第14話「猫たちの祝祭(3)」
ドカドカドカ!
突然、店の外から激しい足音が近づいてきた。
「にゃああああ!」
切羽詰まったような大きな鳴き声。
続いて、ガラン! ガシャン! と外で何かが倒れる音が響いた。
「え? 何?」
カリナが窓の外を見る。
「あれは......!」
マスターが目を見開いた。
「この辺りのボス猫です!」
次の瞬間、ガタン!と開かれた大きな窓から大きな茶トラの猫が、弾丸のように店に飛び込んできた。ショーケースのモデルになった、あのふっくらとした体格の猫だ。
「きゃあ!」
ルイが驚いて短い悲鳴を上げる。
「危ない!」
キオが咄嗟にルイを庇うように、彼女の肩を抱き寄せた。
茶トラ猫は、まっすぐこちらに突っ込んできた。その足取りは力強いが、どこか必死で、まるで何かから逃げているかのようだ。
「うわっ!」
セドリックが慌てて椅子から立ち上がると
茶トラ猫は、そのセドリックの椅子を足場にして、ぴょん!とテーブルの上に軽々と飛び乗った。
ティーカップが、カタカタと不穏な音を立てて揺れる。
「テーブルに!ちょっと!コラ!」
カリナが驚いて声を上げる。
茶トラ猫は、テーブルの上を器用に駆け抜け、猫のケーキのすぐ横をすり抜けていく。その動きはその巨体からは想像もつかないほど素早く、しかし不思議と優雅だった。
「あ、ケーキが......!」
セドリックが心配そうに声を上げるが、茶トラ猫は見事にすべてのケーキを避けて走り抜けた。
そして、テーブルの端から――ぴょん!
茶トラ猫は、空中で一回転するような見事な跳躍を見せ、エルヴィンの肩の上にふわりと着地した。
「うわあああ!重いっ!!」
エルヴィンが驚いていると。茶トラ猫は、器用にエルヴィンの肩から頭へと移動し、まるで風変わりな帽子のようにどっしりと乗っかった。
「べ、ベアトリス!助けて......!」
エルヴィンが情けない声で叫ぶ。
「え、えっと......どうすれば......!」
ベアトリスもすっかりパニックになっている。
茶トラ猫は、エルヴィンの頭から再び跳躍し、今度はベアトリスの方へと飛んだ。
「うぐっ!」
「きゃっ!」
ベアトリスが両手で顔を覆う。
しかし、茶トラ猫はベアトリスには触れず、彼女の隣の椅子の背もたれに、ぴたりと着地した。
「ベアトリス!」
エルヴィンが慌ててベアトリスに駆け寄る。
その時――ずっと静かだったオーウェンが、突然こらえきれないように噴き出した。
「ふっ......あはは! あははは!」
オーウェンの朗らかな笑い声が、店内に響く。
「オーウェン様!?」
エルヴィンが驚いて振り向いた。
「ご、ごめん......! でも、エルヴィン、君の顔......! あはははは!」
オーウェンは涙を拭いながら、笑いが止まらない様子だ。
「オーウェン様!笑ってないで助けてください!」
「あはは......ごめん、ごめん......!でも、君の頭に猫が乗ってる姿が......!ぷっ......あはははは!」
普段は穏やかで落ち着いているオーウェンが、こんなに大笑いしているのは珍しい。
「オーウェン、珍しいわね」
カリナも、その様子に目を丸くしている。
「悪い......でも、久しぶりに......こんなに笑ったかもしれない......!」
オーウェンは、お腹を抱えるようにして笑っている。
茶トラ猫は、椅子の背もたれからさらに跳躍し、今度はセドリックの方へと向かった。
「え、また僕のところに!?」
セドリックが慌てて横に避けると、茶トラ猫は今度は床に着地した。
そして、店内をぐるりと一周するように駆け回る。
「すごい運動神経だな......あはは......」
オーウェンが、まだ笑いながら呟く。
「オーウェン様!」
エルヴィンがなおも叫ぶ。
「あ、ああ......そうだな......ふふっ」
オーウェンは笑いを堪えながら立ち上がると、茶トラ猫の動きをじっと観察した。
茶トラ猫は、再びテーブルの方へと向かおうとする。
「今だ」
オーウェンが、素早く動いた。笑い声とは裏腹に、その動きは無駄がなく、まるで舞うようだ。茶トラ猫が跳躍しようとしたまさにその瞬間、オーウェンはそっと猫の体を下から抱き上げた。
「にゃ?」
