第8話「ベアトリスの提案(3)」
でも......。
キオの脳裏に、いつも優しく微笑む両親の姿が浮かんだ。
父ウォルクと母ルカ。二人は、貴族には珍しい恋愛結婚だった。
父は魔力が少なく、自信がなかったという。でも、母が猛烈にアタックして、結ばれた。二人がお互いを見つめ合う時の優しい眼差し。食卓の下で、ごく自然に手を取り合う仕草。何気ない会話に滲み出る、深い思いやり。
あれこそが、キオが知る「愛」の形だった。
キオはゆっくりと目を開けた。
「ベアトリスさん」
「はい」
「僕の両親は、恋愛結婚でした」
キオは静かに語り始めた。
「父は魔力が少なく、ネビウス家の本家でありながら、少し自信がなかったそうです」
「まあ......」
「でも、母が父に夢中になって、猛烈に愛を伝えて、結ばれたんです。母はとても情熱的な人でした」
キオの声は、自然と温かい響きを帯びていた。
「二人はお互いを心から愛していました。見ているだけで、こちらまで幸せになるような......そんな関係でした」
「......素敵なご両親ですわね」
ベアトリスが心から感心したように言った。
「僕も、いつかそんな愛を見つけたい」
キオは真っ直ぐにベアトリスを見た。
「打算からは、真実の愛は生まれないと思うんです。最初から利害を考えた関係では、両親のような愛は、きっと......」
「......」
「ベアトリスさんの提案は、理解できます」
キオは誠実に続けた。
「大人として考えれば、合理的だと思います。僕や友達を守ろうとしてくれる優しさも、本当に嬉しいです」
「......」
「でも、お断りさせてください」
キオは深く頭を下げた。
「別の方法を、探したいんです。身分の壁があっても、友情を守る方法を。打算ではなく、真実の関係を築く方法を」
静かな図書館に、沈黙が落ちる。
やがて、ベアトリスがふっと小さく笑った。
「キオ様は、ロマンチストですわね」
顔を上げると、彼女は怒るでもなく、困るでもなく、優しく微笑んでいた。
「お父様や周囲の大人たちは、『現実を見ろ』と言うでしょう。でも......」
ベアトリスの瞳に、少し憧れのような光が宿った。
「そういう夢を持ち続けることも、素敵だと思いますわ」
「ベアトリスさん......」
「では」
ベアトリスはすっと立ち上がった。
「お友達になっていただけませんか?」
「え?」
「利害ではなく、一人の人間として。私も、キオ様のような方と、本当の意味で友達になりたいのです」
その言葉に、キオの顔がぱあっと明るくなった。
「もちろんです! ぜひ、お願いします」
キオも立ち上がって、嬉しそうに答えた。
「ふふふ、ありがとうございます」
「あ、そうだ。その......」
キオは少し言い出しにくそうに、鞄をごそごそと探った。
「実は、友達になったということで......ちょっと、相談したいことがあって」
「相談?」
キオは鞄から、朝受け取った招待状を取り出した。
「これ、レナさんからのお茶会の招待状なんです」
ベアトリスが招待状を見て、目を丸くした。
「まあ、ローズガーデンでのお茶会ですわね」
「はい。でも、同級生だけのお茶会は初めてで......どう振る舞えばいいのか、アドバイスが欲しいんです」
キオが真剣に頼むと、ベアトリスはしばらく呆然としていた。
そして、次の瞬間。
「ふふっ」
小さく笑い声が漏れた。
「あはは......!」
それが、くすくすという笑いから、やがて楽しそうな声を出した笑いに変わった。
「まあ! キオ様は......!」
ベアトリスは扇子で口元を隠しながら、心から楽しそうに笑った。
「婚約を断った相手に、お茶会の相談ですか! 本当に......面白い方ですわ!」
その笑顔は、それまでの緊張した表情とは全く違う、13歳の少女らしい明るさに満ちていた。
「す、すみません......!やっぱり、変ですよね......」
キオも焦ったように謝る。
「いえいえ......まぁ、あまりないとは思いますが。キオ様はそういう方なのですね」
ベアトリスは笑いを収めると、優しい表情で頷いた。
「わかりました。では、色々とお教えしますわ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
「お友達ですもの」
