第1話「孤高の新入生」
ゴトゴトと心地よい振動が、車輪から座席へと伝わってくる。馬車は王立魔法学校へと続く石畳の道を進んでいた。
キオ・シュバルツ・ネビウスは、窓の外を流れる景色から目が離せない。
活気のある市場、パンを焼く香ばしい匂い、そして行き交う人々の楽しげな話し声。様々な髪の色——魔力と地位の証——を持つ人々が、当たり前のように言葉を交わし、笑い合っている。
自分の、この夜空を溶かし込んだような黒髪はその頂点に立つ色である。
窓ガラスに映る自分を見つめ、キオは小さく息をついた。期待と、それを上回る不安が、胸の奥で静かに脈打っている。
『......懐かしいな、こういうの』
浮かぶのは、前々世(現代日本)の記憶。悲しいこともあったけど、平凡で温かい雑踏に満ちた普通の女性としての日常。
それとは対照的な、魔法の探求にすべてを捧げ、孤独のうちに終わった男性としての前世。あの骨身に染みるような寂しさを、キオは今も覚えている。
『今度こそ、間違えない』
ギュッと、膝の上の手を握りしめる。
『普通の学生として、温かい青春を送るんだ』
決意を新たに窓の外へ視線を戻すと、賑やかな街並みの向こうに、巨大な建造物がその威容を現した。
「......すごい」
思わず、ため息のような声が漏れた。王立魔法学校。それはもはや学校というより、壮麗な宮殿だった。13歳となったキオは今日からここの生徒となるのだ。
馬車がゆっくりと速度を落とし、目的の場所——黒い鉄で造られた壮大な校門——へとたどり着く。門には、世界の階級と魔法体系を象徴するという、七つの竜の彫刻が精巧に施されていた。
『いよいよ、か......』
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。今世こそはと願う一方で、また孤独になるのではないかという不安がよぎる。
「キオ様、ご到着でございます」
御者の静かな声にはっと我に返ると、馬車は校門の前で完全に停止していた。ひとつ、深く息を吸い込む。覚悟を決め、扉を開けて外の空気に触れた。その瞬間、周囲の空気が変わった。
ひんやりとした朝の空気。それとは対照的な、熱のこもった視線。
「見て、あの髪......シュバルツ一族の方だわ」
「なんて綺麗な人......」
ざわめきと共に、新入生たちの視線が一斉にキオに突き刺さった。母ルカ譲りの紫水晶の瞳、透けるような白い肌。少年のものとは思えぬその中性的な美貌は、否応なく人の目を惹きつけた。
『......また、これか』
内心で小さくため息をつく。
期待ではなく、好奇と畏怖が入り混じったこの視線が、見えない壁を作ってしまうのではないか。
『緊張しているな』
不意に、頭の中に低く落ち着いた声が響いた。
物心ついた頃からキオと共にあり、その心を支えてきた精霊シュバルツだ。
『当たり前だろ、新しい環境なんだから。......でも、みんな、少し距離を置いてる気がする』
『仕方のないことだ。お前の家柄と容姿を思えば。だが、前世とは違う。お前には今、人とつながりたいという強い意志がある』
シュバルツの言葉に背中を押され、キオは顔を上げた。覚悟を決めて、校門をくぐろうとした——その時だった。
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「ちょっと、あなた邪魔よ! 見えないじゃない!」
校門のすぐ内側で、二人の生徒が言い争っているのが見えた。甲高い声は青い髪の少女から、もう一人は困惑した様子の茶髪の少年。どちらも新入生のようだ。
「えっ、あ、ご、ごめん......でも、僕も案内板を......」
「その髪色ってことは平民でしょ! うろうろしないで! あなたのせいで私まで遅れたらどうするのよ!」
「そ、そんなこと言われても......」
周囲の生徒たちは困惑した様子で、二人を避けるように通り過ぎていく。
キオは一瞬立ち止まった。
『放っておけばいいのか......いや』
前々世の記憶が蘇る。会社で新入社員が道に迷って困っていた時、見て見ぬふりをした後、結局声をかけた。あの時の、少しだけ誇らしいような、温かい気持ち。
『今度こそ、最初から違う自分になるんだ』
キオは深く息を吸い込むと、二人の方へと歩み寄った。
「あの、すみません」
キオの声に、二人は驚いたように振り返った。
「「え......」」
二人の顔が、一瞬で青ざめる。
夜空色の黒髪に、紫水晶の瞳。シュバルツ一族の証を持つ少年が、自分たちの前に立っている。
「あ、あの、申し訳ございません!」
「し、失礼いたしました!」
二人は慌てて頭を下げた。
「いえ、謝る必要はないです」キオは努めて声を和らげた。「その......もしよければ、案内板を一緒に見ませんか?」
キオの提案に、二人は顔を見合わせた。
「で、でも......」
「僕も実は、どこに行けばいいのかよくわかってなくて。一緒に探しましょう」
キオは努めて親しみやすい笑顔を作った。
案内板の前で、三人は書かれている内容を確認する。
「あ、入学式は大講堂って書いてありますね」
茶髪の少年が、ほっとしたように言った。
「そっちに矢印があるわ。......あ、あの......さっきはごめんなさい。焦ってて、つい......」
青髪の少女が、バツが悪そうに茶髪の少年に謝る。
「ううん、僕も邪魔してたかもしれないし。大丈夫」
二人の和解を見て、キオはほっとした。
「それじゃあ、僕はこれで」
キオが立ち去ろうとすると、茶髪の少年が声をかけた。
「あの、ありがとうございました。助かりました」
「いえ、こちらこそ。いい入学式になるといいですね」
キオがそう答えて歩き出すと、背後で二人がひそひそと話す声が聞こえた。
「シュバルツ一族の人って、噂と全然違うね......」
「優しかった......」
その声に、キオの胸が少しだけ温かくなった。
『一歩、進めたかな』
『悪くない判断だ』
シュバルツの声が、心の中で響いた。
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