第23話「精霊を知る日」
精霊召喚の儀式から一夜明けた、清々しい朝。
窓から差し込む陽光が、学園の廊下を柔らかく照らしている。
キオはその光の中を歩きながら、隣に寄り添うシュバルツの気配に心地よい安堵を覚えていた。相変わらず大きな翼を畳んだままの竜人の姿。歩くたびに、その長い尾がゆらりと優雅に揺れている。
「おはよう、キオ君。スバルさん」
廊下の向こうから、優しげな声が響いた。ルイだ。
彼女の周囲では、二体の小さな精霊が楽しげに舞っている。赤い鱗粉をきらめかせる火の妖精と、涼やかな青い輝きを放つ水の妖精だ。
「おはよう、ルイ。ふふ、二人とも元気そうだね」
「うん、あのね、キオ君。私、この子たちに名前をつけたの」
ルイが嬉しそうに目を輝かせて、ふわりと掌を差し出す。
「この子が『フレア』で、こっちの子が『トロプ』って言うの。どうかな?」
「フレアにトロプ......うん、すごく素敵な名前だね」
キオが微笑むと、二体の精霊は嬉しさを表現するように、キオの周りをくるくると飛び回った。シュバルツはそんな彼らの様子を、静かな瞳で見守っている。
「スバルさんも、よろしくね」
少しはにかみながらルイが言うと、シュバルツは「ふむ」と短く喉を鳴らし、わずかに顎を引いて応えた。
『そういえば、なんでスバルって名乗ったの?』
キオは昨日から気になっていたことを心の中で、シュバルツに聞いてみる
『シュバルツという名はややこしいだろう、お前たち一族と同じ名前だと他のものたちに変に疑われかねない』
『確かに......というか黒竜の眷属って本当?』
『......まぁな』
『ふーん、すごいね』
キオとしては、シュバルツに会えただけで嬉しいので、その辺のことは正直あまり気にならなかった。それに、シュバルツの含みのあるような回答に聞かない方がいいのだろうとの考えになった為、それ以上は何も言わなかった。
三人が連れ立って歩き出し、角を曲がったところでセドリックと遭遇した。
「あ、おはよう! キオ君、ルイ」
セドリックの肩には、愛らしいフェネックの精霊がちょこんと乗っている。ふわふわとした黄色の毛並みが、朝日に透けて鮮やかだ。
「僕も名前をつけたんだ。『コロネ』って言うんだよ」
「きゅう!」
名前を呼ばれたコロネが、元気よく声を上げる。
「可愛い名前ね」
ルイが破顔すると、セドリックは照れくさそうに頭をかいた。
「へへへ、ありがとう。コロネって呼んだら、すぐに反応してくれるようになったんだ」
三人と四体の精霊による賑やかな一行は、そのまま教室へと向かった。
教室の扉を開けると、そこにはすでにオーウェンとカリナの姿があった。オーウェンの傍らには威厳を漂わせるグリフォンのソラリスが控え、カリナの周りには三体の精霊たちが、ぼんやりとした光の粒子となって浮遊している。
「おはよー、みんな!」
カリナが元気よく手を振る。
「今日は精霊のこと、もっと教えてもらえるんだってね。楽しみ!」
「ああ。確か午前中が座学で、午後は実技だと聞いている」
オーウェンが落ち着いた口調で補足する。
キオたちが席に着くと、待ちきれないといった様子でカリナが立ち上がり、両手を前に掲げた。
「あのね、みんなに見せたいものがあるの」
カリナの表情が真剣なものに変わる。ぐっと魔力を集中させると、彼女の周囲に漂っていた光の粒子が急速に集まり始めた。
「私ね、ずっと練習してきたの。今までは顕現しきれなかったり、ただの光る玉みたいになっちゃってたんだけど......」
次の瞬間、光が弾け、三体の精霊が鮮明な姿を現した。
以前は小さな火の玉の姿で現れていたメラメラちゃんが、三十センチほどの愛らしい小人のような姿に。綿毛のように漂っていたフワフワくんが、風を纏う小人の姿に。そして水球のようだったアクアくんが、水色の衣を着た小さな精霊の姿へと変貌を遂げている。
それが、彼らの本来の姿だった。
「わあ、すごい! 本当はこの姿だったってこと?」
セドリックが驚きの声を上げる。
「うん! 練習してきたおかげで、ようやくハッキリと本来の姿で召喚できるようになったの!」
カリナが満面の笑みを浮かべ、胸を張った。
「すごいな、カリナ」
オーウェンも感心したように頷く。
「これで、メラメラちゃんたちと、いつでも一緒にいられるね」
「うん!」
主の喜びを感じ取ったのか、三体の中級人型精霊たちは、小人の姿でカリナの周りを嬉しそうに飛び回った。
その時、教室の扉が開き、シュトゥルム先生が入ってきた。
「みなさん、席についてくださいね。今日は特別な授業がありますよ」
先生の柔らかな声に、生徒たちが背筋を伸ばす。
