第9話「お茶会と貴族社会(3)」
「僕は、キオの考え方は素晴らしいと思う」
その一言で、場の空気がぴんと張り詰める。
「この学校の理念は、身分に関係なく平等に学べることだ。キオはその理念を体現しているにすぎない。それを批判するのは、学校の理念そのものを否定することになるのではないかな」
オーウェンの言葉は穏やかだが、そこには揺るぎない信念があった。
貴族たちは、慌てて言葉を濁した。
「いえ、そういうわけでは……」
「私たちも、決して批判するつもりなど……」
オーウェンが助け舟を出してくれたことで、場の雰囲気は何とか持ち直した。すかさずレナが明るく話題を変え、再び当たり障りのない会話が始まる。
だが、キオの心には、貴族社会の独特の空気や暗黙のルールが、ずっしりと重く残っていた。
『これが……貴族社会……』
表面的には礼儀正しく、優雅で、美しい。
しかし、その裏には厳格な身分制度があり、それを乱す者への冷たい視線がある。
キオは、ベアトリスに教わった通り、その後も丁寧に、当たり障りなく対応し続けた。だが、笑顔を作るたびに、心が少しずつすり減っていくのを感じていた。
お茶会が終わり、キオとオーウェンはサロンを後にした。秋の午後の空気が、火照った頬に少しひんやりと感じる。
「お疲れ様、キオ」
オーウェンが、労うように声をかけてくれた。
「オーウェン、ありがとう。助かったよ」
「気にするな。でも……大丈夫か? かなり疲れた顔をしているよ」
「うん……正直、どっと疲れた」
キオは素直に認めた。隠し通せるものでもなかった。
「貴族社会って、こんなに気を遣うんだね」
「ああ。僕も慣れるまでは大変だった」
オーウェンは苦笑いを浮かべた。
「でも、君は立派だったよ。自分の信念を曲げずに、それでいて礼儀正しく対応した」
「本当に……?」
「ああ。誇っていい」
オーウェンの言葉に、重かった心が少しだけ軽くなった。
「それじゃ、また学校で」
「うん。また」
二人はそこで別れた。オーウェンは迎えの馬車へ、キオは一人、街を歩いて寮へと向かうことにした。少し風に当たって、頭を冷やしたかったのだ。
ふと、通り沿いに優しげな雰囲気のカフェが目に入り、キオは吸い込まれるようにその店へと入った。
窓際の席に座り、温かいカフェオレを注文する。
運ばれてきたカップから立ち上る白い湯気を、ぼんやりと眺めた。
『これが現実か……』
学校という比較的自由な環境と、一歩外に出れば否応なく意識させられる厳格な身分制度。
ルイたちとの友情を、貴族社会は簡単には認めてくれない。
『でも……私は、諦めたくない』
キオの胸に、静かな、だが確かな決意が灯る。
『ルイたちとの関係性を大事にしたい』
『誰がなんと言おうと、私のこの気持ちだけは……変えたくない』
その時、テーブルの横でふと人の気配が止まり、聞き慣れた声がした。
「あら……キオ様?」
顔を上げると、そこには黄色い髪を美しく編み上げた少女——ベアトリス・ゲルプ・リーデルが立っていた。休日のため、制服ではないカジュアルな、それでいて品の良さを感じさせる服を着ている。
どうやら店を出るところだったらしく、窓際のキオの席を通り過ぎる瞬間に、彼に気づいて立ち止まったようだった。
「ベアトリスさん!」
キオは驚いて、思わず席から立ち上がりかけた。
「こんなところで偶然ですわね」
ベアトリスが優雅に微笑み、キオのテーブルに向き直る。
「確か今日はレナから招待が来ていたお茶会ですわよね? あいにく私は家の用事がありましたので参加しませんでしたが、いかがでしたか?」
「あ……えっと……」
キオは少し言葉に詰まった。お茶会での出来事を、正直に話すべきか、それとも当たり障りなく答えるべきか。
だが、ベアトリスの翠色の瞳には、純粋な関心の色が浮かんでいた。
「……疲れました」
キオは、素直に本音を口にした。
