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夜空色の青春  作者: 上永しめじ
第一章「入学と出会い」
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第11話「隠れ家と令嬢(3)」

 


 その時、キオの脳裏に来る途中で見た光景が鮮やかに浮かんだ。


 石畳の上で、のんびりと過ごしていた猫たちの姿。

 三毛猫、黒猫、白猫、茶トラ、灰色の猫、サバトラ......。



「マスター、少し伺ってもいいですか?」


 キオが口を開いた。


「はい、なんでしょう」


「この店に来る途中、たくさんの猫たちを見かけたんです」


「ああ、あの子たちですか」



 マスターが微笑んだ。


「よくこの辺りに集まっているんですよ。もうずいぶん長く、私がこの店を開く前からいますね」



「三毛猫、黒猫、白猫、茶トラ、灰色の猫、サバトラ......みんな仲良くしていました」


 キオは、あの光景を思い出しながら言った。


「それぞれ違う柄の子たちなのに、一緒に日向ぼっこしたり、じゃれ合ったりして」


「ええ、あの子たちは本当に仲が良いですね」


 マスターが頷く。



「あれを見て思ったんです」


 キオはベアトリスとマスターを見た。


「ここは人間だけじゃなく、猫たちにとっても隠れ家なんだって」


「まあ!」


 ベアトリスが目を輝かせた。


「素敵な見方ですわね!」


「確かに、この店は隠れ家......猫たちにとっても......」


「それで思ったんです」


 キオは、少し身を乗り出した。



「10周年の特別なスイーツを、猫の形にしてはどうでしょう?」


「猫の形......」


 マスターが繰り返す。


「それも、一種類じゃなくて......」


 キオは続けた。


「さっき見た猫たちみたいに、様々な柄の猫たちです」


「様々な柄の......」


「三毛猫、黒猫、白猫、茶トラ、灰色の猫、サバトラ......」


 キオは指を折りながら数えた。


「この店が、人間にとっても猫にとっても『隠れ家』であることを表現できると思うんです」



「それぞれ違うけど、みんな一緒にいられる場所......」


 ベアトリスが、キオの言葉を受けて続けた。


「この店の10年間を、そんな風に表現できたら......素敵ですわね」


 マスターは、しばらく黙って考え込んでいた。目を閉じ、何かを思い描いているようだ。



 やがて、ゆっくりと目を開けた。



「......なるほど」


 マスターの顔に、ぱっと笑顔が広がった。


「それは......素晴らしいアイデアだ」


 マスターの目が輝いている。


「貴族の館で培った技術があれば、それは実現できます」



 その声には、自信が満ちていた。



「クリームワークや砂糖細工で、様々な装飾を作ってまいりましたから」


 マスターは、自分の手を見つめた。


「三毛猫の複雑な柄も、サバトラの繊細な縞模様も、本物そっくりに再現できるでしょう」


 その言葉には、職人としてのプライドと、熱い情熱が込められていた。



「素敵です!」


 ベアトリスが嬉しそうに手を叩いた。


「想像しただけでわくわくしますわ!」


「様々な柄の猫たちが並んでいるケーキ......きっと、お客様も喜ばれますわ!」


「それに、この店らしさが伝わりますものね。隠れ家......みんなが安心できる場所......」


「キオ様、ベアトリス様」


 マスターは深々と頭を下げた。


「素晴らしいアイデアをありがとうございます。これこそ、私が求めていたものです」



 顔を上げたマスターの目は、生き生きと輝いていた。



「この店の10年間を、猫たちと共に表現する。早速、試作に取り掛かります。久しぶりに、全力で腕を振るわせていただきます」


 その声には、創作への喜びが満ちている。



「いえ、僕はただ猫を見ただけで......」


 キオは謙遜するように首を振った。


「実際に作られるのはマスターですから。マスターの技術があってこそです」


「いえ、発想こそが最も大切なのです」


 マスターは、優しく微笑んだ。


「私一人では、この着想には至りませんでした。10周年の特別な日に、この店らしい特別なスイーツが作れます。お客様への感謝を、形にできます。本当にありがとうございます」



