかな笑みを浮かべて二人に会釈した。
「おう、ベゼッセン先生! お疲れ様です!」
アイゼンが立ち上がり、まるで旧友を迎えるかのように手を広げた。
「まあ座りなさい、座りなさい。今日もクッキーを焼いたんだ。紅茶もあるぞ」
「ありがとうございます」
ベゼッセンは勧められるままにソファへと腰を下ろした。差し出されたクッキーを一口囓ると、眉間の皺がふっと緩む。
「......相変わらず、美味しいですね」
「ガハハ! そう言ってもらえると嬉しいな!」
シュトゥルムがポットから紅茶を注ぎ、ベゼッセンに手渡す。
「それで、今日はどうされましたか? もしかして、ネビウス君のことで?」
単刀直入な問いかけに、ベゼッセンは少し驚いたように目を瞬かせた。しかし、すぐに表情を整えて頷く。
「ええ......実は、明日の実技試験について、少しご相談がありまして」
「実技試験? 防衛魔法と精霊との連携の試験ですな」
アイゼンが腕を組みながら言う。
「はい。今回の試験では、精霊召喚儀式で契約した精霊との連携を見ることになっています。その中で......ネビウス君の精霊について、少しお話を伺いたいのです」
シュトゥルムとアイゼンは顔を見合わせた。
「スバル殿のことですか」
「はい」
ベゼッセンの声は、どこまでも穏やかだった。
「精霊召喚の儀式で多くの生徒を見てきましたが、竜人の精霊......それも黒竜の眷属と契約した例は、私の知る限り前例がありません」
その言葉に、シュトゥルムが静かに頷く。
「確かに......あの召喚は、私も驚きました。夜空のような障壁が広間を包んだ時は、一瞬、何が起きたのか分かりませんでしたから」
「伝説級の存在だ」
アイゼンが腕を組み直しながら続けた。
「竜人の精霊など、文献でしか見たことがない。しかも黒竜の眷属ときた。あれを見た時は、正直、肝を潰したな」
「ええ、私もです」
ベゼッセンは紅茶のカップを両手で包み込むようにして、その温もりを感じ取るように目を伏せた。
「だからこそ......実技試験では、彼の精霊との連携をしっかりと確認したいと考えているのです」
「確認、とは?」
シュトゥルムが問いかける。
「スバル殿の力は計り知れません。通常の精霊とは格が違う。となると、試験で通常の評価基準をそのまま適用していいものか......少々悩んでおりまして」
ベゼッセンは言葉を選ぶように続けた。
「そこで、試験の後に少しだけ、ネビウス君とスバル殿にお話を伺う時間をいただければと思うのです。精霊召喚の専門家として、記録を残しておきたいこともありますし......何より、今後の指導に役立てたいと考えています」
その説明は、理路整然としていた。精霊召喚の第一人者としての学術的関心。教育者としての責任感。どこからどう見ても、真っ当な理由だった。
「なるほど......確かに、竜人の精霊というのは特殊ですからね」
シュトゥルムは顎に手を当て、少し考え込む仕草を見せた。
「しかし、ネビウス君の精神状態が少し心配です。以前、魔力調整の授業で灯石を割ってしまったことがありましたし......」
「ああ、あの時のことは聞いています」
ベゼッセンが静かに頷く。
「ですが、あれは精霊召喚の前のことでした。今はスバル殿が傍にいます。ネビウス君の精神的な支えにもなっているようですし、以前よりも安定しているのではないでしょうか」
その言葉に、アイゼンが「ふむ」と唸った。
「確かにな。召喚儀式の後、ネビウスの様子は随分と落ち着いている。授業中も、以前のような危うさは感じなくなった」
「あの竜人......スバル殿は、常にネビウス君の傍にいますからね」
シュトゥルムが小さく微笑む。
「まるで守護者のようです。他の生徒の精霊とは、明らかに絆の深さが違う。出会ったばかりにも関わらず、そういった絆が育むことができるのは、素晴らしいことです」
「ええ、本当に......」
ベゼッセンの目が、一瞬だけ遠くを見るように細められた。
その表情には、確かに称賛の色があった。だが同時に、違う感情が一瞬だけ滲んだように見えた。
しかし、それは瞬きをするよりも短い時間で消え去り、すぐにいつもの穏やかな仮面に覆われる。
「それで、シュトゥルム先生にお願いしたいのですが......」
「はい、何でしょう」
「試験後にネビウス君とお話しすることについて、事前に許可をいただければと」
シュトゥルムは少し考えてから、ゆっくりと頷いた。
「分かりました。確か、ネビウス君はベゼッセン先生の甥御さんでしたよね。親族として様子を見たいというお気持ちもあるのでしょう」
「ええ......」
ベゼッセンは曖昧に微笑んだ。
「久しぶりに会えて、私も嬉しく思っています。子供の頃は、よく兄の屋敷で遊んだものです」
その言葉には、どこか懐かしむような響きがあった。
「であれば、問題ないでしょう。むしろ、親族の方が見守ってくださるのは、ネビウス君にとっても心強いことかもしれません」
「ありがとうございます。それでは、試験後にお借りできる部屋を用意していただけますか?」
「分かりました。試験会場の隣にある小部屋が空いていますので、そちらを使ってください」
「ありがとうございます」
ベゼッセンは深々と頭を下げた。
「お時間を取らせて申し訳ありませんでした。それでは、私はこれで」
立ち上がろうとしたベゼッセンを、アイゼンが「待て待て」と制止した。
「まあ、そう急ぐな。せっかく来たんだ、もう少しゆっくりしていけ」
「しかし......」
「いいからいいから。ほら、クッキーもまだあるし、紅茶も淹れ直そう」
アイゼンの強引な勧めに、ベゼッセンは苦笑しながら再びソファに腰を下ろした。
「......では、もう少しだけお邪魔します」
「それでいいんだ! 先生方が親しくなることは、生徒たちにとっても良いことだからな!」
アイゼンの豪快な笑い声が、休憩室に響き渡る。
シュトゥルムがポットに手を伸ばし、温かい紅茶を注ぎ直す。その横顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
窓の外では、冬の夜空に星々が静かに瞬いている。
ベゼッセンは、カップの中で揺れる紅茶の水面をじっと見つめていた。その瞳の奥に宿る光が、暖炉の炎を映しているのか、それとも別の何かを映しているのか——
それを見抜ける者は、この部屋には誰もいなかった。
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