2人の時間
それからしばらくは狩りは休むことになった。
強い魔獣が現れなくなり、魔獣の数そのものが減り、俺達が頑張らなくても問題ないとなったからだ。
他の狩人でも対処可能で、俺達ばかりが狩りの成果を上げるというのも良いことではなく、しばらくはシェフィの言葉通りゆっくり過ごし、体を休めながら基礎的な部分を鍛え直すことになった。
そういう訳で翌日、今日は一日アーリヒと過ごす日にしようと決めて、アーリヒの希望もあって俺達は村の北部の、谷を見下ろす森へと足を運んでいた。
「……この景色もしばらく見納めですね」
俺の前に立ち、深い谷を見下ろしながらそんな声を上げるアーリヒ。
深く広く、春になったら流れる雪解け水で削られたその谷は、凄まじい大きさとなっている。
一体どれだけの広さがあるのか、谷底に街を作ったら数万人が住める規模になりそうな程で……今は真っ白な雪で覆われているそこも、来週か再来週には雪が溶け大地が露出し、多くの水が流れる大河となることだろう。
そんな景色をアーリヒは、言葉の通り心から惜しんでいるようで……シャミ・ノーマにはこんな風に雪や冬を惜しむ文化がある。
厳寒と言って良いこの地域では寒さも雪も命を奪い兼ねないとても危険なものなのだけども、同時に俺達を様々なものから守ってくれるものでもある。
冬の間は、外に出しておけば大体の食料が凍って長持ちするし、凍らせておくことで生で食べても問題ない肉になったりするし……冬の寒さが防いでくれる害虫や熱病もあったりする。
この辺りのことからシャミ・ノーマの人々は雪には浄化の力があると考えていて……真っ白な雪景色というのは、見ているだけで心が洗われる清浄な光景ということになるようだ。
寒さが厳しい真冬には春が恋しくなるが、春が近付くと冬が惜しくなる。
もちろん春になったらなったで嬉しいことも多いのだけど、それでも惜しむ気持ちが産まれてしまうものだ。
そういう訳で晩冬には花見のような感覚で雪見に来ることがあり……今まさにその雪見をしているという訳だ。
「今年はシェフィ達もいるから、きっと楽しい春になるよ。
虫や病気も全部ではないけどもかなりの範囲で防げるはずだし……俺もアーリヒを支えられるように頑張るよ」
と、俺が言葉を返すとアーリヒはこちらに振り返り、にっこりとした笑みを返してくる。
それからまた谷を見やり、雪景色を楽しみ……俺はそんなアーリヒの後ろ姿を静かに見やる。
今日はシェフィ達もグラディス達もいない二人きり。
静かで柔らかい時間を素直に楽しもうと何も言わず、アーリヒの隣に立とうと足を進めた折、足元の雪がズルリとずれる。
軽く溶けて凍って、雪の塊……板のようになっていたそれが雪崩のような形で滑ったようで、俺の足ごと谷に向かってどんどん滑っていって、すぐにでも跳び上がったら良かったのだろうけど、慌てたせいもあってそれが遅れ、このまま谷に落ちてしまうかと思った瞬間、アーリヒの手が伸びてきて、俺の腕をがっしりと掴み……そして軽々と俺を引っ張り上げる。
「え!?」
思わずそんな声が上がる、凄まじい力でもって引っ張り上げ、振り上げ……そして自分の腕の中に俺をストンと落とし、抱きかかえてみせるアーリヒ。
まさかのお姫様抱っこ、まさかの怪力、一体何が起こっているのかと困惑する俺に、アーリヒが笑いながら言葉を返してくる。
「精霊様の加護のおかげですよ。
自らの仕事に真剣に向かい合い、励み、成果を上げた者に与えられる加護を、私は他の誰よりも得られているようで……いつの間にかこんなことになっていたのです。
力だけでなく目も耳も鼻も良くなりましたし、最近はよく眠れるようにもなって……ありがたいのですけど、自分でも驚かされる時がありますね。
……力が強すぎて制御出来ないということもなく、必要ない時には力を抑えられるので、特に困ることもないのですけど」
「ま、マジかぁ……。
でも言われてみるとたしかに、自分の仕事に一番真剣に向き合っているのも、成果を出しているのもアーリヒで、それに見合う加護が与えられるのも当然のことなのか……。
……しかしこれだけの力があるなら、体力もそれなりにあるんだろうし、アーリヒが狩りに出たら凄いことになるんじゃ……?」
「……確かに?
以前は私も狩りに出ていましたけど、最近はさっぱりでしたから……、うん、試しに今度狩りに行っても良いかもしれませんね。
……ではヴィトー、明日は一緒に狩りにいきませんか? これでも弓の腕は中々のものなんですよ」
「……うん、そうだね、これだけの力があるなら工房で作った弓を用意した方が良いかもだから、コタに帰ったら作っておくよ。
むしろ工房で作った特注品じゃないと、弓を壊してしまいそうだなぁ……まさか俺を軽々持ち上げるとは……」
「うふふ、ヴィトーはまだまだ成長過程で軽いですから……大人になっていたら分からなかったかもしれませんね。
……とりあえずまたさっきのようなことがあったら大変なので移動しましょうか」
と、そう言ってアーリヒは、俺を抱きかかえたまま歩き始める。
え? 下ろしてくれないの? なんてことを思うがアーリヒの柔らかな笑みを見ると何も言えなくなってしまう。
この笑みを曇らせたくはないというか、このままでも困ることはないと言うか……まぁ、うん、しばらくは好きにさせておくとしよう。
こうやってアーリヒと触れ合う機会を得られたということ自体は、俺としても悪い気分でもないし……うん、これも一つのコミュニケーションのはずだ。
そうしてアーリヒは、村へと向かってズンズンと歩いていき……途中村人とすれ違っても全く気にした様子を見せない。
何なら、普通に会話を続けて時にはお互いの顔を寄せ合っての時間を楽しんだりもし……結局村に戻るまでお姫様抱っこは続くことになり、それからしばらくの間、その様子を目撃したユーラとサープからからかわれることになるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回は春の足音やら何やらになる予定です。






