第23話「精霊を知る日(2)」
昼休みを挟み、午後の授業の開始を告げる鐘が鳴った。
場所は、本校舎から少し離れた第二訓練場だ。石造りの壁と高い天井に囲まれたその空間は、魔法の実技訓練のために設計されており、足を踏み入れるだけで肌がピリつくような独特の魔力濃度と静謐さを保っている。
一年生全員がそこに集い、それぞれの傍らには契約した精霊たちが待機していた。
訓練場の中央、一段高くなった視線の先に、ベゼッセンとアーデルハイト先生が並んで立っている。
「午後は、実際に精霊と交流する訓練を行います」
ベゼッセンのよく通る声が、石壁に反響して生徒たちの耳に届く。
「私とアーデルハイト先生で、皆さんの指導をさせていただきます」
「精霊との魔力の同調について、しっかりと学んでいきましょう」
アーデルハイト先生も、その場の空気を引き締めるような凛とした声で続いた。
「それでは、まず基本的な訓練から始めましょう」
ベゼッセンが片手を軽く挙げる。すると、訓練場の床に描かれていた溝に光が走り、複雑な幾何学模様の魔法陣がふわりと浮かび上がった。淡い光の粒が、生徒たちの足元を包み込んでいく。
「これは、みなさんの魔力疲労を軽減するための魔法陣です。安心して魔力を出してくださいね」
アーデルハイト先生が、緊張している生徒たちを解きほぐすように優しく説明する。
ベゼッセンも言葉を継いだ。
「精霊と心を通わせるには、まず自分の魔力を精霊に感じてもらう必要があります。焦らず、ゆっくりと、精霊に魔力を流してみてください」
指示に従い、生徒たちが一斉に自身の内なる魔力へ意識を集中し始めた。
数十人の魔力が解放されたことで、訓練場内の空気中の魔素が陽炎のように揺らぎ、そこかしこで微かな光を帯びていく。
キオもまた、隣に立つシュバルツに意識を向けた。
『シュバルツ、大丈夫?』
『ああ。お前の魔力は、いつでも感じている』
シュバルツの太い尾が、そっとキオの腰に巻き付いた。その重みと、硬質な毛並みの感触、そして伝わってくる確かな温もりが、緊張で強張っていたキオの心を内側から解きほぐしていく。
「良いですね。では次に、精霊の魔力を感じ取ってみましょう」
ベゼッセンが生徒たちの間を巡回しながら、一人ひとりに声をかけていく。足音が近づくたび、空気が動く。
「精霊は、それぞれ独自の魔力の波動を持っています。それを感じ取ることができれば、より深い絆を築けます」
ルイがおずおずと手を伸ばすと、その指先に吸い寄せられるように、フレアとトロプが舞い降りた。
「わあ......温かい......」
手のひらから伝わる柔らかな熱に、ルイが感動したように呟く。
「リンネルさん......ですね。そうです。精霊の魔力は、温もりとして感じられることが多いんです」
ベゼッセンが足を止め、手元の資料で名前を確認してから優しく微笑みかけた。
訓練場のあちこちで、生徒たちと精霊たちの魔力が混ざり合い、交流が深まっていく様子が見て取れた。
セドリックが雷の精霊コロネを抱きしめた瞬間、パチパチッという破裂音と共に小さな電撃が弾けた。
「わっ、ご、ごめん、コロネ!」
「きゅう」
驚いてのけぞるセドリックに対し、コロネは楽しそうに鳴いている。どうやら、感電ごっこをして遊びたかったらしい。
「ふふ、雷の精霊は活発ですからね。たくさん遊んであげてください」
アーデルハイト先生が目を細めて笑った。
一方、カリナの周囲では、メラメラちゃん、フワフワくん、アクアくんが訓練場の上空を元気に飛び回っていた。赤、白、青の小さな人型の姿が描く光の軌跡は、まるで華やかなダンスのようだ。
「メラメラちゃんたち、今日は元気いっぱいね」
光を目で追いながら、見上げるカリナの声も弾んでいる。
そんなカリナに、ベゼッセンが感心したような眼差しを向けた。
「事前に精霊と契約していたことは教えて頂いていましたが。中級精霊を複数契約していたんですね。珍しいですし、素晴らしいことです」
