第7話「それぞれの魅力」
やわらかな朝の光が、教室の窓枠をくっきりと床に映し出している。キオは自分の席に着きながら、新しい一日が始まったクラスメイトたちの賑やかな声に耳を傾けた。
「おはよう、キオ」
爽やかな笑顔を向けながら、オーウェンがやってきた。
「おはよう、オーウェン」
挨拶を交わし、ふと後方に目をやると、ルイがカリナ、セドリックと小さな輪になって、楽しそうに肩を揺らしながら話しているのが見えた。
やがて始業を告げるチャイムが鳴り響いた。それとほぼ同時に、教室のドアが勢いよく開く。入ってきたのは、いかにも厳格といった雰囲気の、五十代くらいの男性教師だ。
教壇に立つと、その鋭い眼光が教室を一瞥する。ただそれだけで、さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返った。
「私がルーベン・ハートマンだ」
低く、重みのある声が教室に響いた。いかつい顔立ちは少し怖いが、その声には長年の経験に裏打ちされた教師としての威厳が宿っている。
「今日は一次方程式の基礎について学ぶ」
始まったルーベン先生の説明は、その厳つい見た目に反して驚くほど丁寧で分かりやすかった。
キオにとってはさほど難しい内容ではなかったが、それでも真剣に耳を傾ける。周りの生徒たちも、先生の持つ独特の迫力に気圧されながら、必死に授業に集中しているのが空気で伝わってきた。
『こういう時、前世の記憶は本当にありがたい』
最初の人生では、お世辞にも勉強ができるとは言えなかった。けれど、賢い頭脳を持っていた"前"の自分のおかげで、今は知識がすんなりと吸収できる。今の自分がこうして楽をできているのは、間違いなくその「貯金」のおかげだった。
数学の授業が終わり、次に待っていたのは音楽の時間だった。
がらり、と扉が開き、教室に現れたのは、春の若葉のような明るい黄緑色の髪を持つ、二十代半ばの美しい女性教師だった。
その優雅な立ち振る舞いは、いかにも音楽家といった雰囲気をまとっている。アーデル・メロディア先生だ。
「それでは、まずは発声練習から始めましょう。音楽の基本は、まず自分の声を知ることです」
アーデル先生がピアノの前に座り、滑らかな指使いで鍵盤に触れると、教室内に美しい和音が響いた。
「『あー』『えー』『いー』『うー』『えー』『おー』『あー』『おー』、はい、皆さんもご一緒に」
生徒たちの拙い声が重なる中、ひとつだけ、ひときわ美しく響き渡る声があった。
「あー、えー、いー、うー、えー、おー、あー、おー♪」
カリナの声だ。
まるで澄み切った泉から湧き出る水のように、どこまでも伸びやかで、力強く、そして自然な響き。クラス全員の声の中でも、彼女の声だけが鮮やかに際立っていた。
キオは思わず息を呑む。隣のオーウェンも、目を少し見開いているのが視界の端に入った。
「とても良い声ですね」
アーデル先生がふっとピアノの手を止め、カリナの方を見て優しく微笑んだ。
「とても自然な発声ができています」
褒められたカリナは、はにかみながらも嬉しそうに頬を染める。
「私の故郷では、小さい頃からみんなで歌うのが当たり前だったから」
「それは素晴らしい環境ですね。では、続けましょう」
練習が続くほどに、カリナの才能はより一層明らかになっていく。音程は正確無比で、声量も豊か。そして何より、その表情から歌うことを心から楽しんでいるのが伝わってきた。
「次は簡単な歌を歌ってみましょう」
アーデル先生が奏で始めたのは、この国に古くから伝わる優しいメロディの童謡だった。
「♪輝く夜に〜煌めく星よ〜♪」
生徒たちが歌い始めると、またしてもカリナの声が周囲を魅了する。
それは、ただ音程が正確というだけではない。声そのものに、命が宿っているかのようだ。
喜び、悲しみ、希望、祈り。聴く者の心を揺さぶるすべての感情が、その歌声に込められている。
他の生徒たちが歌詞を追うのに必死な中、彼女は主旋律に寄り添うように、即興で美しいハーモニーを紡ぎ出している。
キオの隣で、オーウェンが小さく息を呑むのが聞こえる。後方では、ルイがうっとりとした表情で聞き入っていた。セドリックは、そっと目に涙を浮かべている。
教室全体が、カリナの歌声に温かく包まれていた。
遠く離れた席では、エルヴィンがじっとカリナの方を見つめている。その表情は、どこか複雑なものだった。
