第11話「隠れ家と令嬢」
秋も深まり、街路樹の葉が赤や黄色に美しく色づいた、ある穏やかな午後のこと。
キオは、ベアトリスから教えてもらった住所を頼りに、裏通りを歩いていた。表通りの華やかさとは対照的に、ここは静かで落ち着いた空気が流れている。古い石畳が続く細い路地には、午後の柔らかな陽光がまだらに差し込んでいた。
ふと、キオの足が止まる。
少し先の石畳の上に、たくさんの猫たちが集まっているのが見えた。
三毛猫、黒猫、白猫、茶トラ、灰色の猫、サバトラ......。
様々な柄の猫たちが、陽だまりの中で思い思いに寛いでいる。気持ちよさそうに目を細めたり、じゃれ合ったりする姿は、見ているこちらまでのんびりした気分にさせた。
『こんなにたくさん......』
キオは立ち止まって、その光景に見入った。猫たちはキオに気づいているようだが、警戒する素振りは見せない。
三毛猫がふぁあ、と大きくあくびをした。黒猫が白猫の耳を優しく舐めている。茶トラと灰色の猫が、じゃれつくでもなく、ゆっくりと体を寄せ合っていた。
『みんな、違う柄なのに......仲良くしてるんだ』
その穏やかな光景に、キオの口元が自然とほころんだ。
それぞれ違う姿をしているのに、この場所では誰も弾かれることなく、みんなが自分の居場所を見つけている。そんな風景が、キオにはとても心地よく映った。
やがて、猫たちは満足したように、一匹、また一匹と路地の奥へとゆっくり消えていく。最後に残った黒猫が、キオを一度振り返り、ぴんと立てた尻尾を揺らして歩き去った。
「ここは、猫たちの居場所なんだな」
キオは小さく呟き、再び歩き始めた。
目指す場所はすぐに見つかった。温かみのある木製のドアの上に、アンティークな真鍮のプレートが掲げられている。
「カフェ・ソレイユ」
ベアトリスが教えてくれた、隠れ家的な喫茶店だ。
キオはひとつ息を吸い込んでから、静かにドアを開けた。
カラン、と澄んだベルの音が響く。
店内に一歩足を踏み入れると、ふわりと紅茶とバターの焼ける甘い香りが鼻をくすぐった。高い天井から吊り下げられた小さなランプが、磨き上げられた木目の店内を柔らかく照らしている。
壁際には本棚が並び、暖炉の前には使い込まれた革張りのソファが置かれていた。席数は10席ほど。こぢんまりとしているが、その分、隅々まで手入れの行き届いた温かい空間だった。
まさに「隠れ家」という言葉がぴったりの店だ。
「いらっしゃいませ」
落ち着いた声に顔を上げると、カウンターの奥から一人の紳士が現れた。年は50代ほどだろうか。薄い黄色の髪を後ろに撫でつけ、白いシャツの上に黒いベストを着こなしている。その立ち居振る舞いには、洗練された気品が漂っていた。
「ベアトリス様のお連れ様ですね」
マスターが穏やかに微笑む。
「はい。キオ・シュバルツ・ネビウスです」
「ようこそ、カフェ・ソレイユへ。ベアトリス様は、あちらでお待ちです」
マスターが指し示した先、大きな窓際の席に、上品なクリーム色のワンピースを着た少女が座っていた。
ベアトリス・ゲルプ・リーデル。
濃い黄色の髪は美しく編み込まれ、袖のレースが午後の光を受けて柔らかく輝いている。彼女は本を読んでいたようだったが、キオの姿に気づくとすぐに顔を上げた。
「キオ様、お待ちしておりました」
ベアトリスが優雅に立ち上がって微笑む。
「お待たせしました、ベアトリスさん」
キオも丁寧に挨拶を返し、向かいの席に着いた。
「いえ、私も今来たところですわ」
ベアトリスはそう言って、読んでいた本を静かに閉じた。
しばらくして、マスターが銀のトレイに紅茶とお菓子を載せて運んできた。繊細な花柄の描かれた白磁のカップに、透き通った琥珀色の紅茶が湯気を立てている。
添えられたお菓子も、まるで宝石のように美しい細工が施されていた。
「ごゆっくりどうぞ」
マスターが静かに一礼して、カウンターへと戻っていく。
キオは紅茶を一口含んだ。豊かな香りが口いっぱいに広がり、ほっと心が解きほぐされる。
「ここ、とても素敵な場所ですね」
キオが改めて店内を見回しながら言う。
「でしょう?」
ベアトリスが嬉しそうに微笑んだ。
「ここ、私のお気に入りの場所なんです」
「お気に入り?」
「はい。静かで、誰にも邪魔されなくて......」
ベアトリスはそこで少し言葉を濁した。
「寮にいると、色々と......」
「色々?」
キオが首を傾げると、ベアトリスは少し苦笑いして紅茶のカップを手に取った。
「実は......」
ベアトリスは、ゆっくりと口を開いた。
「お父様から、定期的に伝言鳥が飛んでくるんです」
「伝言鳥?」
「はい。ほとんど毎日のように」
ベアトリスは紅茶を一口飲んでから続けた。
「『シュバルツ一族との関係はどうか』『ネビウス家の三男とは親しくしているか』『次はいつ会うのか』......そんな内容ばかりですわ」
その笑顔は、少し疲れているようにも、諦めているようにも見えた。
「朝起きると窓辺に黄色い小鳥が待っていて、夜寝る前にも飛んできますの」
「それは......大変だね」
キオは素直に同情した。毎日、朝晩と父親からの問いかけが届く。それは、彼女にとってどれほどのプレッシャーだろうか。
「でも、仕方のないことですわ」
ベアトリスは、きっぱりとした口調で言った。
「私は、ゲルプ一族リーデル家の令嬢として生まれましたから」
その翠色の瞳には、強い意志の光が宿っている。
「家のために尽くすのが、私の役目です」
カップをソーサーに置き、彼女は背筋を伸ばす。
「それに、お父様の期待に応えることが、私の誇りでもありますから」
その言葉には、迷いがなかった。貴族の令嬢として、自分の立場を受け入れ、責任を果たそうとする強さを感じる。
「ベアトリスさんは......強いね」
キオは素直に、そう口にした。
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