表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜空色の青春  作者: 上永しめじ
第二章「絆と葛藤の深化」
71/106

とある日のお話「歌声と王冠」

 


 これは、精霊召喚の儀式から少し遡った、ある秋の日の午後のお話。


 オーウェンは重い足取りで校舎の廊下を歩いていた。

 午前中の授業中に感じた目眩が、まだ尾を引いている。昼食も喉を通らず、ほとんど残してしまった。



 加えて、王族としての公務による疲労も蓄積しているのだろう。


『……少し休もうか』


 そう思って足を止めかけた時、食堂の前から明るい声が聞こえてきた。



「音楽室ってどこにあるの?」


 褐色の肌に、キャラメル色の髪。そして宝石のような抹茶色の瞳。


 カリナだ。彼女が通りがかりの上級生に元気に尋ねている。



 その姿を見た瞬間、オーウェンは自分でも不思議なほど自然に足を向けていた。




「カリナ」


「あ、オーウェン!」


 振り向いた彼女の屈託のない笑顔。それを見ただけで、鉛のように重かった心が少しだけ浮き上がるのを感じた。


 不思議だ。いつもならこの時間は、誰とも会わずに自室で休みたいと思うはずなのに。


 今は、彼女と一緒にいたいと思った。



「音楽室を探しているのか?」


「うん! この学校の楽器を見てみたくて」


「それなら案内しよう。僕もちょうど、そっちの方に用があったんだ」



 嘘だった。



 でも、どうしてもこの時間を手放したくなくて、自然とそんな言葉が口をついて出た。



 音楽室は北棟の端にある。



 二人並んで廊下を歩きながら、オーウェンはカリナの横顔を盗み見た。


 彼女は窓の外の景色を興味津々に眺めている。

 午後の柔らかな秋の日差しが、彼女のキャラメル色の髪を透かし、褐色の肌を黄金色に輝かせていた。


『綺麗だな……』


 ふと浮かんだ感想に、オーウェン自身が驚いた。

 思考が熱を帯びる。熱のせいか、それとも――。


『……頭がぼーっとしているな』


 オーウェンはそう自分に言い聞かせ、胸の動悸を誤魔化した。



 音楽室の重い扉を開けると、そこには静寂と、窓から切り取られた燃えるような紅葉の景色があった。


 カリナは部屋の中央に鎮座するグランドピアノに駆け寄る。



「わあ、大きなピアノ! 故郷にはこんな立派な楽器はなかったわ」


 目をキラキラと輝かせる彼女を見て、オーウェンの頬が自然と緩む。


 カリナのこういうところがいい。


 何を見ても新鮮に驚き、素直に喜び、心を動かす。幼い頃から感情を押し殺すよう教育されてきた自分には、眩しすぎるほどの輝きだ。




「せっかくだから、少し一緒にいてもいいか?」


「もちろん! 一人より二人の方が楽しいもの」


 カリナが花が咲くように笑う。

 その言葉が、どれほど嬉しいか。


 オーウェンは窓際の椅子に腰を下ろした。彼女の自由な時間を邪魔しないよう、少し距離を取って。


 けれど視線だけは、どうしても彼女を追ってしまう。



「カリナの故郷には、ピアノのような楽器はあったのか?」


「うーん、基本的には吹いたり叩いたりする楽器が多かったかな。持ち運べるくらいの大きさのものがね。その方が気軽に演奏できるし、すぐに歌ったり踊ったり出来るし!」


 言うが早いか、カリナはふわりとスカートを翻し、軽やかなステップを踏み始めた。


 即興の歌を口ずさみながら、くるくると舞う。


 その姿は、まるで異国の舞姫のようだった。

 自由で、風のようで、誰にも縛られない美しさ。



「カリナは歌が本当に上手だな。この前の授業で聴いた時も、皆が驚いていた」



 オーウェンが感嘆の声を漏らすと、カリナは踊りを止めて照れくさそうに笑った。


「ありがとう! でも故郷では、歌は生活の一部だったから。朝も夜も、みんなで自然に歌うのよ」


 そう言って、彼女は再びピアノに向かい合った。


 恐る恐る、人差し指で鍵盤を押す。


 ――ポーン。


「ドの音だわ。これは分かる!」



 続けて、いくつかの鍵盤を適当に叩く。

 調律の整ったピアノから、でたらめだが楽しげな不協和音が響く。


 城での生活では、音楽とは完璧で洗練された芸術でなければならなかった。



 けれど、カリナが奏でるこの自由な音には、そんな堅苦しさはない。


『楽しいから、やる』


 そんな単純で純粋な理由で何かをすることが、自分にはどれだけあっただろう。



「先程の歌もそうだが……故郷では、どんな歌を歌っていたんだ?」


「色々あるわよ。朝の歌、海の歌、踊りの歌……」


 故郷を思い出し、カリナの瞳が遠くを見るように潤む。


「一番好きなのは、家族の歌かな。お母さんがよく歌ってくれたの」


 その横顔に、ふと寂しさが滲んだ気がした。


「聴かせてもらえるだろうか?」


 オーウェンは身を乗り出した。王族としての興味ではない。ただ、彼女の声を聴きたかった。


「いいわよ! あ、でも……ちょっと大きな声を出す歌だから、迷惑にならないかな?」


 カリナがキョロキョロと周囲を気にする。


「大丈夫だ。ここには僕しかいない」


 できるだけ優しく、安心させるように告げると、カリナは一つ深呼吸をして――歌い始めた。



最後までお読みいただきありがとうございます。

面白い、続きが気になると思っていただけましたら、

下の☆マークから評価や、ブックマーク(お気に入り登録)をしていただけると、執筆の励みになります!

(お気軽にコメントもいただけたら嬉しいです)

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