第17話「心の濁流(3)」
放課後。
学園の屋上には、鋭い風が吹き抜けていた。
寒さのせいだけではない。キオは凍えるような心地で、友人たちの前に立っていた。
「みんな、集まってくれてありがとう」
絞り出した声に、四人の視線が真っ直ぐに向けられる。そこには好奇心などはなく、ただ純粋な心配だけがあった。
「今日、僕が魔力をうまくコントロールできなかったのは......ただの体調不良じゃないんだ」
キオは深く、冷たい空気を肺に満たした。
「実は......今度の精霊召喚儀式で、指導員の主任として来る人が......」
喉が詰まる。名前を口にするだけで、体が拒絶反応を起こしそうになる。
『キオ、大丈夫だ。俺がいる』
頭の中で響くシュバルツの力強い声。それに背中を押され、キオは震える唇を開いた。
「僕の叔父さんなんだ。父の弟で......ベゼッセン・シュバルツ・ヴァーグナーっていう人」
四人は口を挟まず、静かに耳を傾けてくれている。
「その......叔父さんのことが、どうしても苦手で......怖いんだ」
一度口火を切ると、止めどなく言葉が溢れてきた。
「七年前、両親を亡くして......あの頃、家の中はめちゃくちゃだったんだ」
キオは視線を落とす。
「長兄のセクと次兄のノックスは、家を守るのに必死で......僕や、まだ小さかった下の双子の弟妹の面倒を見る余裕なんてなかった」
だから、仕方がなかった。誰も悪くない。
そう頭では分かっていても、心の傷は疼く。
「だから僕たちは......しばらくの間、叔父さんの屋敷に預けられたんだ」
オーウェンが、眉間にしわを寄せて真剣に聞いている。ルイも、カリナも、セドリックも、瞬きさえ惜しむようにキオを見つめている。
「その時の生活が......すごく、怖かった」
キオはギュッ、と自分の腕を抱きしめた。
具体的なことは言えない。言いたくない。
ただ、あの屋敷で過ごした日々の閉塞感と、叔父の眼差しを思い出すだけで、呼吸が浅くなる。
「僕もまだ幼くて......何もできなくて......」
言葉が続かない。
これ以上話せば、自分が自分でなくなってしまいそうな恐怖に襲われる。
「それ以来、叔父さんの顔を見るだけで......体が動かなくなっちゃうんだ」
オーウェンが何かを言いかけ、ハッとしたように口を噤んだ。
聞きたいことは山ほどあるはずだ。何をされたのか、何があったのか。けれど、小刻みに震えるキオを見て、彼は痛ましげに視線を伏せた。
何も聞かないこと。それが、今の彼らにできる精一杯の配慮だった。
その重苦しい沈黙が怖くて、キオは無理やり乾いた笑いを浮かべた。
「あはは......なんか、ごめんね。こんな暗い話——」
ドンッ。
言葉は最後まで続かなかった。
柔らかく、温かい衝撃がキオを包み込んでいた。
「えっ......?」
驚いて目を開けると、目の前にはカリナのキャラメル色の髪があった。
彼女が、キオを強く抱きしめていたのだ。
「カリナ......?」
顔を上げると、カリナはいつもの底抜けに明るい笑顔ではなく、痛いくらいに真剣な表情をしていた。
その大きな抹茶色の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「キオ、笑わなくていいのよ」
震える声で、けれど力強く、カリナは言った。
「辛い時は、泣けばいいの。無理して笑って誤魔化さないで。辛い気持ちも、嫌な記憶も、全部涙で洗い流しちゃえばいい!」
「......っ」
「我慢しなくていいの。だって、私たちは友達でしょ!?」
その叫びのような言葉が、キオの心の堤防を決壊させた。
詳しい事情なんて話さなくていい。ただ「辛かった」という気持ちだけで、彼女はこんなにも泣いてくれる。
「キオ君」
ルイがそっと近づき、カリナ越しに背中に手を添えてくれた。
「話してくれてありがとう。......一人で抱えて、辛かったね」
「ルイ......」
「もう大丈夫。私がついてる」
オーウェンも歩み寄り、キオの頭をポンと撫でた。
「俺たちがいる。キオは一人じゃない」
「......僕たちは、キオ君の味方だから」
セドリックも優しくキオの手を両手で包み込んだ。
「僕たちがそばにいるからね」
四人の体温が、言葉が、凍りついていたキオの心を溶かしていく。
視界が滲んだ。もう、こらえきれなかった。
「みんな......ありがとう......う、ううっ......」
堰を切ったように、感情が溢れ出す。
カリナの腕の中で、キオは子供のように声を上げて泣いた。
ベゼッセンの名前を聞いて、ずっと一人で耐えてきた。
誰にも言えなかった恐怖。
それらが涙となって、止めどなく頬を伝っていく。
「大丈夫......大丈夫よ」
カリナが優しく背中をさすり続けてくれる。
冬の屋上で、五人は身を寄せ合い、一つになっていた。
―――
どれくらい時間が経っただろうか。
西の空が茜色に染まり、学園の塔の影が長く伸びていた。
キオはようやく泣き止み、腫れた目で照れくさそうに笑った。
「ごめん......ぐちゃぐちゃに泣いちゃって」
「謝らないでって言ったでしょ」
ルイがハンカチを差し出しながら、優しく微笑む。
「泣くのは悪いことじゃないよ。スッキリした?」
「うん......すごく」
キオが頷くと、オーウェンが真っ直ぐな瞳で言った。
「儀式も儀式後の短期集中講義も俺たちがそばにいる。なるべくキオが叔父さんと二人きりにならないように動くさ」
「そうだよ! もし何か言われたら、私が言い返してあげる!」
カリナが涙を拭いて、鼻をすすりながら、わざと明るく腕をまくってみせる。
「キオの味方はここにいっぱいいるんだから、怖がらなくていいのよ」
セドリックも深く頷いた。
「困った時は、すぐに僕たちを呼んで。必ず助けになるから」
その言葉の一つ一つが、お守りのように心強かった。
『シュバルツ、聞いてた?』
『ああ。......素晴らしい友人たちを持ったな、キオ』
シュバルツの声も、どこか誇らしげだ。
『うん......私、本当に恵まれてる』
『そうだ。だから、もう二度と一人で抱え込むな』
『うん、約束する』
キオは空を見上げた。
燃えるような夕焼け空の中に、一番星が静かに輝き始めている。
「......そろそろ、帰ろうか」
オーウェンが促した。
「うん」
五人は並んで、屋上を後にする。
これから待ち受ける試練が消えたわけではない。
叔父への恐怖が完全に消えたわけでもない。
けれど、もうキオは一人じゃなかった。
隣には仲間がいる。支えてくれる手がこんなにもある。
その事実が、震える足に勇気を与えてくれた。
階段を降りながら、カリナが明るい声で言った。
「明日からも、一緒に特訓頑張ろうね!」
「うん!」
キオの返事に、みんなの顔がほころぶ。
長い影が石畳の床に映る中、五人の笑い声が温かく響いていた。
窓の外では、星がひとつ、またひとつと、夜空に瞬き始めていた。
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