第13話「使命と望みとスパイスを」
秋も深まり、キャンパスの木々は最後の輝きとばかりに、燃えるような赤や鮮やかな黄金色にその葉を染め上げていた。カサカサと乾いた音を立てて舞い落ちる枯れ葉が、石畳の道を埋め始めている。
キオはいつものようにオーウェン、ルイ、カリナ、セドリックと、授業が終わったばかりの教室で談笑していた。
窓の外に目をやれば、空はすでに茜色に染まり始めていた。太陽が西の地平線へと傾き、その最後の光が、教室の床に長い長方形を描いている。チョークの粉が光に照らされてキラキラと舞うのが見える。
もうほとんどの生徒は帰宅の途についており、がらんとした教室には、彼らの楽しそうな話し声だけが響いていた。
「今日のシュトゥルム先生面白かったな」
オーウェンがキオにクスリと笑いながら尋ねる。彼の金色の髪が西日を映してキラキラと輝いていた。
「うん、シュトゥルム先生、あんな真面目な感じなのに時々真顔で冗談を言うから思わず笑っちゃったよ」
キオが、机の上に広げていたノートを閉じながらそう答えた、その時だった。
ふと、教室の入り口から、誰か強い視線がこちらに向けられている気配がした。
談笑していたカリナやルイ、セドリックも、その気配に気づいたのか、わずかに言葉を切る。
キオが振り向くと、開かれたままの教室のドアの影に、エルヴィン・ゲルプ・フォルケが立っているのが見えた。彼は教室に入るでもなく、去るでもなく、ただ一点、キオたちの一団を、少し緊張した面持ちで見つめている。
逆光になっていて表情の細部までは読み取れないが、その立ち姿からは、尋常ではない覚悟のようなものが漂っていた。
「あ、フォルケ君」
キオが、驚きと親しみを込めて手を振る。その声に、エルヴィンの肩がびくりと小さく震えた。彼は一度、固く目を閉じたかと思うと、意を決したように、まっすぐな足取りでこちらへ歩いてくる。
その革靴の音だけが、静かになった教室にコツ、コツ、と響いた。
「ネビウス様、少しお時間をいただけませんか」
キオの机の前で立ち止まったエルヴィンの声は、いつになく真剣で、少しだけ掠れていた。
その表情からは、何か重大な、そして彼にとって非常に言いにくいことを話したいという、強い意志と葛藤が痛いほど伝わってくる。
「もちろん。どうしたの?」
キオは椅子から立ち上がり、彼と視線を合わせる。そのキオの優し気な眼差しに、エルヴィンは一瞬、言葉に詰まったように見えた。
彼は一度小さく深呼吸をし、震えそうになる声を必死で抑え込むように言った。
「ゆっくりと......二人で、お話がしたいんです」
その言葉に、キオは少し驚いた表情を見せたが、すぐに穏やかな微笑みに変わった。
先日の貴族たちのお茶会でのエルヴィンの様子が気になっていたため、キオも快くエルヴィンの誘いに応じた。
「分かった。どこか静かな場所がいいかな?」
「はい......。もし、よろしければ......中庭は、いかがでしょうか」
「いいね。じゃあ、行こう」
キオがオーウェンたちに目配せする。オーウェンは、その深い青色の瞳でキオとエルヴィンを交互に一瞥すると、「分かった」とでも言うように静かに頷いた。
ルイとセドリックは「いってらっしゃい」と小さく手を振り、カリナも「また後でね!」と笑顔を見せる。
「行ってらっしゃい、キオ」
「うん。また後でね」
みんなが優しく見送ってくれる。
キオはみんなのその様子に再び笑みを浮かべた。
キオとエルヴィンは、並んで教室を出た。放課後の廊下は、しんと静まり返っている。等間隔に並んだ窓からは、オレンジ色が濃くなっていく空が見えた。二人の足音だけが、磨かれた床に反響する。
エルヴィンはキオの少し斜め後ろを、決して追い越さないように、しかし離れすぎないように、必死で歩調を合わせている。
キオは何も言わず、彼のペースを乱さないよう、ただ静かに隣を歩いた。
『シュバルツ』
『なんだ?』
『フォルケ君......すごい緊張しているよね?』
『そうだな。でも嫌な感じはない。きっと大丈夫だ』
キオはシュバルツの言葉に安心しつつも、エルヴィンから感じる緊張オーラに自分自身もドキドキしてしまうのだった。
中庭に出ると、ひんやりとした秋の空気が頬を撫でた。授業中の喧騒が嘘のように静かで、ここだけ時間が止まっているかのようだ。
夕暮れの最後の柔らかな光が、赤や黄色に染まった木々を透かし、まるでステンドグラスのように地面に色とりどりの影を落としている。
二人は、中庭の中央にある噴水(今は水は止められている)を通り過ぎ、一番奥にある、大きなカエデの木の下に置かれた石造りのベンチへと向かった。