「素晴らしい!」
思わずといった様子で、アーデル先生が感嘆の声を上げた。
「カリナさん、今のは何ですか?」
「あ、えっと............つい癖で、メロディーに合わせて別の音を歌っちゃって」
カリナが慌てて説明する。
「私の故郷では、一人が主旋律を歌うと、他の人が自然にハモるんです」
「即興でハーモニーを? それは驚異的な才能ですよ」
アーデル先生の目が、逸材を見つけたようにキラキラと輝いている。
「今度ぜひ、皆さんの前で故郷の歌を披露していただけませんか?」
「本当? やったー!」
カリナは子どものようにぴょんと飛び跳ねて喜んだ。
その様子を、キオは感心しながら見ていた。これほど素晴らしい音楽才能を秘めていたとは。そして、その才能を気負うことなく、楽しそうに発揮している姿が何よりも眩しく見える。
音楽の授業が終わり、次は魔法史の時間。担当はシュトゥルム先生だ。
「今日は各国の魔法の歴史について学びます。この大陸には様々な魔法文化があり、それぞれに特色があります」
シュトゥルム先生が教壇の上で古い地図を広げながら説明を始める。羊皮紙だろうか、使い込まれた地図には細かな文字がびっしりと書き込まれている。
「我が国の魔法は髪色によって得意な系統が分かれ、主に個人の魔力を行使します。しかし、東方の島国では魔力の少ない者が多いため、精霊と協力して魔法を使う技術が発達しました。精霊の力を借りることで、個人の魔力を補完するのです」
その説明に、キオは思わずカリナの方を見る。彼女は興味深そうに、まっすぐ先生を見つめていた。
「南方の大陸では、自らの魔力を歌や言葉に乗せる呪歌魔法が主流です。また、祈りによって魔力を増幅させる『神力』という力も存在します。これは個人の才能に依るもので数は少ないですが、我が国でもジルヴァ一族など教会関係者に多く見られます。そして北方の山岳地帯では、鉱物から力を引き出し精製する錬金魔法が盛んです」
先生は持っていた指示棒で地図上の各地を指し示しながら、言葉を続ける。
「人が持つ魔力、物が持つ魔力、精霊が持つ魔力、自然そのものが持つ魔力、そして祈りによる神力。魔法の力の源は多岐にわたります。地域によってどの力をどう活用するかが異なり、文化や環境が魔法の発展を形作ってきたのです。これらの魔法は生まれた国に関係なく学べますが、やはりその土地で育まれた技術には一日の長があります」
「では、これからグループに分かれて、各国の魔法について調べてみましょう」
その言葉に、教室がにわかにざわめき始める。
前方の席で、エルヴィンが自分の机の引き出しから、何冊もの分厚いノートを取り出した。
表紙が擦り切れるほど使い込まれたそれらは、幼い頃から書き溜めてきた、歴史に関する膨大な記録。ゲルプ家の書庫で読み込んだ古文書の内容を、一つ一つ、丁寧にまとめ上げてきたものだ。
「フォルケ君、すごいノートの量だね」
隣の生徒が驚いて声をかけるが、エルヴィンは軽く頷くだけだった。
ノートを開く手に、わずかな力が込められる。
キオは少し迷った。いつも通りオーウェンと組むのが自然な流れだが、今日はカリナやセドリックたちともっと話してみたい気持ちがあった。
「キオ」
どうしようか考え込んでいると、オーウェンから声がかかった。
「今日はルイたちと同じグループにならないか? 君もルイたちともっと話したいだろう」
その心遣いが嬉しくて、キオは思わず顔がほころぶ。
「ありがとう。もちろん、オーウェンも一緒だよね?」
「そうだな。六人組になるが、先生に許可をもらえばいいだろう」
二人でシュトゥルム先生に相談すると、「活発な議論を期待しています」と快く許可してくれた。
キオとオーウェンが立ち上がり、後方の席へ向かっていく。
エルヴィンの視線が、二人の背中を追う。
やがて二人の姿が後方の席に消えると、エルヴィンは自分の手元にあるノートをじっと見つめた。
ペンを握る手が、わずかに震える。
「フォルケ君、一緒にやろう」
別のグループメンバーが声をかけてきた。
「............ああ、そうだな」
エルヴィンは顔を上げ、努めて自然な笑みを作った。
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