西日がすっかりオレンジ色に変わる頃まで、二人は再び席に座り、ベアトリスは丁寧にお茶会のマナーを教えてくれた。
「まず、レナ様主催でしたら、彼女はとても社交的な方ですから、きっと和やかな雰囲気になると思います」
「そうなんですね」
「ただし、基本的なマナーは守るべきです。カップの持ち方、お菓子の食べ方、会話の仕方......」
ベアトリスは一つ一つ、具体的に説明してくれた。キオは真剣な顔で頷き、時折手元のノートにペンを走らせた。
「それと、話題についてですが......」
「話題?」
「ええ。貴族のお茶会では、政治的な話題や、家同士の込み入った関係など、微妙な話題は避けるのが無難です」
「なるほど......」
「その代わり、芸術や文学、最近の街の様子など、当たり障りのない話題が良いでしょう」
「わかりました」
すっかり時間が経ち、図書館に閉館を告げる鐘の音が遠くから響いてきた。
「ベアトリスさん、本当にありがとうございます」
「いえ、これからもわからないことがあれば、いつでも聞いてくださいね」
「はい!」
図書館を出る時、二人は並んで歩いた。
「キオ様」
「はい?」
「お茶会、楽しんできてくださいね」
ベアトリスが優しく微笑む。
「はい。頑張ります」
二人はそこで別れた。キオは寮へ向かいながら、心がすっかり軽くなっているのを感じた。
『ベアトリスさん、いい人だな』
婚約を断られても、笑って友達になってくれた。おまけに、むちゃくちゃなことをお願いした自分に親身にアドバイスまでしてくれた。
『新しい友達が、また一人増えた』
―――
すっかり日の暮れた寮に戻ると、自室の前の廊下でオーウェンが待っていた。
「キオ、どうだった?」
「オーウェン......」
二人は人目につかないよう、少し離れた窓辺に移動し、小声で話し始めた。
「実は......婚約を提案されました」
「婚約を!?」
オーウェンが目を見開いた。
「でも、お断りしました」
「そうか......」
オーウェンはしばらく黙っていたが、やがて優しく微笑んだ。
「君がそう望むのなら、それが一番だ」
「ベアトリスさんは、怒らなかったよ。むしろ、友達になってくれた」
「本当か? それは良かった」
「それで、お茶会のアドバイスをもらったんだ」
キオがそう言うと、オーウェンは少し驚いた顔をした。
「婚約を断った相手に、お茶会の相談?」
「うん......変かな?」
「いや」
オーウェンは声を立てずに笑った。
「君らしいよ。それで、行くことにしたのか?」
「うん。貴族社会を知ることも、大切だと思うから」
「良い判断だ。僕も一緒だから、大丈夫」
オーウェンが安心させるようにキオの肩を叩く。
「君は君らしくいればいい。変に取り繕う必要はない」
「ありがとう、オーウェン」
二人は笑顔で別れ、キオは自分の部屋に入った。
部屋に入り、カバンを置くと、シュバルツの声がした。
『大丈夫か?』
『うん、ありがとう、シュバルツ......でも、ちょっと疲れたかな』
キオは制服から楽な部屋着に着替えると、ベッドに腰掛けた。
窓の外には、冷たい空気の中に満天の星空が広がっている。
『今日は、色々あったね』
心の中で語りかけると、シュバルツが応えた。
『ああ。お前は、お前らしい選択をした』
『本当に?』
『ああ』
シュバルツの声は、いつも通り落ち着いていて、温かかった。
『ベアトリスさん、優しい人だった』
キオはベッドに腰を下ろしたまま、窓の外を見上げた。
『お茶会......少し緊張するけど』
『大丈夫だ。オーウェンもいる。ベアトリスのアドバイスもある』
『そうだね』
キオは窓の外に輝く星々を見上げた。
『貴族のお茶会、未知の世界だ』
『でも、ちゃんと経験しておきたい』
『それが、いつか友達との関係を守ることにも繋がるかもしれない』
シュバルツは静かに頷いた。
『そうだな』
『おやすみ、シュバルツ』
『ああ、おやすみ』
キオはベッドに入り、目を閉じた。
明日も、友達と過ごす一日が待っている。
そして週末には、初めての貴族のお茶会。
少し緊張するけど、きっと大丈夫。
オーウェンもいる。ベアトリスのアドバイスもある。
それに、シュバルツがいつもそばにいてくれる。
『きっと、うまくいく』
そう思いながら、キオは静かに眠りについた。
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