人気のない場所を選んで、二人はベンチに腰を下ろした。石のベンチは、秋の空気を含んでひんやりと冷たかった。
しばらくの沈黙が続いた。カサ、と乾いた葉が風に揺れる音だけが響く。エルヴィンは、ベンチに座ってからも、自分の膝の上で固く拳を握りしめ、俯いていた。
何かを言おうとしては唇を噛み、また視線を落とす。その繰り返しだった。
キオは彼を急かすことなく、ただ静かに待っていた。夕闇がゆっくりと辺りを包み始める。
やがて、エルヴィンが顔を上げ、震える声で、ゆっくりと口を開いた。
「ネビウス様......僕は、最初、家からの命令であなたに近づきました」
その声は、絞り出すようで、わずかに震えていた。それでも、彼はキオから目を逸らさなかった。真っ直ぐに、キオの夜空色の瞳を見つめている。
「ゲルプ一族の者として、シュバルツ一族の動向を探り、親しくなれ、と。それが、家からの......父からの、指示でした」
『うん、まあ、そうだよね』
キオは言葉にはせず、静かに頷いた。その表情に驚きや怒りの色はない。
その静かな受容の態度に、エルヴィンはむしろ戸惑ったように目を瞬かせた。
「......ネビウス様? 驚かない、のですか?」
驚かなかったわけではないが、予想していなかったわけでもない。キオはオーウェンやベアトリスから、貴族社会の力関係について聞いていた。
そして貴族たちの中でもゲルプ一族はシュバルツ一族との関係強化に力を注いでいるとも。
その理由は、ネビウス家の先代当主であるウォルクがゲルプ一族と同等の権威を持つロート一族出身のルカを妻として迎えたのがキッカケとのこと。
また、その息子であるセクが現在の当主となった為、ロート一族の優位性が上がったのが理由だった。
『でも、セク兄さんの奥さんはゲルプ一族の人だ。なのに、まだ......』
キオはこの貴族社会の考え方を理解することが難しく、戸惑うことばかりだった。
キオは、目の前で困惑するエルヴィンに向き直った。
「驚くというより、納得した、という方が近いかな」
キオが苦笑いするとエルヴィンも落ち込んだように肩を落とす。
「最初は......本当に、その通りにしようと思っていました。それがフォルケ家のため、ゲルプ一族のためになると......そう信じていました」
エルヴィンは膝の上で、制服のズボンがしわになるほど強く拳を握りしめる。指の関節が白くなっていた。
「でも......入学式での、あなたの挨拶を聞いて......」
「僕の挨拶?」
キオが小さく首を傾げる。
「はい。『身分は関係ありません。一人の学生として、皆さんと学び合えることを楽しみにしています』......そう、おっしゃいましたよね」
エルヴィンの目が、夕陽の最後の残照を浴びて、キラリと光った。その瞳の奥には、強い光が宿っていた。
「あの時、僕は......何か、頭を殴られたような衝撃を感じたんです。他の貴族の方たちとは、何かが決定的に違う、と」
キオは、彼の言葉を一言も聞き逃すまいと、じっと耳を傾けている。
「でも、その何かがわからなくて、それから、ずっと......あなたを見ていました。平民の友人たちと、何の隔てもなく笑い合い、真剣に議論し、そして......この間の騒ぎの時のように、マージェンさんを......身を挺して守る姿を」
エルヴィンの声に、焦がれるような羨望の色が滲む。
「僕は......そんなあなたの姿を見ているうちに、自分が何をしているのか分からなくなった。打算で近づいているように見えるかもしれません。実際、最初の動機はそうでした。汚いものでした」
彼は唇を強く噛んだ。悔しさに、その唇が白くなる。
「でも、本当は......もう、家のこととか関係なく。ただの同級生として、一人の人間として、あなたと話したかった。あなたたちの輪の中に入りたかった。............友達に、なりたかったんです」
最後の言葉は、ほとんど掠れて消え入りそうだった。
その切実な言葉に、キオの胸の奥に、温かい何かがじんわりと広がっていくのを感じた。
『ベアトリスさんも、同じようなことを言ってたな』
キオは、カフェ・ソレイユでの出来事を思い出していた。家の期待と、自分の本当の気持ちの板挟みになって苦しんでいた、もう一人のゲルプ一族の少女の姿を。貴族であることの重さ、一族のしがらみ。
『家の期待と自分の気持ち............。貴族って、僕が思っているよりも、ずっと大変なんだ』
キオは、エルヴィンの目をまっすぐに見つめ返した。その瞳は、彼の告白を、その苦しみを、すべて受け止めていた。
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