「えへへ、ありがとうございます」
褒められたカリナが、照れくさそうに笑みをこぼす。
ベゼッセンは優しく微笑むと、踵を返して次の生徒の元へと歩き出した。
ベゼッセンはオーウェンの元へとやってきた。
そこには、オーウェンのソラリスが堂々とした佇まいで座っていた。鋭い嘴と黄金色の瞳。オーウェンがその美しい羽根に触れ、魔力を流すと、ソラリスは満足そうに目を細め、喉を鳴らす。
「グリフォンは誇り高い精霊です。リンドール様を主と認めたことは、大きな信頼の証ですよ」
「ありがとうございます」
オーウェンが礼儀正しく頭を下げる。
やがて、規則正しいベゼッセンの足音が、キオとシュバルツの前でぴたりと止まった。
「ネビウス君、スバル君。調子はどうですか」
穏やかな、あまりに穏やかな問いかけに、キオの心臓が早鐘を打った。反射的に体が一瞬硬直する。
だが、シュバルツがさりげなくキオを庇うように、半歩前へ出た。
「問題ない。キオとの絆は、すでに確立されている」
シュバルツの喉の奥から響く低い声には、明らかな威圧が含まれていた。しかし、ベゼッセンは動じることなく、ただ穏やかに微笑むだけだ。
「そうですか。それは素晴らしいことです」
短いやり取りの後、ベゼッセンは何事もなかったかのように次の生徒へと向かっていった。
遠ざかる背中を見送り、キオは詰めていた息を深く吐き出した。冷や汗が背中を伝う。
『ありがとう、シュバルツ』
『当然だ』
シュバルツの言葉が、震える心に芯を通してくれる。
訓練はさらに続く。
「次は、精霊と一緒に簡単な魔法を使ってみましょう」
ベゼッセンが手本を見せるように手を挙げると、何もない空間に水が集束し、美しく透き通った水の玉が浮かび上がった。訓練場の明かりを反射し、きらきらと輝いている。
「精霊の力を借りることで、魔法の威力や精度が格段に向上します。では、皆さんもやってみてください」
一人ずつ生徒の名前が呼ばれ、次々と魔法を試していく。
ルイがフレアと共に小さな火の玉を灯せば、セドリックはコロネと共に鮮烈な紫電を放つ。カリナのメラメラちゃんは、訓練場に大輪の炎の花を咲かせた。
オーウェンがソラリスと共に風の刃を生み出すと、ヒュンッという空気を切り裂く鋭い音が響き、周囲から感嘆の声が上がった。
「素晴らしい。皆さん、初めてとは思えないほど上手です」
アーデルハイト先生が拍手を送る。
そして、ついにキオとシュバルツの番がやってきた。
「ネビウス君、何か得意な魔法はありますか」
ベゼッセンの視線が、値踏みするようにキオを射抜く。
「えっと......防御魔法とか......なら」
「では、スバル君と一緒に、防御障壁を張ってみてください」
キオは一度目を閉じ、深く息を吸い込んだ。腹の底、丹田に力を込め、自身の魔力を練り上げる。
呼応するように、シュバルツの膨大な魔力が流れ込んできた。二人の魔力が自然と溶け合い、共鳴し、増幅していく。
次の瞬間。
キオとシュバルツを包むように、夜空色に輝く美しい障壁が展開された。
「「おお......」」
訓練場がどよめきに包まれる。
それは単なる闇色ではない。深く、どこまでも澄んだ夜の色。その深淵の中に、無数の星々が瞬いているような幻想的な障壁だった。
「これは......見事な障壁ですね。流石は黒竜の眷属との共鳴、素晴らしいです」
ベゼッセンが感心したように、目を細めて呟いた。
称賛の言葉。だが、キオはその声を聞いて、胃の腑が冷えるような気分悪さを感じていた。
訓練は二時間ほど続き、終了する頃には、生徒たちは皆、魔力を使い果たして肩で息をしていたが、その表情はどこか充実していた。
「本日の訓練は以上です。皆さん、お疲れ様でした」
ベゼッセンとアーデルハイト先生が一礼すると、生徒たちから、先ほどよりも大きく、そして温かな拍手が送られた。
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