「精霊召喚魔法の第一人者の方々をお招きしての特別講義です。クラスごとに講師が割り当てられていますので、このまま教室で受講してください」
その言葉を聞いた瞬間、キオの胸が、きゅっと音を立てて締めつけられた。予感があった。
『シュバルツ......』
『大丈夫だ。俺がいる』
心の中で響くシュバルツの声。その力強い温もりに、キオは乱れかけた呼吸を整える。
「それでは、講師の先生方をお呼びしますね」
シュトゥルム先生が扉の方を振り返る。
静寂の中、扉が開かれた。
現れたのは、漆黒の髪を持つ長身の男性。
ベゼッセン・シュバルツ・ヴァーグナー。
その姿を認めた瞬間、キオの全身が強張った。指先が冷たくなるのを感じる。だが、すぐにシュバルツの尾が、見えない位置で優しくキオの腰に巻きついた。
『大丈夫だ』
確かな感触と言葉に、キオは小さく頷き返す。
ベゼッセンの後ろからは、もう一人、優雅な女性が入ってきた。
三十代半ばほどの、理知的な美しさを持つ女性だ。紫に近い黒髪を丁寧にまとめ上げ、穏やかな微笑みを絶やさない。精霊召喚の儀式で壇上にいた、アーデルハイト・シュバルツ・フリードリヒ先生だ。
「皆さん、おはようございます。本日の講義を担当させていただく、ベゼッセン・シュバルツ・ヴァーグナーです」
ベゼッセンの低く、穏やかな声が教室に響き渡る。
「そして、こちらがアーデルハイト・シュバルツ・フリードリヒ先生です」
「よろしくお願いいたします」
アーデルハイト先生が流麗な所作で一礼する。
「まず、昨日の精霊召喚、本当におめでとうございます。皆さんが素晴らしい精霊と出会えたこと、心から嬉しく思います」
ベゼッセンは教壇の前に立ち、ゆっくりと教室を見回した。その視線に、生徒たちは自然と引き込まれていく。
「今日は、精霊とは何か、そして精霊との関係性について、基礎から学んでいきましょう」
ベゼッセンは黒板に向かうと、流れるような筆致で『精霊の本質』と記した。
「精霊とは、この世界を創造した三大竜――黒竜、金竜、白銀竜――が、万物に吹き込んだ命そのものです」
その説明は明瞭で、一つ一つの言葉に深い知性が滲んでいる。
「火、水、風、雷、大地、光、空間......様々な属性を持つ精霊たちは、自然の力を体現した存在です。そして何より重要なのは――」
そこで一度言葉を切り、ベゼッセンは再び教室を見渡した。
「精霊には、自由な意志があるということです」
生徒たちの眼差しが真剣さを帯びる。
「精霊召喚は、精霊を支配する魔法ではありません。精霊と対等なパートナーシップを結ぶ、神聖な契約なのです」
ベゼッセンは黒板に図を描き足しながら、説明を続ける。
「契約とは、魂と魂の絆です。召喚士は精霊を尊重し、精霊は召喚士を信頼する。この相互の信頼こそが、真の力を生み出します」
キオは、その説明を聞きながら複雑な感情を抱いていた。
講義の内容は素晴らしい。ベゼッセンの知識は深く、教え方も丁寧で分かりやすい。けれど、その声を聞くたびに、胸の奥がざわめき、落ち着かない。
「歴史を振り返ると、精霊を道具のように扱おうとした召喚士たちがいました。しかし、そのような者たちは皆、精霊に見放されました」
ベゼッセンの声に、静かな、しかし確かな厳しさが混じる。
「精霊は、心を持つ存在です。喜び、悲しみ、怒り......私たちと同じように感情を持っています。だからこそ、常に敬意を持って接しなければなりません」
その言葉に促されるように、ルイがフレアとトロプを優しく見つめ、オーウェンがソラリスの羽根を愛おしげに撫でる。セドリックも、掌の上のコロネを優しく包み込んだ。
ベゼッセンの言葉は、生徒たちの心に深く染み込んでいった。
「では、具体的にどのように精霊と関係を築いていくか。それについてお話ししましょう」
講義は一時間以上に及んだ。精霊の属性ごとの特性、コミュニケーションの取り方、魔力の共鳴について。ベゼッセンの説明は実践的で、具体例に富んでいた。
「最後に、皆さんに伝えたいことがあります」
ふと、ベゼッセンが優しく微笑んだ。
「精霊との絆は、一日にして成るものではありません。日々の対話、共に過ごす時間、互いを理解しようとする心......その積み重ねが、かけがえのない絆を育んでいきます」
彼は教卓に手を置き、生徒一人一人の顔を見るように言った。
「どうか、この四年間で、素晴らしいパートナーシップを築いてください。それでは、午前中の講義を終わります」
ベゼッセンが一礼すると、教室には温かい拍手が満ちた。
キオも、周りに合わせて手を叩く。その掌は、拍手の音に反して、どこか重く感じられた。
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