第26話「期末試験についてと賑やかな集まり(3)」
夜。
学校の教職員たちが休憩する部屋では、アイゼンとシュトゥルムが、アイゼンの焼いたチョコクッキーをつまみながら談笑していた。
「アイゼン先生、相変わらずの腕前ですね。甘さ加減が絶妙です」
落ち着いた青い髪を揺らし、魔法史教師のシュトゥルムが微笑む。
対するアイゼンは、制服が張り裂けんばかりに鍛え上げられた分厚い胸板を揺らして笑った。
「ガハハ! 最近、スパイスを使ったお菓子にハマっていてな。なかなか奥が深いぞ」
「すごいですね」
ガチャリ。
そこへ、誰かを探している様子のベゼッセンが入ってきた。
「ベゼッセンさん、お疲れ様です」
「おう、ベゼッセン先生! 遅くまでご苦労だな! 学校には慣れましたかな?」
丸太のような腕を持つ元騎士のアイゼンが豪快に迎える。
ベゼッセンは、まったりとお菓子を食べている二人に目を丸くしてから、すぐさま表情を整えた。
「ありがとうございます。はい、徐々にですが生徒たちにも心を開いて貰えてるようで......」
「それは良いことだ!」
アイゼンが嬉しそうに笑う。
「それで、休憩されているところ、すみません。シュトゥルム先生に相談がありまして」
「僕にですか?」
「はい、シュトゥルム先生のクラスのネビウス君のことなんです」
「ネビウス君?」
「はい、実は......」
ベゼッセンが続きを話そうとしたところ、アイゼンがずんずんと歩み寄り、ガシッとその肩を掴んだ。
「おいおい、ベゼッセン先生。話もいいが、まずはこっちに来たらどうだ? ほらほら、菓子もあるし、紅茶もある」
「え? いや......」
「息抜きだ、息抜き!」
口では抗議しようとしたベゼッセンだったが、アイゼンの圧倒的な質量と熱量に押し切られ、結局は大人しくソファに座らされた。
「すみません。ベゼッセンさん、アイゼン先生はこういう人なんです。でも、見た目によらずお菓子作りは繊細ですよ。どうぞ」
シュトゥルムはベゼッセンにクッキーを差し出す。
「おい、それは褒めてるのか褒めてないのか、どっちだ?」
「もちろん、褒めてます」
「......いただきます」
ベゼッセンは観念したようにクッキーを口に運んだ。
サクッとした食感と共に、スパイスの香りと優しい甘さが広がる。
その瞬間、眉間の皺がふっと緩んだのを、シュトゥルムは見逃さなかった。
「......美味しいですね」
「よかったですね、アイゼン先生」
「うむ!」
アイゼンもニカッと白い歯を見せて笑った。
ガチャリ。
「あら、甘い匂い」
そこに司書であるシルヴィアも部屋へとやってきた。水色の髪を三つ編みにして前に垂らし、眼鏡の奥の瞳は聖母のように優しい。
「こんばんは、シルヴィア先生。図書室のお仕事は終わりですか?」
シュトゥルムがポリポリとクッキーを食べながら声をかける。
「ええ、やっと整理整頓が終わりましたわ。生徒たちも試験のために、こぞって図書室に来るからちゃんと整えておかないと」
シルヴィアはテーブルに置いてあるクッキーに手を伸ばし、パクリと食べた。
「んー! アイゼン先生のお菓子は相変わらず、美味しいですね〜。ずるいですよー。シュトゥルム先生ばっかりお菓子を貰ってて」
シルヴィアは頬をぷくりと膨らませてシュトゥルムを睨む。
「僕はちゃんと対価として、アイゼン先生にお菓子の素材を提供しています。そういう約束なので」
シュトゥルムはキリッとした顔でもくもくとクッキーをたべていた。
ガチャリ。
「ちょっとちょっと! お茶会するなら私も呼んでちょうだいなー」
現れたのはグレイス・ホッパー、食堂の管理人だった。温かい雰囲気の彼女は、手には大きな箱を持っている。
「これ、余りものになっちゃうんだけど、よかったら食べてちょうだい」
ガサガサと箱から取り出したのは可愛らしい小袋に入った、一口サイズのフィナンシェだった。
