間話01「???視点_喜劇の幕開け」
パチ......、パチ......、パチ............。
ゆっくりとした拍手が聞こえる
どこまでも暗く、冷たく、観客もいないはずの巨大な劇場。
その最前列、ただ一つの席に、一人の「男」が深々と腰掛けていた。
月光を思わせる、冷たくも整った美貌。陶器のように白い肌に、闇夜の黒と虚無の白が混じり合った不可思議な髪が、その端正な顔に影を落とす。
体の線に沿った優雅な黒衣は、完璧な執事の装束を思わせた。
その男が、まるで歴史的な名演を観終えたかのように、これ見よがしに、ゆっくりと、わざとらしく拍手を送っていた。
その視線の先には、何もない空間。......いや、男にだけは見えているのだろう。
若き役者たちの輝かしい日常、という『演目』は、つい今しがた『終演』を迎えた
「アッハッハ......! ブラボーッ!!」
甲高い笑い声が、がらんどうの劇場に不気味に響き渡る。
男は芝居がかった仕草でスックと立ち上がり、両腕を天に掲げた。
「嗚呼、素晴ラシイ! なんという茶番! なんという滑稽な『喜劇』であったことか!」
男は満足げに、まるでそこにいるはずのない満員の観衆に向かって、深く、深くお辞儀をしてみせる。
「諸君! 観タマエよ! あの『主役』......そう、我らが憎き駒鳥の、あの満ち足りた表情を!」
男はうっとりと目を細め、まるで偉大なオペラ歌手がアリアを歌い上げるかのように、朗々と声を張り上げた。
「クク......見タマエよ! あの顔を!『明日も楽しみで仕方がない』と、全身で叫んでいるではないか!! クックックッ......! アッハッハッハッハ!!」
ひとしきり腹を抱えて笑った後、男はふと真顔になり、今度は心底ウンザリした、というように大げさに肩をすくめてみせる。
「あの『脇役』どもと笑い合う、あの満足げな表情......! あの陳腐な幸福感......! ............ハァ」
男は右手で勢いよく前髪をかきあげ、左手を天高く伸ばした。
「嗚呼、吐き気がスル! なんという安っぽさ! なんという滑稽さ! 角砂糖を大量に咀嚼しているようなキブンだよ! 嗚呼、反吐が出る!」
「......それでいて、なんと......なんと、『青春』という言葉が似合ってしまう光景であろうか!」
男の口は大きくニンマリと弧を描くように歪んだ。そして大きく手を、足を、体を動し、叫ぶ。
「友情! 絆! 成長! 希望! それらを『築き上げている』と信じて疑わない、あの無垢なる瞳! アレこそが『喜劇』の醍醐味というものだ!」
男は、この「舞台」の演出家として、役者たちの演技を一つひとつ品定めするように、指を折りながら数え始めた。
「まずは、あの金ピカの『王子様』! フム、なかなかどうして、良い『当て馬』っぷりだ! 『孤独』を共有できる『親友』ができて、心の底からご満悦......か。おめでたい! 実におめでたい頭ではないか! ククク!」
「そして、あの灰かぶりの『娘』に、冴えない『少年』! 『身分の壁』を越えた友情ごっこ、ときた! アッハッハ! 涙が出るほど滑稽だ! 『憧れの人』が『優しくしてくれた』? 『王子様と友達になれた』? ああ、その勘違い、その幸福な誤解! ソレがソレこそが、後の絶望を際立たせる『香辛料』なのだと、露ほども知らずに!」
「ああ、それから......あの異国の『歌姫』! フム。アレは少々、私の『脚本』にはなかった『飛び入り』だが......」
男は顎に指を当て、心底愉しそうに、ねっとりとした舌なめずりをした。
「......良い。実に良い『道化』だ! あの底抜けの明るさ! あの場を掻き乱す天真爛漫さ! アレが加わることで、『日常』という名の『舞台装置』は、より強固に、より輝かしくなった! 感謝しなくてはなるまい!」
男は再び、芝居がかった仕草で胸に手を当て、深く、深く、感謝の礼を捧げる。
「ありがとう、ありがとう、名も知らぬ脇役たちよ! 君たちのその愚かで、健気で、浅はかな『友情』こそが! 私が描く『大いなる悲劇』にとって、最も重要な『前フリ』なのだから!」
「アッハッハッハッハ!!」
高らかな笑い声が、再び劇場に響き渡る。
「諸君は知っているかね? なぜ『喜劇』というものが、これほどまでに観客を魅了するのかを!」
男は、存在しない観衆に向かって、人差し指をピタリと突きつけた。
「それは! それこそは! 『悲劇』への『助走』に過ぎないからだ!」
「高ければ高いほど、積み上げれば積み上げるほど! ......そう、落ちた時の衝撃は、より大きく、より無惨になる!」
「輝かしければ輝かしいほど! その光が強ければ強いほど! ......そう、すべてを失い、闇に染まった時の『絶望』は、より色濃く、より芳醇な『味わい』になるというものだ!」
「そうだ、そうだとも! 私は『役者』でね!」
「そして何より、私は彼を......ああ、我が愛しの駒鳥を、『愛して』いるのだから!」
「クク......ククク、アッハッハ! そう、愛しているとも! 舞台でただ一人の『好敵手』として! 私の『演技』を! 私の『存在』を! 最高に輝かせてくれる『相方』として!」
「嗚呼! あの憎らしくも愛おしい我が駒鳥よ!」
「彼が絶望に染まり、怒りに満ちた顔で私の名を叫ぶ! ああ、その瞬間こそが、私と彼の『愛』の完成なのだよ!」
「だからこそ!」
「この『青春』という名の『前菜』は! この『友情』という名の『付け合わせ』は!」
「やがて供される『メインディッシュ』を! 彼という『葡萄酒』を! 最高の逸品に仕上げるための、最上のお膳立てに過ぎんのだよ!」
男は、まるでオーケストラの指揮者のように、両腕を激しく、そして優雅に振るった。
「フフフ......。フフフフフ。ああ、『序幕』は実に上々の出来だった」
男は満足げに頷き、ゆっくりと席に腰を下ろす。
「......だがね、諸君。焦ってはならない。本当の『見せ場』は、ここからだ」
「何せ、私自身が! まだ舞台袖に控えているのだから!」
「嗚呼、待ち遠しい! 私の出番! 私の『登場』!」
「この私という『真の主役』が登場し、あの駒鳥の幸福な『喜劇』を、この手で『悲劇』に塗り替える、その瞬間が!」
ククク、と笑い声が漏れる。
「さあ、間もなく『第一幕』の幕が上がる! 物語は次なる展開か! それとも退屈極まりない光に満ち溢れた日常か!」
パンッ! と男にスポットライトが当たる
「さぁ......どんな物語を魅せてくれるのかな?」
男は両手を広げスポットライトを一身に浴び、大きな声で笑う
「アッハッハッハッハッハ! たまらない! 想像するだけでゾクゾクするではないか!」
男は、観客のいない劇場で、ただ一人、喝采を送る。
「さあ、踊れ! 歌え! 青春を謳歌するがいい、哀れな、哀れな役者たちよ!」
「すべては、この『脚本家』の手のひらの上でなァ!」
「そして、私の登場を、首を洗って待っているがいい!憎き、愛しき、我が駒鳥よ!」
パチン、と。
男が軽やかに指を鳴らすと、その音だけが、冷たい闇の奥へと、いつまでも、いつまでも響き渡っていった。
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