第14話「猫たちの祝祭(2)」
「カフェ・ソレイユ」――温かみのある木製のドアに、磨き上げられた真鍮のプレートが上品な光を放っている。
キオがドアノブに手をかけ、期待を込めて押し開けると、カラン、と澄んだベルの音が響いた。
「わあ......!」
誰かの感嘆の声が漏れる。
目に飛び込んできたのは、店の真ん中に置かれたショーケース。その中には、色とりどりの猫たちが、まるで陽だまりの中で眠っているかのように並んでいた。
三毛猫、黒猫、白猫、茶トラ、灰色の猫、サバトラ、キジトラ......。すべてが精巧なケーキだ。
「ね、ねこ!可愛い......!」
キオが、息を飲むような声で呟く。
その瞳はショーケースに釘付けになり、きらきらと輝いている。
「すごい......こっちの三毛猫はお腹を出して寝ている姿だし......黒猫は伸びをしている姿だ......可愛い」
一つ一つを慈しむように、じっくりと見つめている。
ルイは、そんなキオの無邪気な横顔を見て、驚きと微笑ましさが入り混じったような、自然な笑みをこぼした。
「いらっしゃいませ。キオ様、ベアトリス様、そしてお連れの皆様」
奥のキッチンから、柔和な笑顔のマスターが現れた。
「マスター! 猫のケーキ、本当にすごいです!」
興奮冷めやらぬキオが、マスターに駆け寄る。
「僕が想像していた感じの......いや、それ以上です......!」
マスターも嬉しそうに目を細める。
「キオ様が提案してくれたからですよ。この喫茶店に集まる猫たちを見ながら、このケーキを作ったんです。職人として腕が鳴りました」
「そんな......! でも、嬉しいです!」
マスターは7人を、窓からの光が差し込む大きなテーブルへと案内した。
席に着くと、ルイがこの日の為に作成されたであろう、様々な猫ケーキが描かれた手作りのメニュー表を優しい目で見つめながら、マスターに話しかけた。
「マスター、このメニュー表も凄く可愛いです。それに色々なケーキの内容まで書いてあるから、どれを選ぶかすごく迷います」
また、セドリックは探究心あふれる目でマスターに話しかけた。
「ショーケースで見た猫ケーキたちの柄って、どうやったらあんなに綺麗に作ることができるんですが?」
マスターの目がすっと職人の光を宿した。
「クリームワークと砂糖細工を組み合わせています。特に重要なのは温度管理でして......」
「温度管理、ですか?」
「ええ。お菓子作りは、科学でもあるんですよ」
二人の会話は、どんどん専門的で熱を帯びていく。
その時、カリナはテーブルを離れショーケースの前で猫ケーキを見ていた。そして気に入ったであろう猫のケーキを指差して明るい声を上げた。
「ねえ、見て!あの猫のケーキ、お腹がぷっくりしてる!全体的にぷくぷくしてて可愛いわ」
「え、そうなの?」
カリナの声を聞いて、セドリックは立ち上がり、興味深そうにショーケースへと歩いていく。マスターも歩いていき、「ああ、それはですね」と説明し始める。
「この辺りによく来る茶トラの猫をモデルにしたんです。食いしん坊で、鶏のささみなんかも直ぐに平らげちゃうんですよ」
「だからこんなにまるまるしているのね!」
「見た目はガッシリしてて怖そうに見えるんですが、とても優しい目をしたいい子なんです。周りの猫たちからも慕われててね」
マスターの嬉しそうな猫トークは止まらない。
そんなマスターとカリナのやり取りを優しげに見ていたオーウェンが、ふと尋ねた。
「そういえば、あまり幼なじみという関係性のものが身近にいないんだが、ベアトリスとエルヴィンは、やはり小さい頃からの付き合いなのか?」
「それは......」
ベアトリスが楽しそうに口を開こうとした瞬間、エルヴィンが慌ててそれを遮った。
「べ、ベアトリス! 何を言う気だ......!」
「あら、エルヴィン。何をそんなに隠す必要があるの?」
ベアトリスが、にっこりと完璧な笑顔を向ける。
「い、いや......その......」
「エルヴィンったら、昔から本当に泣き虫で。ちょっと転んだだけですぐに大泣きしてましたのよ」
「ベアトリス! おまっ......!それは僕が4歳の時の話だろ!」
