第9話「お茶会と貴族社会」
週末の午後。
空は高く澄み渡り、秋特有の柔らかな陽光が降り注いでいる。爽やかな風が街路樹の葉を「さわさわ」と揺らす中、キオは貴族街にある「ローズガーデン」へと向かっていた。
磨かれた石畳の通りには、蹄の音も軽やかな優雅な馬車が、家の紋章を輝かせながら静かに行き交う。美しく剪定された街路樹は、緑から黄色、そして赤へと鮮やかに色づき始めており、その葉が風に舞っては陽光をきらきらと反射させていた。
学校周辺の喧騒とは違う、ゆったりとした時間が流れるこの一角は、空気そのものが違うように感じられる。自分が特別な世界に足を踏み入れたのだと、肌が実感するようだった。
キオはサロンの前で一度立ち止まり、軽く息を整えた。淡いピンク色に塗られた壁は、陽光を浴びて柔らかく輝いている。
窓枠や軒先には、本物と見紛うほど繊細な薔薇の彫刻が施されており、その影が午後の日差しを受けて壁に複雑な模様を描き出していた。磨き上げられた窓ガラスが、中庭の緑を映している。どこを見ても気品あふれる、完璧な建物だ。
『ベアトリスさんに教わったマナーを、しっかり思い出さないと……』
キオは心の中で、数日前にベアトリスが教えてくれたアドバイスを一つひとつ思い返す。
『カップの持ち方、お菓子の食べ方、会話の仕方……』
『政治的な話題や、家の込み入った話は避ける』
『芸術や文学、最近の街の様子……当たり障りのない話題を選ぶこと』
もう一度、深く息を吸い込む。ひんやりとした秋の空気が、緊張で少し熱を持った肺を落ち着かせてくれた。
『大丈夫。昔、セク兄さんと一緒に行った社交界のパーティーの経験もある。落ち着いて、丁寧に振る舞えばいい』
そう自分に言い聞かせ、キオはマホガニー材で作られた重厚なサロンの扉に手をかけた。冷たい真鍮の取っ手を、ゆっくりと押し開ける。
カラン、と澄んだドアベルの音が、上質な静寂に響いた。
店内に入った瞬間、上品な香りがふわりと鼻をくすぐった。甘やかな薔薇の香水と、奥のキッチンから漂うバターとアーモンドが焼ける匂い。それが心地よく混ざり合っている。
高い天井からは小さなシャンデリアがいくつも吊り下げられ、店内の壁は外観と同じ淡いピンク色で統一されていた。
床には厚手の絨毯が敷き詰められており、歩く音も吸い込まれてしまう。すでに何組かの客が談笑しているが、その声は決して喧騒にはならず、BGMのように空間に溶けていた。
「キオ様! こちらです!」
弾むような明るい声に顔を上げると、店の奥、大きな窓から中庭の景色が一望できる特等席で、レナ・ロート・カルメンが笑顔で手を振っていた。陽光が彼女の紅い髪を透かし、まるで炎の糸のようにきらきらと輝かせている。
そして、その隣には——。
「やあ、キオ。待っていたよ」
金色の髪が眩しい少年、オーウェンが穏やかな笑顔で迎えてくれた。彼はすでに席に着き、リラックスした様子で紅茶のカップを傾けている。
「オーウェン! もう着いていたんだね」
その顔を見た瞬間、張り詰めていたキオの緊張が、ふっと少しほどけるのを感じた。友人が一人いるだけで、こんなにも心が軽くなる。
「ああ、この方が君も安心だろ?」
オーウェンが悪戯っぽくウインクする。その優しさに、キオは心から感謝した。
「さあ、どうぞこちらへ」
レナに案内されたテーブルは、真っ白なテーブルクロスがかけられた大きな円卓だった。すでに何人かの貴族の生徒が揃っており、アイリス・ブラウ・エーデルの青い髪や、そして——エルヴィン・ゲルプ・フォルケの黄色の髪も見える。
「おはようございます、ネビウス様」
エルヴィンは、キオと目が合った瞬間に、慌てたように椅子を引いて立ち上がった。その動きはぎこちなく、丁寧な、しかしどこかよそよそしい仕草で挨拶をした。
「おはよう、フォルケ君」
キオも礼儀正しく返す。
エルヴィンは何か言いかけたように口を開いたが、キオと、その隣に立つオーウェンの顔を交互に見て、結局はそのまま黙ってしまった。
キオはオーウェンの隣に静かに腰を下ろした。ふかふかとした、ベルベット張りの椅子の感触が心地よい。
テーブルの上には、磨き上げられた銀のティーセット——ポットやシュガーケース、ミルクピッチャー——が午後の光を反射して輝いている。
三段重ねのティースタンドには、宝石のように色とりどりの繊細なお菓子が並んでいた。ルビーのような苺のタルト、エメラルド色のマカロン、指先ほどの大きさのきゅうりのサンドイッチ。
「それでは、皆様お揃いですし、お茶会を始めましょう」
主催者であるレナが、ポットを手に取り、優雅にティーカップに紅茶を注いでいく。透き通った黄金色の液体が、甘い香りと共に湯気を立てる。キオの目の前の、薔薇の蕾が描かれた薄手の磁器にも、その美しい紅茶が満たされていった。
その所作は水が流れるように滑らかで、幼い頃から染みついた貴族の教育の賜物だと感じさせた。
しばらくは、穏やかで和やかな会話が続いた。カチャ、と銀のスプーンがカップに触れる軽い音だけが、時折その合間に響く。
最近の魔法理論の授業は難しいという話、街角に新しくできた洋菓子店の評判、今度開かれる芸術展覧会の話題——。
レナの明るい性格と巧みな話題の振り方で、場は途切れることなく自然と盛り上がっていく。窓の外では、中庭の木々が風に揺れ、穏やかな午後の光がテーブルの上に落ちる影をゆっくりと動かしていた。
『レナさんって、凄い社交的だな……』
キオは内心感心しながら、自分も会話の輪に加わった。紅茶の豊かな香りを楽しみつつ、ベアトリスのアドバイス通り、当たり障りのない話題を選び、丁寧な言葉で応じる。
そんな中、ふとエルヴィンが、意を決したようにキオに話しかけてきた。それまでの社交的な会話とは少し違う、個人的な興味を帯びた声だった。
「ネビウス様、先日の魔法史の授業、いかがでしたか?」
「とても興味深かったです。様々な地域で独自に発達した魔法の話は、特に面白かったですね」
「そうですか……! 僕も、歴史はとても好きでして……」
エルヴィンは、それまでのぎこちなさが少し取れ、どこか嬉しそうに、身を乗り出すようにして語り始めた。
だが、その言葉はすぐに、鋭く、しかし優雅な響きによって遮られた。
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