第27話「期末試験と繋がり(2)」
――試験二日目。
冬の曇天から時折、白いものがちらつく寒い朝だった。
教室内の空気は、初日ほどの張り詰めた緊張感はないものの、連日の疲れが滲むような重たい静寂に包まれていた。
科目は、魔法数式学と精霊学の基礎理論。
羊皮紙に向かうキオのペン先は、驚くほど滑らかだった。
難解な数式が、昨夜の図書室での光景――オーウェンの几帳面な文字と、セドリックの必死な顔――と共に脳裏に浮かび上がり、まるでパズルのピースがはまるように解けていく。
『よし、ここまでは大丈夫......!』
続く精霊学の試験。
問いの中に『世代継承契約』に関する記述問題が現れた瞬間、キオの手がピタリと止まった。
『契約の形態と、その特異性について述べよ』
脳裏に鮮やかに蘇るのは、昨日の夕暮れ時、図書室で見たカリナの優しい横顔だ。
祖母から受け継いだという、メラメラちゃん、フワフワくん、アクアくん。彼らがカリナに向ける親愛の情と、カリナが彼らに注ぐ家族のような愛。
教科書に書かれた無機質な理論だけではない。そこには確かな「心」の繋がりがあるのだと、キオは彼女から学んでいた。
『ありがとう、カリナ』
心の中で友人に感謝を告げ、キオは自然と綻びそうになる口元を引き締めながら、回答を書き連ねていった。
―――
午後の試験が終わると、五人は校舎裏の中庭にあるベンチに集まっていた。
枯れ葉が舞う花壇の縁に座り、セドリックががっくりと項垂れている。
「今日の魔法数式学、難しかったよね......。最後の応用問題、計算が複雑すぎて......僕、途中で時間切れになっちゃって......」
その背中には、目に見えそうなほどの哀愁が漂っている。
「大丈夫だよ。途中式が合っていれば、部分点はしっかりもらえるはずだから」
キオが慰めるように背中をさすると、セドリックは「うぅ......」と唸り声を上げた。
「明日で筆記試験は最後だな。科目は植物魔法学と、防衛魔法学の筆記だ」
オーウェンが淡々と、しかし先を見据えた力強い声で告げる。その言葉に、セドリックがパッと顔を上げた。
「あ......そっか、明日は植物魔法学か......なら、僕でも何とかなるかも......」
彼の表情に、ようやく生気が戻る。薬草や植物の知識に関しては、セドリックの右に出る者はいない。
冷たい風が吹き抜ける中庭だったが、明日への希望が少しだけ彼らの肩を温めていた。
―――
――試験三日目。
最終日の朝は、突き抜けるような青空が広がっていた。
冷え込みは厳しいが、窓から差し込む陽光はどこか晴れやかで、キオの心も不思議と穏やかだった。
「筆記試験は今日で最後だね」
廊下を歩きながらルイが言うと、隣でカリナが「んーっ!」と声を上げながら、大きく伸びをした。凝り固まった背中をほぐすような、豪快な動きだ。
「やっとだー! 長かったぁ......! まだ実技試験が残ってるけど、とりあえず筆記が終わればこっちのものよ! ねえ、終わったらみんなで何か美味しいもの食べようよ!」
「いいね。頑張った自分たちへのご褒美だね」
「じゃあ、食堂のグレイスさんのところで、特別なデザートでも頼もうか」
キオの提案に、全員が賛成の意を示すように顔を綻ばせた。
一限目の植物魔法学は、予想通りセドリックの独壇場だったようだ。開始早々、彼のペンが走る音が軽快に響いていた。
キオ自身も、かつて入学当初にセドリックへ「魔法の込め方」を教えた時のことを思い出しながら、慎重に、かつ着実に答えを埋めていく。植物の特性、魔力の波長、育てるための土壌。それらは全て、日々の実践の中で培ってきた知識だ。
続く防衛魔法学の筆記。
こちらは理論的な問題が多かったが、設問を見るたびに、アイゼン先生の熱血指導の声が脳内で再生された。
『守るとは、引くことではない! 前に出る勇気だ!』
先生の暑苦しくも真っ直ぐな言葉が、迷うペンの先を導いてくれるようだった。