エルヴィンの顔が、カッと赤くなる。
「まあ、でも6歳の時も、庭で蜂に追いかけられて泣いてましたわよね」
「そ、それは......! あの蜂が普通じゃなく大きすぎたんだ!」
「ふふ、言い訳ね」
「言い訳じゃない! それに、ベアトリスだって! 昔はすごい人見知りで、初めて会う人の前では一言も喋れなかったじゃないか!」
「......!」
今度はベアトリスの頬が、かすかに赤く染まった。
「そ、それは......私もまだ子供だったんですから......」
「僕だって子供だった!」
「でも、あなた10歳になってもまだ泣いてましたわよ」
「ベアトリスだって、まだ人見知りだっただろ!」
「それに!」エルヴィンは勢いづいて続ける。
「カエルが怖くて、屋敷の池に近づけなかったくせに!」
「なっ......! あれはカエルじゃなくて、得体のしれない何かがいたのよ! エルヴィンこそ、わざと虫を見せて私を泣かせたこと、忘れてないわよ!」
「うぐ......そ、それは......あの時は、つい......」
「まったく、子供っぽいんだから」
「ち、違う!」
「......ふん!」
「......ふん!」
二人は、ぷいっと顔をそむけ合うように睨み合う。
その様子を見て、ルイがくすくすと笑い出した。
「お二人とも、すっごく仲良しなんだね」
「「え......?」」
「「仲良し......?」」
二人が同時に、きょとんとして顔を見合わせた。
その光景を見ていたキオも、ルイも、オーウェンも、思わず笑顔がこぼれる。温かくて、楽しくて、少し可笑しい空気が、テーブルをふんわりと包み込んだ。
やがて、マスターが紅茶とそれぞれが選んだケーキを運んできた。キオの前には、美しいキジトラのケーキが置かれた。
「わあ......かわいい......」
茶色と黒の縞模様が、絶妙な色合いで混ざり合っている。
「キオ様、どうぞ。ご依頼のあったキジトラです」
マスターが、優しい声で言った。
「僕がこの間、見かけた子にそっくりだ......マスター、ありがとうございます」
「どういたしまして。その子の、ちょっと賢そうな表情を出すのに苦心しました」
キオは、ケーキを壊してしまうのが惜しいというように、じっと見つめている。
「キオ君」
「うん?」
ルイが優しく声をかけると、キオがケーキから顔を上げ、にこにこと笑った。
「猫ちゃんが好きなんだね」
「うん!ふわふわな所や自由気ままな所が好きなんだ。すごく可愛い」
ルイの言葉にキオは嬉しそうに笑った。猫への愛が湧き水のように溢れてくる。
ルイはそんなキオの言葉を静かに、優しく聞いていた。
その時、店の窓の外、日差しの溜まる場所に、一匹の猫がすっと姿を現した。
キジトラ柄に白い毛が混じり、胸元からお腹にかけてが白く、四本の足先がまるで靴下を履いているよう。とても上品で美しい雌猫だった。
猫は、窓辺にちょこんと座り、じっとこちらを見ている。
「あ......」
キオが、その猫に気づいた。
「この子......この間、僕が見かけた子だ」
キオは吸い寄せられるように、そっと席を立ち、窓辺へと向かった。そして、音を立てないように、ゆっくりと窓を少しだけ開ける。
「こんにちは......」
キオが優しく声をかけると、猫は小さく「にゃあ」と応えた。
キオは、怖がらせないように、ゆっくりと指を差し出す。猫は、しばらくキオの指の匂いを嗅ぐように見つめていたが――やがて、ためらうように鼻先を近づけてきた。
ぴと。
湿った猫の鼻先が、キオの指先に、そっと触れる。
「......触れてくれた」
キオの顔が、ぱあっと綻ぶ。心から幸せそうな、柔らかな微笑みだった。
猫は、もう一度つんつんと鼻を近づけてくれる。
「かわいいな......」
キオが、うっとりと呟く。
猫は、キオの手が安全だとわかったのか、今度はその手に自分の頬を擦り寄せてきた。
「ありがとう......」
キオが、小さく礼を言った。
窓辺の光に照らされたその光景は、とても温かく、優しく、平和そのものだった。
しかし――その静かな平和は、長くは続かなかった。
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