「ベアトリスさんのアドバイスがなかったら、どうなっていたか……。本当に助かりました」
「そうでしたか……」
ベアトリスはキオの言葉と表情から、何かを察したようだった。
「貴族社会って……難しいですよね」
「はい……想像以上でした」
キオは小さくため息をついた。
「平民との交友について、色々と言われました」
「……やはり」
ベアトリスは静かに頷いた。「貴族社会は、保守的ですから」
しばらくの沈黙が、カフェの穏やかな喧騒に包まれる。そして、ベアトリスがゆっくりと口を開いた。
「キオ様」
「はい?」
「今度、静かな場所で、ゆっくりお話しできればと思いまして」
ベアトリスは、鞄から一通の淡いピンク色の封筒を取り出した。
「こちらは、私からの個人的なお誘いです。もともとお誘いしようと思って、招待状を用意しておりましたの。二人きりでお茶をする機会を、いただけませんでしょうか」
丁寧に書かれた招待状が、そっと手渡された。
「レナのお茶会のような、形式ばったものではなく……もっと、友人として、気楽にお話ししたいのです」
ベアトリスの言葉には、心からの誠実さが込められていた。
「……はい。ぜひ、お願いします」
キオは、その手紙を両手で受け取った。
「ありがとうございます」
ベアトリスは安堵したように微笑んだ。
「それでは、詳しくは手紙に書いてありますので」
「はい」
「それでは、失礼いたします」
ベアトリスは優雅に一礼すると、今度こそカフェを後にした。カラン、と軽やかなドアベルの音が、彼女の退店を告げた。
キオは手元に残された手紙を見つめた。封蝋には、ユリの刻印が施されている。
『ベアトリスさん……』
彼女は、貴族社会の現実を知りながら、それでもキオの気持ちを理解しようとしてくれている。
そう思うと、冷えていた心が少しだけ温かくなった。
それから、キオはカフェオレを飲み干し、持っていた本をしばらく読んで過ごした。
夕方、空が色づき始めた頃に寮へと戻る。
自室に入り、ドアを閉めた瞬間、キオはベッドに倒れ込んだ。
「はあ……」
大きくため息をつく。
『全てが難しいな……』
今日一日の疲れが、どっと身体に押し寄せてきた。
エルヴィンの何かを迷っているような表情。他の貴族たちの、丁寧な言葉の裏に隠された棘。オーウェンが助け舟を出してくれなければ、どうなっていたか。
『キオ』
シュバルツの声がいつも以上に優しくキオの名を呼ぶ
『シュバルツ......』
『今日は、よく頑張った。疲れただろう』
『うん、……でも学んだことも多かった』
キオは天井を見つめたまま、考える。
『貴族社会の現実を、この肌で感じることができた』
『ああ、オーウェンの助言通り参加してよかったな』
『うん、でも疲れたな......あ、そうだ』
キオは起き上がり、ベアトリスから受け取った手紙を机の上で開いた。
そこには、次のお茶会の日時と場所が、美しい文字で書かれていた。そして、最後にもう一文、添えられていた。
『キオ様が、ご自身らしくいられる場所を、私も一緒に探したいと思っております。ベアトリス』
その言葉に、キオの胸がじわりと温かくなった。
『ありがとう、ベアトリスさん』
今日は疲れたけれど、オーウェンの支えもあった。ベアトリスの優しさにも触れられた。
『明日からまた、ルイたちと一緒に過ごせる』
その思いが、キオの心を何よりも癒してくれた。
キオは手紙を大切に机の引き出しにしまうと、ふと窓の外に目をやった。
窓の外は、空が燃えるようなオレンジ色から、次第に深い青へと移ろうとしていた。
『次はみんなと何をしようかな』
そう思うと、キオは少しだけ、笑顔を取り戻すことができた。
貴族社会の洗礼を受けて疲れた心を、友達との時間が癒してくれる。
それが、キオにとっての、何よりの救いだった。
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