第11話「隠れ家と令嬢(2)」
「強い......ですか」
ベアトリスは少し照れくさそうに笑った。
「そう見えます?」
「うん」
ベアトリスは、お菓子を一口食べてから、少し声のトーンを変えた。
「私は強くはありませんわ。......それに」
彼女は、キオをまっすぐに見つめる。
「以前、キオ様から伺ったお話を思い出すことがあるんです」
「僕の、話?」
「はい......」
「ご両親のこと......教えてくださいましたでしょう?」
ベアトリスが静かに尋ねる。
「お父様とお母様が、お互いを心から愛し合っていらしたというお話」
「うん、覚えてる」
キオが頷く。両親はもういない。でも、二人が深く愛し合っていた記憶は、キオの心に確かに刻まれている。
「あのお話......とても素敵でした」
ベアトリスは窓の外、遠くを見つめながら続けた。
「まるで、物語のようで」
「物語?」
「私、実は恋愛小説が好きなんです」
ベアトリスは少し恥ずかしそうに頬を染めた。
「身分を超えた恋だとか、運命の出会いだとか......」
「へえ」
「貴族の令嬢が読むには、少し不謹慎かもしれませんけれど」
ベアトリスは小さく笑う。
「でも、物語の中の恋愛って、本当に綺麗で......」
その横顔は、先ほどの決意を語った姿とは違う、13歳の少女らしい無邪気さに満ちていた。
「キオ様のご両親のお話を聞いた時、そういう愛が現実にもあるんだって、そう思ったんです」
「そうだね......」
キオは両親を思い浮かべた。二人の愛は確かに本物だった。そう言い切れる日々だった。
「うん。両親は、本当にそういう関係だったと思う」
キオが答えると、ベアトリスはカップを置き、キオに向き直った。
「私の結婚は、きっと政略結婚になります」
きっぱりと、でも穏やかな声だった。
「それは、覚悟していますし、受け入れています」
その表情には、迷いがない。
「でも......」
ベアトリスは、ほんの少しだけ表情を緩めた。
「もしも、もしもですよ?」
声が少し弾む。
「物語のような恋愛ができたら......素敵だろうなって」
手で口元を隠すようにして、はにかんだ。
「そんな風に、ちょっとだけ思ってしまったんです」
「あ......」
ベアトリスははっとして、慌てて付け加えた。
「すみません、変なこと言ってしまって」
照れ笑いを浮かべる。
「変じゃないよ」
キオは穏やかな声で言った。
「そう思うことは、素敵なことだと思う」
「本当ですか?」
「うん。物語が好きなんだね、ベアトリスさん」
その言葉に、ベアトリスは隠していた手を下ろし、ぱっと明るく笑った。
「はい! 大好きなんです!」
屈託のない笑顔だ。
「いつか、そんな素敵な恋愛ができたら......なんて」
しかし、すぐに表情を引き締める。
「でも、現実は現実ですから」
「うん」
「お父様の期待にも応えますし、家のためにも頑張ります」
ベアトリスはキオを見て、優しく微笑んだ。
「それに」
「それに?」
「キオ様のような方と、本当の意味でお友達になれました」
その笑顔は、心から嬉しそうだった。
「それだけでも、私にとっては物語のように素敵なことですわ」
「ベアトリスさん......」
「友達として、これからもずっと一緒にいられたら......それが私の幸せです」
その真っ直ぐな言葉に、キオの胸が温かくなった。
「僕も、ベアトリスさんと友達になれて嬉しい」
キオは素直に答えた。
「これからも、こうやって一緒にお茶できたらいいね」
「はい! ぜひ!」
ベアトリスが元気よく頷く。
「それに、ここは本当に落ち着きますから」
少しおどけるように付け加えた。
「伝言鳥も飛んでこないですし」
その言葉に、二人は顔を見合わせてくすくすと笑った。
「さぁ、ケーキを食べましょうか! このケーキ、本当に繊細で美しいんです!」
さっきまでの重い空気が嘘のように、ベアトリスが明るい声を上げる。
「確かに」
キオもお菓子を一口運んだ。繊細な甘さと、豊かなバターの香りが口の中に広がる。
「すごく美味しい」
二人がそうやって穏やかに過ごしていると、カウンターの奥からマスターが少し困ったような表情で近づいてきた。
「お客様、少しよろしいでしょうか」
マスターが、二人のテーブルの傍らで立ち止まる。
「はい、どうかされましたか?」
ベアトリスが優雅に応じた。
「実は......」
マスターは少し躊躇してから口を開いた。
「来週、この店の開店10周年を迎えるのです」
「まあ! おめでとうございます」
ベアトリスが嬉しそうに言う。
「ありがとうございます」
マスターは一礼してから続けた。
「10年間、この裏通りで小さな店を続けてこられたのも、お客様のおかげです」
その声には、深い感謝が込められていた。
「だからこそ、感謝を込めて特別なスイーツをご用意したいのですが......」
「素敵ですわね」
ベアトリスが微笑む。
「実は、試作を重ねておりまして」
マスターは一度厨房に戻り、小さな皿に載せたお菓子を持ってきた。
「もしよろしければ、ご意見を伺えませんでしょうか」
皿の上には、息をのむほど美しいケーキが載っている。クリームで作られた小さな薔薇、砂糖細工の繊細な葉......見た目も華やかだ。
「わあ、綺麗......」
ベアトリスが目を輝かせる。
「試食させていただいてもよろしいですか?」
「ぜひ、お願いいたします」
ベアトリスとキオは、それぞれ小さなフォークで一口ずつ味わった。
「おいしいです! さすがマスター」
ベアトリスが感嘆の声を上げる。
「本当においしいですね。すごく繊細で」
キオも頷いた。味は申し分ない。技術も素晴らしい。
「ありがとうございます」
マスターは嬉しそうに微笑んだが、すぐに表情を曇らせた。
「しかし......」
「しかし?」
「味と技術には自信があるのです」
マスターは、どこか遠くを見つめるように言った。
「以前、ある貴族の館で料理人として働いておりましたので」
「貴族の館で?」
キオが尋ねると、マスターは頷いた。
「はい。晩餐会や舞踏会で、様々なお菓子を作ってまいりました」
その声には、確かな誇りが滲んでいる。
「しかし、10周年という、このお店の特別な日を祝うには......何か、もっと......」
マスターは言葉を探すように、少し黙り込んだ。
「この店らしい、特別な何かが欲しいのです」
「店らしい、特別な何か......」
キオが繰り返す。
「ただ美味しいだけでは、記念にならないような気がして」
マスターは、困ったように眉を寄せた。
「お客様への感謝を、形にしたいんです......」
「申し訳ございません、お客様に愚痴などこぼしてしまって」
「いえ、そんなことないです」
キオは首を振った。
店らしい、特別な何か......。
キオは考え込んだ。この店の特別さとは、何だろう。隠れ家のような、温かくて静かな空間。誰もが安心して過ごせる場所。それを表現出来るものは何かあるのだろうか。
最後までお読みいただきありがとうございます。
面白い、続きが気になると思っていただけましたら、
下の☆マークから評価や、ブックマーク(お気に入り登録)をしていただけると、執筆の励みになります!
(お気軽にコメントもいただけたら嬉しいです)
よろしくお願いします。




