第20話「精霊召喚儀式の始まり(3)」
キオは俯いたまま、冷たい石床の模様を見つめながら、必死に乱れた呼吸と高鳴る心臓を落ち着かせようと努めていた。
だが、壇上から、あのベゼッセンの視線が、まるで磁石のようにずっと自分の方を向いている気がしてならない。その感覚が、キオの全身を再び強ばらせる。
『シュバルツ......』
キオの内側で、不安がざわめく。
『大丈夫だ。俺が、お前を、そしてお前の心を、完全に守る。何も心配するな』
シュバルツの静かで揺るぎない声が、キオの不安を包み込む。
その時、壇上のベゼッセンが口を開いた。
「精霊召喚は、皆さんが持つ生まれ持った魔力と、精霊界の根源的な力を、この召喚陣を通じて結びつける、極めて神聖な儀式です」
その声は、驚くほど落ち着いていて、広間全体に響き渡る。キオが昔よく聞いた、温かく、そしてすべてを包み込むような優しい声だった。
しかし、キオはその声を聞くだけで、胸の奥がきりきりと締めつけられ、ひどく苦しくなった。
「召喚の手順を説明します。まず、皆さんは順番に召喚陣の中央に立ち、自身の魔力を、一切の躊躇なく、最大限に解放してください。そして、心を開き、精霊界の存在に、あなた自身の言葉で呼びかけます」
ベゼッセンの説明は、一つ一つの言葉が正確で、丁寧で、非常に分かりやすい。集まった生徒たちは、誰もが真剣な面持ちで、その一言一句を聞き漏らすまいと耳を澄ませている。
「精霊があなたの呼びかけに応じ、現れたら、契約の意思をしっかりと確認し合います。お互いが心から納得した上で、正式に契約を結んでください。精霊の意志を無視するような行為は、断じて許されません」
キオは、変わらずルイやオーウェンたち友人に囲まれながら、ベゼッセンの丁寧な説明を聞き続けた。しかし、一度下げた視線は、怖くて決して上げることができない。
「何か、召喚に関する疑問点や質問はありますか?」
ベゼッセンがそう問うと、何人かの生徒が緊張しながらも、恐る恐る手を挙げた。
「もし、複数の精霊が同時に現れたら、どうすればいいでしょうか?」
「良い質問です。精霊は、あなた自身の魔力や魂に最も強く共鳴する存在を選んで現れます。その場合は、あなたが最も強く惹かれ合う、運命のパートナーだと感じる精霊を選んでください」
質問した生徒は静かに頷く
「ただ、時として強く共鳴する精霊が複数現れることがあります。その際は、複数契約しても問題ないです。全ては巡り合わせですからね」
ベゼッセンは優しく微笑んだ。
他にも、儀式についての不安や技術的な質問がいくつかあり、ベゼッセンは一つ一つ、非常に理路整然と、かつ穏やかに答えていった。
そして、すべての質問に答え終わった後、ベゼッセンが、少し声を低くして、広間に向かって改めて言った。
「さて。本日の参加生徒の中には、特別な事情のある生徒が一名います」
キオの心臓が、まるでハンマーで叩かれたかのように激しく跳ね上がった。全身の血の気が引く。
『私の、ことじゃないよね......?』
ベゼッセンの視線が、再びキオに突き刺さるような気がした。
「カリナ・マージェンさん」
「はい!」
その声に、キオは安堵とともに全身の力が抜けるのを感じた。カリナは、一瞬で緊張が解けたのか、いつものように元気よく返事をした。
「カリナさんは、故郷の儀式ですでに精霊パートナーを連れてきているため、本日の召喚儀式は見学となります。召喚陣には立ちませんので、待機場所でお待ちください」
「はい、わかりました!精霊さんたちの応援、頑張ります!」
カリナは満面の笑みで答え、すぐに楽しそうに見学席へと移動した。
『自分のことは、公の場では言及されなかった......』
キオが心の奥でそう呟くと、シュバルツが冷静に答えた。
『ああ。あいつも公私混同はしないんだろうな。こんな大きな儀式を仕切っている以上、皆の前で私的な事情を持ち出すことはないだろう』
その言葉に、キオは少しだけ気持ちが整理された。
「それでは、これより、本日の精霊召喚儀式を開始します」
ベゼッセンの力強い声と共に、中央の巨大な召喚陣が、突如として輝き始めた。
アーデルハイト先生とカスパー先生、そして数名の上級生が、配置につくと同時に、静かに、しかし強力な魔力を召喚陣に注ぎ込み始める。
七色の光が、広間の床で巨大な渦を巻き、神殿全体が、まるで精霊界の空気に触れたかのような、神秘的な雰囲気に包まれる。
「美しい......!生きているみたいだ」
生徒たちの間から、再び感嘆の声が漏れる。
「順番は、学園の名簿順に行います。最初の生徒は、前へ」
ベゼッセンの声と共に、広間の緊張は最高潮に達した。
名簿の一番目の生徒が、皆の熱い視線の中、召喚陣へと堂々と歩み出た。
キオは、友人たちの温かい支えに囲まれながら、心の中でシュバルツと対話する。
『ベゼッセンは......、本当に、何もしてこないよね?』
キオの不安が、再び湧き上がる。
『安心しろ。あいつが、口を挟む隙も、行動を起こす暇もないくらい、力強い演出で現れてやる。あいつを驚かせるくらいにな』
その大胆な言葉に、キオは、つい少し笑ってしまった。緊張の糸が、ほんの少しだけ緩む。
『ふふふ、それは面白そうだね。期待してるよ』
『任せておけ。俺は、お前の精霊だ』
最初の生徒が召喚陣の中央に立つ。
生徒の魔力が解放され、召喚陣の光が一気に強まる。
そして――光の渦の中から、ビー玉ほどの小さな光の玉が現れた。
それは徐々に形を成し、半透明の羽を持つ、愛らしい小さな風の精霊となった。
生徒と精霊が、見つめ合い、お互いの意思を確認し、そして契約を結ぶ。
見事に、儀式は成功だ。
広間に、安堵と祝福の拍手が響き渡る。
ついに、精霊召喚儀式が始まったのだ。
キオは、友人たちの変わらぬ温もりを感じながら、自分の番が来るのを静かに待つ。
胸の奥深くで、シュバルツの圧倒的な気配が、いつでも解放される瞬間を待つように、静かに、そして力強く脈打っていた。
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