 マスターは再び深く頭を下げると、意気揚々と厨房へと向かっていった。


 ベアトリスは、キオを見て微笑んだ。


「キオ様、本当に素敵です」


「え?」


「こんな風に、誰かを笑顔にできるなんて」


 その表情は、心から嬉しそうで、彼女自身の悩みも少し軽くなったように見えた。




 二人はその後も、紅茶をお代わりしながら、穏やかな時間を過ごした。



 やがて、窓の外が夕暮れの色に染まり始めた頃、二人は店を出ることにした。


「また是非お越しください」


 マスターがドアまで丁寧に見送ってくれる。


「10周年の日には、ぜひお二人にお披露目させてください。お二人の席は常に用意してお待ちしております。今日は、本当にありがとうございました」


 マスターの笑顔が、夕日を受けて温かく輝いていた。



 外に出ると、夕暮れの柔らかな光が石畳をオレンジ色に染めていた。長い影が、二人の足元に伸びている。少し肌寒い秋の空気が、頬を撫でた。



「今日は......本当にありがとうございました」


 ベアトリスが少し照れくさそうに言った。


「色々と、お話を聞いてくださって」


「ううん。ベアトリスさんの本当の気持ちを聞けて、良かった」


 キオが微笑む。



「私、少し......お恥ずかしいことを言ってしまいましたわ」


 ベアトリスは13歳らしく、はにかんだ。


「大丈夫。友達なんだから」


「友達......」


 ベアトリスは、その言葉を噛みしめるように繰り返した。



「はい。これからも、友達でいてくださいね」


「もちろん」



「猫の形のケーキ......きっと素敵なものになりますわね」


 ベアトリスが嬉しそうに言う。


「10周年の日、また一緒に来てくださいますか?」


「もちろん! その時はオーウェンやルイ......僕の友人達も一緒に連れてきていいかな?」


「はい!ぜひ」


 その時、路地の角から、リーデル家の紋章を側面につけた立派な馬車が静かに現れた。



「それでは、また学校で」


「うん、また」



 二人は手を振り合って別れた。


 馬車がゆっくりと動き出す。ベアトリスが窓から手を振っている。その顔は、来た時よりずっと明るく見えた。



 馬車が角を曲がって見えなくなる。



 キオは一人、夕暮れの街を寮に向かって歩き始めた。



『良かった......ベアトリスさん、笑顔になってくれた。今日来て、本当に良かった』



 キオは今日の出来事を思い返しながら、穏やかな気持ちで石畳の通りを抜ける。




 キオは気づいていなかった。


 ほんの少し前、馬車の前で二人が親しげに話しているのを、通りの向かい側から見つめている影があったことを。


 買い物袋を抱えた、灰色の髪の少女。


 ルイだ。


 ルイは、キオがベアトリスに微笑みかけ、ベアトリスが嬉しそうに笑い返すのを見て、思わずその場に立ちすくんでしまった。



 馬車が見えなくなるのを見届けたキオが寮の方向に歩き出すと、ルイは慌てて近くの路地に身を隠した。



 キオの足音が遠ざかっていく。


 路地の物陰で、ルイは立ち尽くしていた。


 買い物袋を抱きしめる腕が、小さく震えている。




『何で......』


 ルイは、自分の胸を締め付ける気持ちが分からなかった。


『私とキオ君は、友達なのに......』



『どうして、キオ君がベアトリスさんと一緒にいるところを見ただけで、こんなに苦しいの......?』



 ギュッと、買い物袋を胸に抱きしめる。



 ルイは、この苦しい気持ちに名前をつけることができなかった。






 寮に戻ったキオは、部屋に入るとベッドに腰を下ろした。


『シュバルツ』


 心の中で呼びかける。


『キオ』


 シュバルツの声が、いつものように穏やかに響いた。


『今日は......色々あったと思う』


『そうだな』


『ベアトリスさん、色々話してくれた。貴族として家のために頑張ってるけど......本当は、恋愛結婚に憧れてたり......。でも、最後は笑顔になってくれたんだ』



『ああ』



『……シュバルツ。私は最初の人生でも、前の人生でも恋愛ってしたことないけど。なんかベアトリスさんの気持ちもわかるなって、どんなものなのかなって憧れるし、そうなれたら嬉しいなって思うよ』


『そうか』


『それに猫の形のケーキ、楽しみだな。マスターがすごく喜んでくれて、良かった』


『お前らしい発想だった』


 シュバルツの声が、優しく響く。


『......』


 キオは窓の外に広がる夜空を見た。



『どうした?』


『ルイやオーウェン、セドリックやカリナにも、あの喫茶店を教えてあげたいなって』


『10周年のイベントがあるのだろう? みんなを誘っていけばいい』


『うん、そうするよ』



 キオは、ベッドに横になった。

 ベアトリスとの穏やかな時間。マスターの喜んだ顔。

 きっと明日もいい日になる。

 キオはそう願いながら、静かに目を閉じた。


最後までお読みいただきありがとうございます。

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