第25話「兄との再会、幸せな家族(4)」
食事が終わり、みんなで後片付けを手伝っていた時だった。
店の扉を、誰かが乱暴に叩く音が響いた。
ドン、ドン、ドン!
「おい! 開けろ!」
荒い男の声が聞こえる。
「すみません、今日は貸切で......」
トーマスが慌てて扉に向かう。
扉の外には、酔っ払ったような中年の男性が立っていた。顔は真っ赤で、足元もおぼつかない。
「貸切? そんなの知ったことか! 俺は腹が減ってるんだ!」
男は強引に店内に入ろうと体をねじ込んでくる。トーマスは慌てて男を押しとどめた。
「申し訳ございませんが、本日は......」
トーマスが丁寧に断るが、男は聞く耳を持たない。
「うるさい! お前、俺を誰だと思ってるんだ!」
男がトーマスの胸倉を掴もうとした、その瞬間――
一つの影が、音もなく男の背後に回り込んだ。
ノックスだった。
「失礼」
低い声と共に、ノックスは男の腕を取り、一瞬でその動きを封じた。
「うわっ! な、何だ!」
男が驚いて声を上げる。
ノックスの目が、鋭く光る。
その威圧感は、まさに歴戦の騎士のもの。研ぎ澄まされた殺気が、一瞬だけ男を包んだ。
「ひっ......!」
男の顔が、恐怖で引きつる。
ノックスの圧倒的な実力差と存在感を肌で感じ、男は腰を抜かさんばかりに怯えた。
「あ、あの......す、すみません......」
男が震える声で謝罪しようとする。
しかし――次の瞬間、ノックスの表情がふわりと柔らかくなった。
鋭かった目が、優しい光を宿す。威圧感が霧散し、穏やかな春の日差しのような雰囲気に変わった。
「落ち着いて聞いてください」
ノックスの声は、先ほどとは打って変わって優しい。
「あなたは今、お酒が入っていますね」
「え......あ、ああ......」
男が戸惑いながら答える。
「お腹も空いているのでしょう。それは分かります。誰でも、お腹が空いたら機嫌が悪くなるものですから」
「......」
男が、ノックスの言葉に毒気を抜かれたように耳を傾ける。
「でも、この店は今日、貸切なんです。事情があって、お店の方も断っている」
「......」
「あなたも、大切な家族との時間を邪魔されたら嫌でしょう?」
その言葉に、男の表情が少しずつ変わっていく。
「あの......そう......だな......」
男が小さく頷く。
「それに、こんな状態で無理に入っても、美味しい料理は味わえませんよ」
ノックスが諭すように続ける。
「お酒が入りすぎていると、味がよく分からなくなる。せっかくの料理が、もったいないじゃないですか」
「......そう......なのか......」
「ええ。だから明日、もう一度来てみてはどうですか? その時は、きっと美味しい料理が食べられますから」
ノックスがそっと男の腕を離す。
「今日は、ゆっくり休んで、明日また来てください。約束しますよ。明日は最高の料理に出会えますから、ね?」
その温かい言葉に、男は恥ずかしそうに頭を下げた。
「その......。す、すまなかった......俺、酔ってて......」
「いえ、気にしないでください。誰にでも、そういう日はありますから」
ノックスが優しく男の背中を叩く。
「気をつけて帰ってくださいね。明日、お待ちしています」
「ああ......ありがとう......気をつける......」
男がよろよろと歩き去っていく。
ノックスは、その背中が見えなくなるまで静かに見送った。
「大丈夫ですか?」
ノックスがトーマスに声をかける。
「はい、助かりました!」
トーマスとアンナが深々と頭を下げる。
その様子を見ていた子供たちからは、感嘆の声が漏れた。
「兄さん、すごかったね! すごく......すごくカッコよかった!」
キオが目を輝かせて言った。
「最初は怖かったけど......最後は優しかったね。びっくりしちゃった!」
カリナも興奮気味に笑っている。