茶トラ猫が、きょとんとした顔でオーウェンを見上げる。
「よし、捕まえた......ふふっ」
オーウェンが、まだ笑みを浮かべながら言った。
「さすがです、オーウェン様!」
エルヴィンが安堵の息を吐いた。
「すごい! オーウェン、笑いながらでも一瞬で!」
キオが目を輝かせる。
マスターが、慌ててオーウェンのもとへと駆け寄った。
「本当に申し訳ございません!この子、普段はこんなに暴れることはないんですが......」
「大丈夫ですよ。誰も怪我はありませんし」
キオが笑顔で答える。
「それに......」
テーブルの上を見て安堵の表情を浮かべた。
「ケーキも、全部無事だ」
「本当だ! すごい!」
カリナが嬉しそうに言う。
マスターは、茶トラ猫をオーウェンから受け取ると、そっと外へと連れ出した。
「少々お待ちください」
しばらくして、マスターが戻ってきた。
「本当に申し訳ございませんでした。あの子、外で大きな犬に追いかけられていたようで......パニックになっていたんですね」
「そうだったんですか」
キオが頷く。
「それなら仕方ないですね」
「驚きましたけど、楽しかったです」
ルイが優しく微笑んだ。
「はい。こういうハプニングも、良い思い出になります」
オーウェンが穏やかに言った。
「オーウェン君、さっきはすごく笑ってたね」
セドリックが少し驚いたように言う。
「ああ......すまない。あまりの光景に止まらなくなってしまって」
オーウェンが少し照れくさそうに笑う。
「いえ、流石にパニックになりましたが、オーウェン様が楽しそうで、なによりです」
エルヴィンが素直に答えた。
騒動が収まり、再び穏やかな時間が流れ始めた。
キオはルイに声をかける
「ルイ、大丈夫?」
「う、うん......ありがとう、キオ君」
ルイの頬が、ほんのりと赤くなった。
キオは、ふと窓辺を見た。
「あ、あの子はまだいるかな......」
窓の外を見ると、あの美しいキジトラの猫は、まだそこに座っていた。まるで、先ほどの騒動なんて何も関係なかったかのように、優雅に毛づくろいをしている。
「良かった......大丈夫そうだ」
キオが安堵の息を吐く。そして、再び猫に向かってそっと手を伸ばした。
猫は、またつんつんと鼻を近づけてくれる。
「ああ......幸せ......」
キオが、また幸せそうに呟いた。その姿を見て、テーブルのみんなが温かい笑顔になった。
やがて、紅茶とケーキを心ゆくまで楽しむ時間が訪れた。
「かわいいな......食べるの、もったいない」
キオが呟くと、マスターが微笑む。
「でも、美味しく焼き上がっていますよ」
「はい......いただきます」
キオが意を決したように、そっとフォークを入れる。
「......!美味しい......!」
繊細な甘さと、豊かなバターの香り。すべてが完璧に調和していた。
「本当に美味しい」とルイ。
「おいっしい!」とカリナ。
「ありがとうございます」
マスターが深々と頭を下げた。
「キオ様のアイデアのおかげで、私も楽しい挑戦ができました」
「僕も、マスターに作ってもらえて本当に嬉しいです!」
キオが、心から幸せそうに笑った。
午後の柔らかな陽射しが、7人を優しく包み込む。
笑い声と、楽しい会話と、温かい紅茶の香り。ここは、みんなが安心できる、特別な隠れ家。
キオは、窓の外の猫と時々目を合わせながら、幸せそうにケーキを頬張っていた。
「ねえ、キオ君」
ルイが優しく声をかけた。
「うん?」
「今日、ここに連れてきてくれて、ありがとう」
ルイの嬉しそうな表情にキオも嬉しくなる
「僕もみんなと来れて嬉しいよ」
キオが、心からの笑顔で答えた。
「また、みんなで来ようね」
「うん。絶対に」
二人は、顔を見合わせて静かに微笑んだ。
窓の外では、キジトラの猫が、満足そうに目を細めていた。まるで、みんなの幸せな時間を見守っているかのように。
カフェ・ソレイユの10周年の日は、温かくて、少し賑やかで、幸せな時間に満ちていた。そして、その記憶は、みんなの心に、ずっと残り続けるのだった。
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