間話03「ベゼッセン視点_とある一室での拍手」
とある一室。
重厚な木製の扉を閉め、ベゼッセン・シュバルツ・ヴァーグナーは、静かに息を吐き出した。
壁には古い魔法書が整然と並び、机の上には精霊召喚に関する資料が積み上げられている。特別講師としての彼に用意された一室——静寂に包まれた思考の場所。
部屋の隅、窓際の影に、黒い鎧の騎士が佇んでいた。
ヴェルメという名前のデュラハン
首のない騎士の姿は、暗がりの中でも異様な存在感を放っている。頭部のない鎧の肩口から、わずかに闇色の霧のようなものが立ち上っている。
ベゼッセンは、ヴェルメの存在を確認すると、小さく頷いた。
しかし今のベゼッセンの胸の奥は静寂とは異なり、まるで嵐のように荒れ狂っている。
キオ・シュバルツ・ネビウス。
あの子が見せた、圧倒的な召喚。黒竜の眷属——竜人が、キオの呼びかけに応じて顕現した瞬間の、あの神々しさ。
『素晴らしい……』
心の底から湧き上がる感嘆。
あの子は、やはり特別だった。誰よりも、何よりも——。
だが、同時に。
『なぜ、あの子が、あんな者たちと......』
脳裏に浮かぶのは、キオが生徒たちと親しげに笑い合う姿。あの灰色の髪の娘。王族の少年。異国の娘に、平民の少年。
王族の少年はまだ良い。でも他の子たちは......。
確かに事前にパラッツォからの報告で知ってはいた。
でも、実際に目にすれば「なぜ?」と思ってしまう。
貴族として、もっと相応しい交友関係があるはずなのに。
苛立ちが、胸の奥で渦を巻く。
キオは、あれほど特別な存在なのだ。もっと、その立場に相応しく——。
ベゼッセンは机の前に立ち、両手でその縁を強く掴んだ。感情を抑え込もうとするように。
胸元のサファイアのブローチに、無意識に手が伸びかけた——
パチ、パチ、パチ、パチ、パチ!!
突然響き渡った、盛大な拍手の音に、ベゼッセンの体が跳ねた。
「素晴らしい! なんと素晴らしい! ああ、実に素晴らしい儀式でしたねぇ!!」
部屋の隅の闇が、まるで生き物のように蠢いた。
そこから滲み出るように姿を現したのは——パラッツォ。
その瞬間、ヴェルメの黒い鎧が、わずかに軋んだ。
首のない騎士が、微かに身構える。頭部のない肩口から、闇色の霧が濃くなる。
しかし、ヴェルメは動かない。喋らない。ただ、静かに警戒の姿勢を取るのみ。
月光のような冷たい美貌に、芝居がかった満面の笑みを浮かべ、まだ拍手を続けている。その目には、愉悦の光が踊っていた。
「なんという舞台! 黒竜の眷属の顕現! 夜空を創り出す魔力! ああ、鳥肌が立ちましたよ、本当に! 最高の演出ですねぇ!」
ベゼッセンは、無言でパラッツォを睨みつけた。
今は、こいつの戯言を聞いている余裕などない。
しかし、パラッツォは意に介さず、ゆっくりとベゼッセンへと近づいてくる。窓際のヴェルメの前を通り過ぎる時、わざとらしく大げさな身振りで避けてみせた。
「おやおや、ヴェルメ殿もご機嫌斜めですかねぇ? ふふふ、そんなに威嚇しないでくださいな。私はただの観客ですよ」
ヴェルメは答えない。ただ、黒い鎧が再び小さく軋む。
「いやぁ、キオ君......いえ、駒鳥ちゃんは期待を裏切りませんねぇ。あれほどの力を持っていたとは。ふふふ、これは今後の展開が、ますます楽しみだ」
パラッツォが、ベゼッセンの肩に、馴れ馴れしく手を置いた。
「そして、そして! あなたの表情も最高でしたよ、ベゼッセン様。キオ君を見つめるあの目......ああ、愛おしさと嫉妬が入り混じった、なんとも複雑で美しい顔! 芸術ですねぇ、まさに芸術!」
「......黙れ」
ベゼッセンの低い声が、部屋の空気を震わせた。
パラッツォは、大げさに驚いたような仕草をして見せる。
「おやおや、ご機嫌斜めですかぁ? でもでも、仕方ありませんねぇ。だって、駒鳥ちゃんったら、あんな者たちと仲良くしちゃって。貴族として、もっと相応しい交友関係があるでしょうに。ああ、あなたの理想とは、ずいぶん違う姿でしたねぇ、ふふふ」
パラッツォが、ベゼッセンの背中をポンポンと叩く。
ベゼッセンは、その手を振り払おうとしたが、パラッツォはひらりとかわし、今度は反対側から顔を覗き込んできた。
「まぁまぁ、そう怒らないでくださいな。それに、あなたはこれから特別講師として学園に通うんでしょう? 駒鳥ちゃんの傍に、いつでもいられる。ふふ、なんて素晴らしい役回りでしょう!」
パラッツォは、クルクルと部屋の中を回りながら、両手を広げた。
「ああ、想像してごらんなさい! あなたが『優しい先生』として近づき、駒鳥ちゃんが少しずつあなたに心を開いていく......。そしてあの者たちから引き離し、あなただけの......ふふふ、これは第何幕でしたっけ? ああ、『誘惑』の幕ですかねぇ?」
「黙れ、と言った」
ベゼッセンは、もう一度、今度はより強く、パラッツォを睨みつけた。
部屋の隅で、ヴェルメの鎧が再び軋む。黒い騎士が、わずかに前に踏み出しかけた。
しかし、主人からの呼びかけはない。ヴェルメは再び静止する。
パラッツォは、その視線を受けても、ただニヤニヤと笑うだけだった。
「ふふふ......怖い怖い。でもねぇ、ベゼッセン様。あなたがどれだけ怖い顔をしても、私には効きませんよ? だって、私たちは『契約者』ですから。あなたが私を呼んだんですよ。あなたの願いを叶えるために、ね」
パラッツォは、再びベゼッセンの肩に手を置き、耳元で囁くように言った。
「さぁ、これから始まりますよ。第二幕......いえ、第三幕でしたっけ? まぁ、どちらでもいいですねぇ。とにかく、駒鳥ちゃんを巡る、美しくも滑稽な......ああ、我ながら詩的だ......『愛憎劇』が、ね」
ベゼッセンは、パラッツォの手を、今度は力任せに振り払った。
「......好きにしろ」
彼は、窓の外に視線を向けた。
遠くに見える学園の尖塔。あそこに、キオがいる。
『特別講師として、あの子の傍にいられる。私が、自ら決めたことだ』
苛立ちも、混乱も、すべてを飲み込んで。
ベゼッセンの口元に、微かな笑みが浮かんだ。
その笑みを見たパラッツォは、満足そうに、また盛大な拍手を送った。
「ブラボー! ブラボーですよ、ベゼッセン様! その笑顔こそが......ふふふ、さぁさぁ、幕が上がりますよ! 観客の皆様、ご期待くださいませ!」
パラッツォの高笑いが、部屋の闇に溶けていった。
悪魔が完全に姿を消すと、部屋には再び静寂が戻った。
ベゼッセンは、窓の外を見つめたまま動かない。
部屋の隅で、ヴェルメが静かに佇んでいる。
黒い鎧の騎士は、何も言わない。何も問わない。
ただ、無言で主人を見守り続けている。
その沈黙が、今のベゼッセンには、何よりも心地よかった。
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