第16話「精霊召喚と迫り来る影(2)」
放課後の鐘が鳴り響くと、生徒たちは思い思いの方向へと散っていった。
「みんな、今日はどうする?」
キオが声をかけると、ルイが申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ごめんね、キオ君。私、今日は寮母さんに呼ばれてて......平民の生徒への個別相談があるんだって」
「私もなの」
カリナも困ったように肩をすくめる。
「異国出身の生徒への定期面談があるらしくて」
「そうなんだ。大丈夫、気にしないで」
キオが笑顔で答えると、ルイとカリナはほっとしたように頷いた。
「オーウェンは?」
キオが振り向くと、オーウェンは少し疲れた様子で額に手を当てていた。
「すまない。今日は少し体調が......。先に寮に戻って休もうと思う」
「無理しないでね」
「ああ、ありがとう」
オーウェンは申し訳なさそうに微笑んで、教室を出ていった。
「セドリックは?」
キオがセドリックに尋ねると
セドリックも少し申し訳なさそうな、でも嬉しそうな表情で応える
「ごめんね。実はエルヴィン君と約束があるんだ。前に話してた、好きな本の話の続きをするって」
「へえ、エルヴィンと?」
カリナが興味深そうに目を丸くする。
「うん! 実は同じ作家の本が好きだってわかって、それで盛り上がったんだ。今日はエルヴィン君の部屋で、その作家の新刊について語り合う約束をしてて」
セドリックの顔は嬉しそうに輝いている。エルヴィンとの友情が深まっているようで、キオも微笑ましく思った。
「じゃあ、僕は図書館に行こうかな」
キオがそう言うと、みんなが振り向いた。
「精霊召喚のこと、もう少し調べたいんだ」
「勉強熱心だね、キオ君は」
ルイが感心したように言う。
「じゃあ、また明日ね!」
「うん、また明日」
それぞれの方向へと別れ、キオは一人で図書館への道を歩き始めた。
廊下には西日が差し込み、磨き上げられた石の床に長い影を作っている。生徒たちの喧騒はすでに去り、廊下はしんと静まり返っていた。
キオは、ふと立ち止まり、窓の外の空を見上げた。空はまだ青さを残しつつも、西の地平線に向けて淡い橙色に染まり始めている。
この静けさの中で、ようやくシュバルツと二人きりになれるという期待が、キオの胸を穏やかに満たしていった。
歩きながら、キオは心の中でシュバルツに呼びかけた。
『シュバルツ』
『ああ、キオ』
温かく、落ち着いた声がすぐに応える。
『図書館で、少し話せる?』
『もちろんだ。俺もお前に話したいことがある』
図書館に着くと、高い天井まで続く本棚の威容と、古い紙とインクの香りがキオを迎えた。高い天井から吊り下げられたシャンデリアの柔らかな光が、整然と並ぶ本棚を照らしている。
放課後の図書館は比較的静かで、数人の生徒が本棚の間を行き来しているだけだった。キオは、人目につきにくい精霊学の棚の奥にある席を選び、ゆったりとした木製の椅子に腰を下ろした。
窓から差し込む西日が、机の上に温かな光の帯を作っている。その光の中で、キオは膝の上でそっと手を重ねた。
『シュバルツ』
キオは改めて心の中で呼びかけた。
『精霊召喚儀式のこと......教えてほしいんだ』
『ああ』
シュバルツの声が、いつもより少し感慨深げに響いた。
『この儀式で、俺はお前のいる現世に顕現できる』
『顕現......』
キオの瞳に、かすかな驚きと興奮の色が宿る。
『そうだ。今まで俺は、お前の心の中にしか存在できなかった。声を届けることはできても、姿を見せることはできなかった』
シュバルツの声には、長年の葛藤と、それが解放されることへの喜びのような響きがあった。キオの胸が、じんわりと温かくなった。
『でも、精霊召喚儀式でお前と正式な契約を結べば、俺は現世に姿を現すことができる』
『やっと......会えるんだね』
『ああ。やっと、だ』
シュバルツの声に、深い感情が込められているのがわかった。その響きは、長年キオを支え続けてきた「相棒」の、切実な願いの結晶のようだった。
『お前を......直接守ることができる。もう声だけの存在じゃない。何かあった時、すぐにお前のそばにいられる』
その言葉に、キオの目が潤んだ。込み上げてくる熱いものをこらえ、キオはそっと視線を伏せた。
七年前、恐怖に駆られた時、シュバルツはずっと心の中から声をかけ続けてくれた。
でも、直接助けることはできなかった。その悔しさを、シュバルツがどれほど抱えていたか、キオには痛いほどわかっていた。
『ありがとう、シュバルツ。君がいてくれて、本当によかった』
『......キオ』
少しの沈黙の後、シュバルツが続けた。その声には、キオの感謝に対する照れくささと、決意が混じっている。
『ただ、一つ伝えておかなければならないことがある』
『なに?』
『俺は......非常に強い力を持つ精霊だ。そのため、現世に顕現する際には、力に制約がかかった状態で召喚されることになる』
キオは、その言葉に内心で応じた。
『制約?』
『ああ。本来の姿では、この世界に存在するだけで周囲に影響を与えてしまう。だから、力を抑えた姿で現れることになる。本来の俺の姿とは、少し違うかもしれない』
キオは少し考えてから、ふっと微笑んだ。彼の心は真剣に受け止めているが、不安の揺らぎはない。
『そんなこと、気にしないよ』
『......なに?』
シュバルツの声には、驚きと、戸惑いが混じっていた。
『シュバルツの姿がどんなでも、シュバルツはシュバルツだもの。大切なのは、君に会えることだよ』
この第三の人生で、キオが最も手に入れたかった「繋がり」の言葉が、図書館の静寂に響く。
心の中に、温かい沈黙が流れた。それは、言葉を必要としない、深い共感の時間だった。
『......お前は、本当に......』
シュバルツの声が、わずかに震えているようだった。その声には、感謝と、長年の思いが詰まっていた。
『やっと会えるんだ。それだけで、私は嬉しい』
『......ああ。俺もだ。やっと......』
二人の間に、言葉にならない感情が静かに流れた。窓の外の西日が、キオの夜空色の髪を金色に縁取る。
長い間、心の声でしか交流できなかった二人が、ついに直接会える。その喜びが、キオの胸いっぱいに広がっていた。
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