得られる報酬①
あの後、結局オレは高橋さんとは会えないまま退院した。
看護師たちに何度か彼女の安否を尋ねたが「一命は取り留めた」程度のことしか教えてもらえなかったのが気がかりだ。
しかし会ったところで何と言えばいいのだろうか。「ケガは大丈夫ですか」か? 「オレがやりました」か?
どちらも彼女をバカにしているようなセリフだ。やはり会わないまま退院したのが一番ベストだったのかもしれない。
とりあえずオレには、行く宛てだけはあった。警察に返してもらった荷物の中に入っていた書類に記された、行ったことも無い現住所のマンションだ。
八割……いや九割がたニセの住所なんだろうけど、それこそ他に行く宛てがない。
電車に乗ろうとしたが、まずカバンからサイフが取り出せない。苦労して取り出せてもコインがつかめない。当然コインを投入口へ入れられないことは、容易に想像がつく。
病院でリハビリを受けたとは言っても、やはり隣に介助してくれる人間がいるといないではこれほど違うものなのか。
仕方なく駅員に言って切符を買ってもらったが、これは早いところ今付けている見た目だけの装飾用義手ではなく、作業用義手か、高価になるが筋肉の電気信号で動かせる筋電電動義手が欲しい。
二〇一一年にアメリカで脳の信号で動かせる義手が出たと医者が言っていたが、日本で認可が降りるのはまだ先のことだろう。
そんなことを考えているうちに降りる駅に着いた。
自動改札へ切符を入れられないため、駅員がいる改札で「挟んであるのを抜いてくれ」と言うと、怪訝な顔をされたがすぐに気づいて抜き取った。これからもこういう苦労が続くんだろう。
目的の住所へ到着したオレは、そこに住所どおりのマンションがあったことに驚くと同時に安堵した。
いや、まだこの程度で安心してはいけない。いくらなんでも警察が調べた書類に架空のマンションはまずいだろう。箱はあっても部屋が無いというオチかもしれない。
入り口は当然オートロックがかかっている。しかし幸いにも管理人がいるようなので管理室を呼び出すと、インターホンの向こうから明るい声が返って来る。
「あっ! 椎葉さんじゃないですか。どうされました?」
はっ? どうしてオレの名前を知っているんだ。いや、ということはオレの部屋があるということか?
「すみません鍵を無くしてしまったんです」
「ああ、すぐに開けますよ」
返事とともに入り口がスッと開く。
「事故に遭ったと聞きましたけど、大丈夫でしたか?」
中へ入ると管理人が心配そうに尋ねて来る。だが、やはりオレはこの男に見覚えは無い。そもそもオレが住んでいたマンションに管理人なんていなかったじゃないか。
「実はその事故で両腕を失いまして、今日退院してきたばかりです。鍵はその時に紛失したようで、警察から返された荷物の中にもありませんでした。
それにちょっと頭を打ったらしく、記憶があいまいだったりします。失礼ですが管理人さんのお名前は何だったでしょうか」
「え……そ、それは大変でしたね。私は谷原と申します」
「ああ! そうだ。谷原さんでした。申し訳ありません」
義手を見せると一瞬絶句して、哀れむような目でオレの手を見た。
「いいえ。何かお手伝い出来ることがあればおっしゃってください」
「ではお言葉に甘えて。まだ一人じゃドアを開けられないんです。入り口まで付いて来ていただけますか?」
「もちろんです。合鍵を持って来ましょう。鍵の複製は私が手配しておきますよ」
「助かります」
谷原さんと一緒にエレベーターを使って部屋番号六〇二号室へ向かう。エレベーターの中で何か言いたそうにしていた彼だが、何も言わずに六階へ到着した。
ドアを開けてくれた谷原さんは、「また困ったことがあったら言ってくれ」と告げて帰って行く。
玄関の中からしてオレの記憶とは違う造りだ。だが、妙な懐かしさがわき上がり、違和感を感じた。
おかしいが、おかしくない。
矛盾した感覚のまま、奥の部屋へ飛びこんだオレは、我が目を疑った。
間違いない。ここはオレの部屋だ。
いいや、それもまた間違いだ。
間取りも広さもオレの記憶とまったく違っているにも関わらず、デスクといいパソコンといい、部屋にあるもののすべてがオレの記憶どおりのものがそこにある。
頭を打ったから記憶が……いや、だったら親や彼女の反応はどう説明するんだ?
パソコンのキーボードの左端に残る、うっかりコーヒーをこぼしてしまった跡を義手でなぞりながら、オレの心臓は早鐘のように鳴り響いていた。




