第19話「儀式前の交流と出会い(3)」
自室の扉を閉めた瞬間、セレネ・ジルヴァ・マジェスタはその場に崩れ落ちるように扉へ背中を預けた。
息が、苦しいほどに荒い。
心臓が早鐘を打ち、今にも胸を突き破りそうだ。
「はあ......はあ......っ」
セレネは胸元のブラウスを強く握りしめ、荒ぶる呼吸を整えようとする。
けれど、頬の熱は引くどころか、ますます熱を帯びていくのがわかった。
「お、お話しできた......キオ様と......」
誰もいない部屋に、震える声が甘く溶けていく。
脳裏に焼き付いたのは、あの奇跡のような瞬間。
夜空の色を映した黒髪。深い知性を湛えた紫の瞳。
そして――とろけるような、優しい微笑み。
『明日は精霊召喚ですね。頑張りましょうね』
かけられた言葉を反芻するたび、身体の芯が痺れるような感覚に襲われる。
「あぁ......」
セレネは夢見心地のまま、ふらふらと窓辺へ歩み寄った。
窓の外には、冴え冴えとした冬の夜空が広がっている。無数の星々が、まるで神の眼差しのように静かに瞬いていた。
彼女は窓の前でそっと膝をつき、両手を組む。
月明かりを浴びて輝く白銀の髪は、まさに「聖女」と呼ばれるに相応しい神秘的な光を放っていた。
セレネは瞳を閉じ、祈りを捧げ始めた。
「神竜様......」
震える唇から、敬虔な言葉が紡がれる。
「本日、私に......この身に余る出会いをお与えくださり、ありがとうございます」
ハンカチを拾ってくれた時の、あの気遣いに満ちた声。
緊張して固まってしまった自分を、嘲笑うことなく見守ってくれた優しさ。
「なんて......なんてお優しい方なのでしょう」
頬をバラ色に染め、うっとりと陶酔するその表情は、恋する乙女そのものだった。
だが――。
「キオ・シュバルツ・ネビウス様......。黒竜様の血を最も濃く引く、高貴なるお方」
父の教えが、神託のように脳裏に蘇る。
『お前は白銀竜の血を引きし聖女。いつか、キオ様を支えるべく定められた存在なのだよ』
セレネがカッと目を見開いた。
先ほどまでのとろけるような甘い表情は消え、そこには一点の曇りもない「使命感」が宿っていた。
「神竜様......私は、この身に課せられた使命を、必ず果たします」
祈りの声に、強い力が籠る。
「キオ様を......正しき道へと、お導きいたします」
あの方は優しすぎる。
その海のような慈悲深さゆえに、平民や異国の者たちとも分け隔てなく接しておられる。
それは確かに、尊い心根だ。
――けれど。
「あのような至高の存在が、身分の異なる者たちと気安く混じり合うのは......本来あるべきお姿ではありません」
セレネの美しい眉が、憂いを帯びて曇る。
キオの優しさは美徳だが、同時に危うさも孕んでいる。高貴な者は、高貴な場所にこそ座すべきだ。それが秩序であり、キオ自身の品位を守ることにもなる。
彼女はそう、純粋に信じていた。
「私が......聖女である私が、あの方に相応しい環境を整え、しっかりとお支えしなければ」
そこに悪意など欠片もない。
あるのは、「キオのためを思う」純粋すぎる正義と、一途な思い込みだけだった。
「神竜様、どうか......どうか私に力をお与えください」
組んだ手に力が入り、指先が白くなる。
「明日の儀式で、私にも素晴らしい精霊様との出会いを。そしていつか、キオ様の隣に並び立つに相応しい力を」
静寂に包まれた部屋に、祈りの言葉が吸い込まれていく。
それは、少女の恋心と、聖女としての矜持が混ざり合った、切実な願いだった。
「キオ様......」
再びその名を呟くと、セレネの表情にまた乙女の恥じらいが戻った。
「明日......また、お会いできます」
窓の外、冬の夜空に輝く星々は、何も語らずただ静かに彼女を見下ろしている。
セレネは立ち上がる。
明日という聖なる日のために、身を清め、休まなければならない。
神に仕える者として。
そして――誰よりもキオ様の幸福を願う者として。
身を清め、ベットに横になる。
やがてセレネは静かに寝息を立て始めた。
その夢の中に、どのようなキオの姿が映っているのかは、誰も知らない。
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