第13話「使命と望みとスパイスを(3)」
その夜。
学園のどこか。あるいは、もっと遠い場所。
深い、深い闇の中。
人の目が届くことのない、埃とカビの匂いが充満する場所で、一つの影が蠢いていた。
月光すら届かぬその場所で、男は、まるでこの世のすべてを嘲笑うかのように、愉快そうに喉を鳴らして笑っていた。
「ふふふ......あはははは! なんとも......なんとも、心温まる『茶番』でしたねぇ!」
低く、粘りつくような声が、湿った闇に響き渡る。
男は、まるで満員の観客を前にした偉大な俳優のように、一人芝居を楽しんでいる。
「いやはや、今宵の演目......『スパイの告白と、聖なる友情』! ブラボー! ブラビッシーモ!」
闇の中で、乾いた拍手の音がパチ、パチ、パチ、と響く。
「『僕は......家からの命令で......』
『でも、本当は......友達に、なりたかったんです!』
『僕も同じだよ』
『これからは、エルヴィン君って呼んでいい?』
『はい......! キオ様......っ!』」
男は、わざとらしく声を震わせ、感動に打ち震えるふりをして見せ
「あまぁああああああああい!!」
突如大きな声で叫んだ
「ああ! 甘い! 甘い! 甘すぎる! 煮詰めた砂糖菓子よりも甘ったるくて、虫歯になりそうですねぇ、本当に! 一族の命令を捨てて、個人の感情を選ぶですって? なんという陳腐なメロドラマ! 脚本家のセンスを疑いますよ」
男の声が、それまでの嘲笑から、温度のない、明らかな嫌悪へと変わっていく。
「しかし......まったく『キオ君』は厄介ですねぇ。 王家の嫡男を誑かし、平民の駒を拾い集めるだけでは飽足らず、今度はゲルプ一族の名門のお家柄ばかり『絆』とやらで手なずけてしまうとは......」
男はやれやれと頭を振る
「あのエルヴィン君という駒は、『貴族』としてのゲルプとシュバルツの『対立』という演目の上で、いい具合に葛藤し、舞台をかき乱してくれる『道化』になるはずだったのですが......」
男は、心底つまらなそうに大きな欠伸をする。
「まさか、あんな『感動の和解』ごっこで、いとも簡単に牙を抜かれてしまうとは。友情は身分を超える......真心は壁を壊す......貴族も平民も手を取り合って仲良く......。ああ、退屈だ。退屈だ。退屈で、思わず寝てしまいそうですよ!」
男は、舞台役者のように一歩前へ出て、闇に向かって語りかける。
「これでは、この先の『起承転結』の『転』がまったく見えてこない。この甘ったるい友情物語が、あまりにも予定調和に進みすぎている。 批評家として、我慢の限界ですねぇ......」
「......ということで」
男が、にやりと笑う。その笑みは、闇よりも深く、氷のように冷たい。
「この退屈な舞台に、少し『味』を加えてみましょうか。この甘ったるい『友情』という名の砂糖菓子に、ほんの少しばかりの『苦味』を......いえ、『辛味』を......ああ、いっそ『毒』でもいいですねぇ」
男は、何か素晴らしいアイデアを思いついたように、満足げに手を打つ。
「さて......まずは外堀から。あの『白銀の衣を纏う者たち』。ああ、美しいですねぇ、『白銀』。清らかで、神聖で......そして、何よりも冷酷で。あの『聖なる場所』の、白銀の清らかな耳に......小さな、小さな声が届けばいい」
男の声が、毒を含んだ蜜のように、甘くねっとりと響く。
「例えば、彼らにとっての『聖なる少年』が、身分もわきまえぬ『平民』という名の無礼者たちによって、悪い影響を受けている、という囁き。『聖なる少年』ご本人様はあくまで清らかだが、その側仕えや友人たちが、神の定めた『身分制度』を軽んじるよう唆している、という疑念」
苦しむ聖者を演じるように男は胸に手をあて天を仰ぐ
「『白銀の聖騎士たち』は、彼らの『聖なる少年』をお守りするため、その周りにいる『無礼者』を排除し、少年の『誤った考え』を正さねばならない。全てはあるべき姿を取り戻すために......!」
男の口元が三日月のようなゆがんでいく
「......とかねぇ。ふふふ、届くでしょう。必ず。なぜなら......この私が、懇切丁寧に、ささやきますから」
楽し気に、愉快、愉快と男は舞う
「ええ、外堀は『白銀』に固めていただきましょう。そして......内側は、と。ああ、そうだ。ちょうど良い『駒』が、もうすぐあの舞台(学園)に上がりますねぇ」
男は目を黒く輝かせた。
「学園の......確か『精霊召喚』の儀式でしたか。なんとも大掛かりな演目だ。その『専門家』として、とっておきの『役者』をねじ込んでありますから。ふふふ、あの男も、実に『いい演技』をしてくれることでしょう。あの『聖なる少年』とやらにとって、忘れられない......実に、実に、忘れがたい『再会』になるはずです」
男は嬉しそうに、楽しそうに、愛おしそうに踊り続ける。
「ああ......!彼が、その『役者』を前にしてどんな顔をするのか......実に楽しみですねぇ。『白銀』という『秩序』と、あの『再会』という名の『混沌』。外からも内からも揺さぶられて、あの『聖なる少年』は、どこまでその『甘っちょろい理想』とやらを守り切れるのか!」
男が、期待に満ちた、甲高い笑い声を上げる。
「友情......絆......信頼......なんとも美しい、耳障りのいい言葉の数々。しかし、そんな薄っぺらいものが、どこまで保たれるのか」
「特に......今日、新しく『お友達』になった、あのエルヴィン君。彼は由緒正しきゲルプ一族フォルケ家の嫡男。その彼が......もし、絶対的な権威である『白銀の一族』が『聖なる正義』を掲げて実際に動き出したら?」
「せっかく芽生えた『友情』とやらが、神聖なる『秩序』の圧力と真っ向から対立した時、彼は今度こそどちらを選ぶのか! 『友情』を選んで、あの『キオ君』の側につくのか? それとも『貴族』として、『白銀』が示す『正義』の側に身を寄せるのか! ああ、楽しみですねぇ、本当に! これぞ『葛藤』! これぞ『ドラマ』!」
男の声が、純粋な愉悦に震える。
「さあ、甘い茶番から、苦い現実への、第二幕を。白銀の、冷たい光の下で。ふふふ......『白銀の冷たい光の下で』......ああ、なんと詩的だ。実に詩的だ。今日の私は特に冴えていますねぇ。いや、いつも冴えていましたか。ふふふ......失礼、自画自賛が過ぎましたねぇ」
男のねっとりとした笑い声が、徐々に小さくなりながら、深い闇の中に溶けていく。
そして、完全な静寂が戻る。
まるで、最初からそこには誰も何も、いなかったかのように。
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