第31話「温かな帰郷(3)」
食後、キオは自室に戻った。
見慣れた部屋。幼い頃から使っている年季の入った書棚、窓際のデスク、清潔なリネンがかけられた柔らかなベッド。何も変わっていないはずなのに、数ヶ月ぶりに戻ってきた今は、どこか新鮮に感じられた。
窓辺に立ち、夜空を見上げる。
冷たいガラスに指先を触れながら、外の闇に目を凝らす。雲の切れ間から、星々が鋭く瞬いていた。学園から見る夜空とは、また違った趣がある。
風の音だけが聞こえる、雪国の静寂。
「落ち着くか」
シュバルツが隣に立った。
「うん。やっぱり、家は落ち着く」
「そうか」
二人は並んで、しばらく夜空を眺めていた。
その時、廊下から小さな足音が聞こえてきた。
「キオ兄さま......」
ドアの隙間から、ルーアが顔を覗かせた。寝間着姿で、枕を抱えている。
「まだ起きてるの?」
「うん......あのね」
ルーアは少しもじもじしながら、キオの方に歩いてきた。
「キオ兄さまのお部屋で、一緒に寝てもいい?」
「一緒に?」
「だって、久しぶりなんだもん。キオ兄さまがいない間、ずっと寂しかったの」
その言葉に、キオの胸がきゅっと締め付けられた。
「ルーア......」
「だめ?」
上目遣いで見つめてくる妹に、キオは苦笑した。
「いいよ。おいで」
「やったー!」
ルーアが嬉しそうに飛び跳ねた。
その瞬間、廊下の影からもう一つの姿が現れた。
「ルーア、僕たちはもう子供じゃないんだから......」
ネロが呆れた顔で言いながらも、廊下の壁に背を預けて待っている。その視線は、部屋の中をちらちらと窺っていた。彼もまた、手に自分の枕を持っている。
「ネロも、入っておいで」
キオが声をかけると、ネロは少し驚いたように目を見開いた。
「......いいの?」
「もちろん。一緒に話そう」
ネロは一瞬躊躇した後、小さく頷いて部屋に入ってきた。
「お邪魔します」
キオはベッドの端に腰を下ろし、シーツを撫でて両側に双子を招いた。ルーアは嬉しそうにキオの右腕にしがみつき、ネロは左側に大人しく座る。
シュバルツは少し離れた椅子に腰掛け、三人の様子を静かに見守っていた。
「キオ兄さま、学校のお話、もっと聞かせて」
ルーアがせがむように言う。
「精霊召喚って、どんな感じだったの?」
「うん。とても不思議な体験だったよ」
キオは精霊召喚儀式のことを、ゆっくりと話し始めた。
光の中からシュバルツが現れた瞬間のこと。みんなが驚いていたこと。自分の心臓がどれほど高鳴っていたか。
「スバルさまが現れた時、キオ兄さまはどう思ったの?」
「......嬉しかった」
キオは素直に答えた。
「夢にまで見た存在が、目の前に現れてくれたんだ。凄く嬉しかったよ」
シュバルツは何も言わなかったが、その紫の瞳にはランプの灯りよりも温かな光が宿っていた。
「私もキオ兄さまが昔読んでくれた精霊さんのお話、大好きなの」
ルーアが目を輝かせながら言った。
「だから、凄く素敵だと思う。キオ兄さまのところに来てくれた精霊さまが、スバルさまで良かったね」
「......そうだな」
ネロも静かに頷いた。
「キオ兄さまが幸せなら、僕たちも嬉しい」
その言葉に、キオは胸が熱くなるのを感じた。
「ありがとう。ルーア、ネロ」
二人の滑らかな黒い髪を、優しく撫でる。
「僕も、二人がいてくれて幸せだよ」
窓の外では、雲が流れ、星々が瞬いている。
暖炉の残り火が、部屋を淡く柔らかく照らしていた。
やがて、ルーアの瞼が重くなってきた。
「眠い......」
「もう寝ようか」
「うん......でも、キオ兄さまのそばがいい......」
「分かったよ。今日は一緒に寝よう」
キオがベッドに横になると、ルーアは嬉しそうに隣に潜り込んだ。ネロは少し迷った後、反対側に体を横たえた。
「......子供みたいで恥ずかしいけど」
「いいよ。久しぶりなんだから」
キオは両腕に双子を抱えながら、天井を見上げた。
左右から伝わる双子の体温が、心地よい眠気を誘う。
三日後には、ルイとベアトリスが来る。
友人たちとの再会への期待と、少しの緊張。
けれど今は、家族の温もりに包まれて、ただ穏やかな幸せを噛み締めていた。
「おやすみ、キオ兄さま」
「おやすみ、ルーア。ネロも」
「......おやすみなさい」
双子の安らかな寝息が聞こえ始めた頃、シュバルツが静かに立ち上がった。
足音を忍ばせて窓辺に歩み寄り、夜空を見上げる。
「シュバルツ」
キオが小さな声で呼びかけた。
「......何だ」
「ありがとう。妹達と仲良くしてくれて」
「当然だ」
シュバルツは振り返らずに答えた。
「お前の大切なものは俺にとっても大切なものだ」
その言葉に、キオは安心したように目を閉じた。
温かな家族の温もりと、大切な存在の気配。
冬休みの始まりは、穏やかで幸せな夜だった。
翌朝、キオは双子に挟まれた状態で目を覚ました。
分厚い羽毛布団の温もりと、身動きが取れないほどのずっしりとした重み。
ルーアは相変わらずキオの腕にしがみついており、ネロはいつの間にかキオの背中にくっついている。左右から聞こえる規則的な寝息が、くすぐったくも心地よい。
「......動けない」
苦笑しながら、キオはそっと体を起こそうとした。
「んん......」
ルーアがむずがるように身じろぎする。
「まだ眠い......」
「もう朝だよ、ルーア」
「あと五分......」
その言葉に、キオは笑ってしまった。
前前世の自分も、よくそう言っていた気がする。
「ルーア、起きろ」
ネロが目を覚まし、眠そうな目をこすりながら妹の肩を揺すった。
「朝食の時間だぞ」
「んー......」
渋々といった様子で、ルーアが目を開ける。
「おはよう......」
「おはよう」
キオが微笑むと、ルーアの表情がぱっと明るくなった。
「キオ兄さまだ......! 夢じゃなかった......!」
「夢じゃないよ」
「嬉しい......!」
ルーアがキオにぎゅうっと抱きつく。その様子を見て、ネロは呆れながらも、どこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
カーテンの隙間から、雪に反射した冬のまぶしい朝日が差し込んでいる。
今日も穏やかな一日が始まろうとしていた。
三日後、友人たちが来る。
それまでは、家族との時間をゆっくりと過ごそう。
キオはそう思いながら、双子の頭を優しく撫でた。
温かな帰郷。
かけがえのない、家族との時間。
冬休みは、まだ始まったばかりだ。
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