第9話「お茶会と貴族社会(2)」
「まあ、エルヴィン様。ネビウス様とお話しされているのですね」
アイリスが、カチャ、とわざとらしく音を立てて紅茶のカップをソーサーに置きながら、少し皮肉めいた口調で割って入った。それまでエルヴィンとキオの間だけで交わされていた、か細い繋がりを断ち切るような、鋭い響きだった。
彼女は、完璧にセットされた青い髪を一ミリも動かさず、優雅に微笑んでいる。だが、その目は笑っていなかった。むしろ、キオではなく、エルヴィンの方を値踏みするように見つめている。
「私たちも、シュバルツ一族の方とお近づきになりたくて」
その言葉に、先ほどまで「歴史が好き」と嬉そうにしかけていたエルヴィンの表情が、サーッと血の気を失うように曇る。彼の視線は、アイリスの冷ややかな笑顔から逃れるように、自分の手元にある美しすぎるカップへと落ちた。
カップの縁で、彼の指先が小さく震えているのをキオは見た。
「あ……はい。その……」
エルヴィンは言葉に詰まった。何かを言わなければと焦るように口を動かすが、意味のある音にはならない。何かを言いたそうにしているのに、言葉が出てこない様子だ。
その時、別の貴族の生徒——青い髪の少年が、それまで黙ってティースタンドの二段目にあるスコーンを吟味していた手を止め、興味深そうに会話に入ってきた。彼はフォークを皿の縁にそっと置くと、その探るような視線をキオに向けた。サロンの和やかだった空気が、このテーブルの上だけ、ふっと薄くなったのを感じる。
「ネビウス様は、普段は平民の方々と親しくされているとお聞きしましたが」
その声は、純粋な好奇心とも、あるいは詰問とも取れる、絶妙な響きを持っていた。
「はい。大切な友人たちと勉強会をしたり、一緒に過ごしたりしています」
キオが素直に答えると、その少年は「ほう」と小さく息を漏らし、少し驚いたように目を丸くした。
「まあ、本当に。それは……その……身分を超えた交流というものですわね」
アイリスが、まるで珍しい生き物でも見るかのような目で、どこか棘のある言い方で追随する。彼女はティースタンドの一番上にある、ルビーのように輝く苺のタルトに手を伸ばしかけて、わざとらしくその手を止めた。
「立派なお考えとは思いますが、貴族としての自覚も大切ではないかしら」
その言葉が放たれた瞬間、キオの背筋をすっと冷たいものが走った。まるで、開いていた窓から、秋の冷たい風が暖房の効いたサロンに吹き込み、キオの首筋にだけ正確に吹き付けたかのようだった。
『これが……貴族社会の現実……ってことだよね』
彼らは、表面上はどこまでも丁寧な言葉を使っている。微笑みさえ浮かべている。だが、その裏には明らかな批判の色が滲み出ていた。
「私も、そう思います」
別の令嬢が、アイリスに静かに同調した。彼女はそれまで芸術展の話題で楽しそうに笑っていた人物だった。その彼女が今、指先でカップの取っ手をなぞりながら、真顔でキオを見ている。
「平民の方々と親しくなさるのは結構ですが、やはり貴族には貴族としての繋がりがございます。あまりに身分を無視した交友は、いかがなものかと思いますわ」
彼女の言葉は、丁寧ながらもはっきりとした非難だった。それはもう、皮肉や探りではない、明確な「忠告」だ。
サロンの和やかだった空気が、このテーブルの上だけ、まるで分厚いガラスで覆われたかのように張り詰め、重くなっていくのが肌でわかる。さっきまで聞こえていたはずの、遠くのテーブルで談笑していた他の客たちの声や、微かに流れていた弦楽のBGMが、急に遠くに聞こえるようだった。
三段重ねのティースタンドに並んだお菓子が、急に色彩を失い、まるで精巧な蝋細工のように見えてくる。
その時、エルヴィンが意を決したように口を開いた。
「あの……」
そのか細い声に、全員の視線がエルヴィンに集まる。アイリスも、青い髪の少年も、同調した令嬢も、そしてオーウェンとキオも、彼の次の言葉を待っていた。エルヴィンは、この場の全員の視線というスポットライトに射抜かれ、居心地悪そうに身じろぎした。
彼は少し迷うように口ごもり、全員の視線にさらされて、顔を赤らめながら視線を伏せた。
「……いえ、失礼しました」
結局、何も言わずに、まるでそこが唯一の逃げ場所であるかのように手元のカップを持ち上げ、まだ熱いだろう紅茶を慌てて一口飲むだけだった。
彼は、何かを言いたそうにしていた。でも、言葉にできなかった。エルヴィン自身が、この重くなった空気の中で、貴族としての「常識」と、キオへの「興味」との間で、何かに迷っているようだった。
キオは、エルヴィンの横顔を静かに見つめた。
窓から差す光が、彼の上等な服の金糸を皮肉なほど美しく輝かせている。
『フォルケ君……?』
エルヴィンは迷っていた。
『分け隔てなく接する』というキオの考え方。それが正しいのか、それとも貴族社会の一員として問題があるのか。
だから、キオを庇うこともできなければ、皆の批判に同調することもできず、ただ曖昧な態度を取るしか、この場をやり過ごす方法を知らないのだ。
キオは、ベアトリスのアドバイスを思い出した。
『微妙な話題は避ける。当たり障りのない返答でかわす』
「皆さんのご心配、ありがとうございます。ですが、学校では身分に関係なく学べることが、何より素晴らしいと思っています」
キオは、背筋を伸ばし、手元のお菓子ではなく、皆の顔を一人ひとりまっすぐに見ながら、丁寧に、しかしはっきりと答えた。
「友人たちとの関係は、僕にとって大切なものです」
その言葉に、テーブルを囲む貴族たちの表情が、また微妙に変化した。アイリスはわずかに眉をひそめ、青い髪の少年は「ほう」と、今度は面白そうに口の端を上げた。
エルヴィンは、そんなキオの姿を直視できないのか、困ったような顔で視線を伏せている。
カチャ、と誰かがスプーンを置く音が、やけに大きくサロンに響く。
その重くなりかけた空気を破ったのは、それまで静かに紅茶を飲んでいたオーウェンだった。彼は静かに、しかしその場にいる全員の耳に届く、王族としての威厳を込めて口を開いた。
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