「ほお! これは美味しそうですな!」
アイゼンの言葉にグレイスがカラカラと笑う。
「試験勉強に励む子供たちの為に、うちのトムとティナと一緒に作ったのよ。でも、張り切りすぎちゃって、ちょっと余っちゃったのよね。だから、先生たちにおすそ分け」
グレイスは一人一人に手渡していき、先生たちは大喜びでそれを受け取る。ベゼッセンは受け取ったフィナンシェを静かに眺めていた。
「あら? ベゼッセンさんは甘いものは嫌いかしら?」
グレイスの言葉に慌てたようにベゼッセンは顔を上げた。
「あ、いえ! ......嫌いではないです。寧ろ、よく屋敷のコックが作ってくれたスイーツを兄と取り合いするくらいには好きでしたね」
ベゼッセンは口元を緩め、その時のことを思い出したかのように優し気にフィナンシェの袋を撫でた。
「あらまぁ、可愛いエピソード! ほら、もう一個受け取ってちょうだい!」
グレイスは嬉しそうにフィナンシェの小袋をベゼッセンに押し付けた。
「グレイスさん、私も欲しいです」
それを見ていたシュトゥルムが手を伸ばすが、
「ダメよ。シュトゥルム先生はアイゼン先生のクッキーで我慢しなさい」
「......残念です」
シュトゥルムはグレイスの言葉に肩を落とした。
「ふふ」
その様子を見て、ベゼッセンは自然と笑っていた。
―――
ベゼッセンは部屋へと戻ってきた。
フィナンシェの入った小袋のひとつをヴェルメに渡す。
ヴェルメに表情はないが、その甲冑から漏れ出る黒い煙がキラキラと輝いていた。
ドサッ、ガサッ。
椅子に座り、小袋を机の上に置く。
ベゼッセンは小袋を眺めてから窓の外へ視線を移す。
――――その時。
気配もなく、音もなく、まるで影が伸びるように。
部屋の隅、暗がりから、パラッツォが姿を現した。
「おやおや......」
その声に、ベゼッセンの肩がビクリと震える。
「......何の用だ。パラッツォ」
ベゼッセンは振り返らずに、冷たく言い放った。
パラッツォは音もなく歩み寄り、机の上の小袋を手に取った。
「これは......グレイス・ホッパーさんの手作りフィナンシェですか。ふふ、丁寧に作られている......温かい心遣いを感じますねぇ」
そう言いながら、パラッツォは袋を開け、小さなフィナンシェをひとつ口に運んだ。
「......!」
ベゼッセンが声を上げる前に、パラッツォはもうひとつ、そしてもうひとつと、袋の中身を全て食べ尽くしてしまった。
「美味しいですねぇ」
パラッツォは満足そうに微笑む。
「貴方までなかよしこよしですか?」
その声には、嘲りが滲んでいた。
「いいですねぇ、楽しいですねぇ。甘いお菓子はたまりませんねぇ」
パラッツォの笑顔が深まる。しかしその目は、笑っていなかった。
「......黙れ」
ベゼッセンの低い声が、部屋の空気を震わせた。
「おやおや、ご機嫌斜めですかぁ?」
パラッツォは大げさに驚いたような仕草をして見せる。
「貴方のやるべきことは、分かっているのですよねぇ?」
その言葉は優しく、穏やかだった。しかし、その奥には冷たい刃が潜んでいる。
「......分かっている」
ベゼッセンは絞り出すように答えた。
「それならば、いいのです」
パラッツォはにっこりと微笑むと、空になった小袋を丁寧に机の上に戻した。
「では......ふふ、おやすみなさい、ベゼッセン様」
パラッツォはゆっくりと暗がりへと歩いていく。
そして気配もなく、音もなく、まるで影が消えるように。
パラッツォは部屋から姿を消した。
ベゼッセンは空になった小袋を手に取り、じっと見つめる。
ヴェルメの黒い煙が、今度は悲しげに揺れていた。
「......すまない、ヴェルメ」
ベゼッセンは小さく呟いた。
窓の外には、冷たい月が浮かんでいた。
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