最後の回答欄に文字を書き入れ、ペンを置いたその瞬間。
終了を告げる鐘の音が、高らかに学園中に鳴り響いた。
「......終わった」
キオは天井を仰ぎ、体の中に溜まっていた緊張を全て吐き出すように、深く、長く息を吐いた。
―――
試験終了後の解放感に包まれながら、五人は約束通り食堂へと向かった。
昼下がりの食堂は、同じように試験を終えた生徒たちの活気で溢れている。甘く香ばしい匂いが漂うカウンターへ向かうと、そこにはふくよかな笑顔があった。
「あら、みんな。試験、お疲れ様。よく頑張ったわね」
食堂のグレイスが、まるで母親のような温かい声で迎えてくれる。
「今日はみんなが来ると思って、特別なケーキを焼いておいたのよ」
運ばれてきたのは、真っ白な大皿に乗ったホールケーキだった。
ふわふわのスポンジ生地に、雪のような生クリーム。そして、宝石のように輝く真っ赤なベリーがたっぷりと飾られている。
五人は日当たりの良い窓際の丸テーブルを囲んだ。
切り分けられたケーキと、湯気を立てる紅茶が並ぶ。
「それじゃあ......筆記試験、お疲れ様でした!」
カリナの音頭で、紅茶のカップを掲げて乾杯の真似事をする。カチン、と陶器が触れ合う軽やかな音がした。
早速ケーキを一口頬張る。
滑らかなクリームの甘さと、ベリーの甘酸っぱさが口いっぱいに広がり、疲れた脳に染み渡っていくようだ。
「ん~っ! 美味しい......!」
「生き返るね......頑張ったご褒美って感じ」
ルイも目を細めて幸せそうに味わっている。
穏やかで、幸福な時間。
だが、ふいにセドリックがフォークを止めて呟いた。
「でも......まだ、実技試験が残ってるよね」
その一言で、テーブルの空気が一瞬にして凍りついたように重くなった。
甘い味が、急に砂のように味気なく感じる。
実技試験。
その担当教官の名は――ベゼッセン。
キオの指先が、無意識に震えそうになる。その不安を察したのか、隣に座っていたオーウェンが静かに、しかし力強く言った。
「......大丈夫だ」
彼は紅茶のカップを置き、真っ直ぐにキオを見た。
「僕たちがいる。君は一人じゃない」
「そうだよ、キオ君。何があっても、私たちはキオ君の味方だから」
ルイも真剣な眼差しで続き、カリナが身を乗り出して拳を握った。
「あたしも! 何かあったら、絶対助けるからね! あの先生が意地悪してきたら、私が盾になってあげる!」
「ベゼッセン先生、意地悪はしなさそうだけど。僕も......力になれるか分からないけど、精一杯応援するよ」
セドリックも、不安そうな表情を消して深く頷いてくれた。
みんなの言葉が、冷え切っていた胸の奥に火を灯すように、じんわりと温かく広がっていく。
自分を信じてくれる仲間がいる。その事実が、何よりも強固な魔法障壁のように思えた。
「......ありがとう、みんな」
キオは震えを止め、笑顔で応えた。
そして、心の奥底にいるパートナーへ呼びかける。
『シュバルツ』
『何だ?』
すぐに返ってくる、低く落ち着いた声。
『......明後日の実技試験、少し緊張するけど......でも、大丈夫だと思う』
『そうか』
『だって、シュバルツがいてくれるから。みんなもいてくれるから』
『......ああ。俺は、いつでもキオの傍にいる。誰が何を言おうと、俺はお前の剣となり盾となろう』
その言葉が、何よりも心強かった。
物理的には離れていても、魂は常に背中合わせだ。
ふと窓の外を見ると、冬の柔らかな日差しが、校庭の木々を優しく照らしていた。
厳しい寒さの中にも、確かな春の予感が混じっている。
冬休みまで、あと少し。
この仲間たちと、そしてシュバルツと一緒なら、どんな理不尽な試験もきっと乗り越えられる。
キオは残りのケーキを口に運びながら、そう強く信じていた。
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