「力だけじゃなく、心で相手を諭す。それが大切なんだ」
ノックスが穏やかに微笑む。
「あのおじさん、きっと明日ご飯を食べに来てくれますね」
ルイが優しく言うと、ノックスも深く頷いた。
「ああ。そして、美味しい料理を食べて、心も満たされるはずだ」
「騎士は、ただ強いだけじゃダメなんだな......」
オーウェンが尊敬の眼差しで呟く。
キオは、そんな兄の姿を見て、改めて誇らしさを感じていた。
『ノックス兄さんは、本当に立派な騎士だな』
『ああ。力と優しさを兼ね備えている。素晴らしい男だ』
シュバルツの声が、キオの心に響いた。
―――
やがて、帰りの時間がやってきた。
店先では、トーマスとアンナが名残惜しそうに手を振っている。
「お父さん! お母さん! 私、頑張るからね!」
ルイが大きく手を振る。
「ああ! 父さんたちは、いつでもお前を応援してるからな! 頑張るんだぞ!」
アンナも涙を拭いながら笑顔で頷いている。
温かい言葉を胸に、一行は馬車へと乗り込んだ。
窓から見える景色が、ゆっくりと流れていく。リンネル洋食屋の姿が、だんだんと小さくなっていった。
帰りの馬車の中は、満ち足りた静寂と温かい余韻に包まれていた。
沈みかけた太陽が、冬枯れの景色をオレンジ色に染め上げている。
「良い一日だったな」
オーウェンがポツリと呟くと、全員が深く頷いた。
ルイの美味しい料理、ご両親の涙、そして家族の温かさ。多くを語らずとも、その場にいる全員が同じ幸福感を共有していた。
キオは正面に座るノックスを見つめ、小さく微笑んだ。
兄が来てくれたこと。それが何よりのサプライズで、最高の贈り物だった。
やがて、学園の正門が見えてきた。
「みんな、今日はありがとう。気をつけて部屋に戻ってくれ」
馬車を降りると、オーウェンが代表して言った。
ルイ、カリナ、セドリックも、それぞれ満足そうな笑顔で軽く手を振り合い、寮へと戻っていく。
正門前には、キオとシュバルツ、そしてノックスだけが残った。
「ノックス兄さん、今日は本当にありがとう」
キオが改めて礼を言う。
「何を言ってるんだ。俺は護衛として来ただけだ。それに......俺も楽しかったよ。お前の友達、みんな良い子だな」
「うん」
キオが嬉しそうに頷く。
「キオ」
「何?」
「お前、幸せそうだな」
夕日に照らされたノックスの表情は、どこまでも優しかった。
「......うん」
キオが素直に頷く。
「良かった。俺も、セク兄さんも、末の双子たちも、みんなお前の幸せを願ってる」
ノックスが大きな手で、キオの頭をガシガシと撫でた。子供扱いされるのは少し恥ずかしいけれど、その手の温かさが今はただ嬉しかった。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るよ。明日また任務があるからな」
「そっか......気をつけてね」
「ああ。また会えるさ。冬休みには、ネビウス邸で」
「うん、楽しみにしてる」
キオが微笑むと、ノックスは満足そうに頷き、待機させていた馬へと向かった。
夕闇が迫る中、去っていく兄の背中は、いつものように大きく、頼もしかった。
『ノックス兄さんに会えてよかったな』
キオが心の中で呟く。
『ああ。本当に良い兄貴だ』
シュバルツの声が、優しく同意した。
キオは、寮へと向かって歩き出した。
見上げれば、冬の夜空に一番星が輝き始めている。
今日は、本当に良い一日だった。
そして、これからも、きっと良い日々が続いていく。
冷たい風が吹いたが、キオの胸の奥は、ポトフのスープのように温かいままだった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
面白い、続きが気になると思っていただけましたら、
下の☆マークから評価や、ブックマーク(お気に入り登録)をしていただけると、執筆の励みになります!
(お気軽にコメントもいただけたら嬉しいです)
よろしくお願いします。




