32.魔女か聖女か
ガルバトール帝国で力を持たない人間が生き残る方法は、一つしかなかった。
とにかく目立たないこと。
そして、誰も信じないこと。
「まほ、べんきょする」
「はい」
「あたち、つよくなる」
まだこの男の目的はわからない。
もしかしたら、私の命を脅かす存在かもしれない。
けれど、一つだけわかっていることがある。
(私には師が必要だ)
前世の私は誰よりも強い自信があった。
今、目の前にいる紫の魔法使いにも負けないと思えるくらい。
しかし、それでも私は自分自身の命すら守れなかったのだ。
(今のままでは足りない)
前世から持って来た知識や力では足りない。
一人も失いたくない。
私の頭を撫でるあたたかな手の存在を知ってしまったから。
「おはよう」の優しさを知ってしまったから。
(私はこの場所を守りたい)
「私が殿下を素晴らしい魔法使いにして差し上げます」
「ん」
「ですが、焦ってはいけませんよ。魔法とは大変奥深いものなのです」
私の焦る気持ちに気づいているのだろうか。諭すように言われ、私は小さく頷いた。
わかってはいるのだ。
この小さな身体ではできることが少ない。
けれど、不安で不安でしかたなくなるときがある。
一度知ったぬくもりを手放したくないと思うのは、普通のことだろう。
前世でも何度も体験した。
部屋が綺麗な場所に移るたびに、「あの場所には戻りたくない」と何度も思ったのだ。
トリスティンは私の頭を撫でる。
「魔法は使い方次第で、魔女にも聖女にもなれます」
「まじょ」
「はい。殿下はどちらになりたいですか?」
彼の問いに私はすぐには答えられなかった。
魔女か聖女、どう選べばいいのだろうか。私は魔女であった記憶しかない。
聖女がどういうものかわからないのに、比較はできなかった。
「どっちなったら、みんないっしょ?」
私の問いにトリスティンは目を瞬かせる。
「あたち、ずっといっしょ、いい」
「ずっと一緒ですか?」
「ん。おとーたまとかーたまと、おにーたまと……」
私は指折り数える。
もちろん、私の世話をしてくれるメイドや護衛のオーバンも一緒がいい。
いつかは国に帰ってしまうイズールも、できるなら長く元気でここにいてほしい。
トリスティンは目を細めて笑った。
「なるほど。みんなが一緒なら、殿下はどちらでもいいのですね」
「ん」
「なるほど、なるほど」
トリスティンは楽しそうに頷くばかりで答えは教えてくれない。
結局、魔女になるべきなのか聖女になるべきなのかは教えてくれなかった。
代わりに、彼は穏やかな声で言う。
「では、みんなと一緒にいられる魔法を覚えていきましょう」
「ん」
「そのためにも、まずは威力を調整できるようにならないといけませんよ」
トリスティンは地面にできた穴を覗く。
私も一緒になって覗いた。
もしもアランたちがこれを見たら、驚くのではないか。
ここは騎士たちが練習する場所だ。
そこに穴を開けてしまった。罰を与えられるだろうか。
私は頭を抱える。
(これを直す魔法……!)
私が考えを巡らせるいると、トリスティンが明るい声で言った。
「それではこれはないないしましょうね~」
トリスティンが呪文を唱えると、あっさりと地面の穴は消える。
練習場の地面はまるで何事もなかったかのように綺麗だ。
(なんなくやってのける。これが、紫の魔法使いの実力……!)
「わぁ……!」
私は感嘆の声をあげた。
幼い子どものようで少し恥ずかしい。
しかし、トリスティンの誇らしげな顔を見て思い直した。
私はまだ幼い子どもなのだから、大袈裟に驚いても恥じることはないのだと。
「殿下の魔法が雷でよかったです。火球で練習場の壁をボコボコにされていたら、再生するのが大変でしたからね。そうか……! そういう意図があったのですね! さすが殿下は天才でいらっしゃる」
トリスティンは勝手に解釈して、満足そうに頷いた。
彼は私の両脇を抱えると、空高く持ち上げる。
「わわわ!」
「殿下は天才ですねぇ~」
私は両手両足をバタつかせた。
こんな不安定な状態はこわい。
「一国の王女でいるのは勿体ない。どうですか? 私と一緒に魔法を極めませんか?」
「や~!」
思わず私は叫ぶ。
すると、バタンッと大きな音を立てて扉が開く。
「トリスティン! レティを下ろせ!」
扉が開いてすぐ、ルノーの叫び声が響いた。
私と同時にトリスティンが声の方向に顔を向ける。
ルノーが肩で息をしながらトリスティンを睨んでいた。
少し遅れてイズールが現れる。
走ってきたのだろう。イズールは苦しそうに手で胸を押さえていた。
「おやおや、おにーたま殿下にイズー殿下ではありませんか」
「ルノーです!」
ルノーが不服そうに叫ぶ。
トリスティンは「うんうん」と頷きながら、私を抱え直す。
私はホッと安堵の息を吐いた。
あの不安定な場所は苦手だ。
手を離されたら、今の私では大怪我をする。
ルノーの登場に私は心底感謝した。
トリスティンは何を考えているのかわからない。突飛な行動に出るからだ。
トリスティンはルノーとイズールを見て首を傾げる。
「おかしいですね。誰も入れないようにしていたのですが……」
「練習場の扉にはもとから鍵はついていまい」
「ええ、ですから魔法でしっかり戸締まりをしたはずなのですが……」
トリスティンは首を傾げ、ルノーに歩み寄る。そして、彼の頭に触れた。
ルノーは不服そうにトリスティンを睨む。
「ふむ……。なるほど、なるほど。兄妹そろって面白いですね」
「面白いとは、何がですか?」




