2-11 ヴォーパルバニー その10 セーラー服は疾風に舞う(蒸気抜刀・前2)
対抗オーバードライブ状態に移行したイーゴは電撃的な速度で散弾銃の銃口をヒナに向けた。
水中を這うような猛烈な空気抵抗に逆らっているせいで、外骨格のフレームが軋みを上げている。
その不自由な速度で以て、イーゴは異様な加速倍率を認識し、恐るべき戦闘速度での交戦を予期した。
リーンズィやミラーズから超高速通信で送られてきた信号の通りに加速しているのだが、二十倍に加速した世界は通常の戦闘用スチーム・ヘッドが突入できる世界ではない。
通常は部隊長の許可や生命管制の危機に瀕する状況で無ければ発動さえ不可能だ。
それが可能になっている。
つまり隊長を務めるケルゲレンが許可を出していると言うことである。
緊急事態だった。最適な身体操作を適応しながら状況を確認する。イーゴのオーバードライブ突入までの時間は実に二秒を切る。軍団でも上位に位置するレベルだが、それでもスチーム・ヘッドとの戦闘において先手を取られるのは致命的だ。
錯綜する記憶を最低限整理する。リーンズィが戦闘に突入したこと、ミラーズがオーバードライブで救援に向かい、そしてリーンズィらしき塊と一緒に飛び出してきたこと。
ハンターからの精密砲撃があったことは辛うじて認識している。
しかし、それから何秒経った?
通常知覚領域からオーバードライブへ突入するまでの間には脳内で誤差が生じる。10ミリ秒未満か? それですら長い。
純粋な戦闘用スチーム・ヘッドではないイーゴですら、ほんの10ミリ秒敵に先んじたならば、完封出来る自信がある。
果たして、照準の先には少女が立っている。二階の窓からこちらを見下ろしている。
死人のような、美しい女だった。イーゴの脳裏で幾つかの犯罪現場がフラッシュバックして消える。
やけに派手なレースの下着へと視線が向かいそうになるが、容易く視線誘導されるほど陳腐な脳髄ではない。
斥候を買って出たリーンズィから共有されていた情報が、加速度の安定に伴いようやく人工脳髄で展開され、情報タグとなって生体脳の取得している映像情報に添付されていく。
『仮称:首斬り兎/東アジア経済共同体正規軍 葬兵ヒナ・ツジ』のタグを確認。
撃つべき標的だと即時理解。
ハロウィーン以外では用途が無さそうな海兵風の学生服、大腿部その他の急所を大胆に露出している標的の姿に混乱しつつも、それでも躊躇わず撃とうとする。
目標がオーバードライブに突入しているのは熱量を観れば分かる。
大型蒸気機関兵器がどれほど危険かも知っている。
だが状況がおかしい。
何故敵は動いていない?
何故味方が行動していない?
首斬り兎が身じろぎして、今度は何か脇とカタナを見せつけるようなポーズを取ったままで、停止した。まともに動く兆候が一切無い。
そのせいで視聴覚依存型の敵味方識別装置が、明確に敵だと判断してくれない。
自分の意志でトリガーすることも可能だが、第三者的な立場から情報を選別する装置が沈黙している以上、ケルゲレンらの指示を待った方が無難だ。
『待たれよ、イーゴ』ケルゲレンの超高速通信だ。『どうも奇妙である』
奇妙なのは同意だった。なるほど、確かに首斬り兎なのだろう。だがイーゴの主観では、おおよそまともな戦闘に投入される機体とは認識出来なかった。
カタナ・ホルダーと蒸気噴射孔が一体化した装備は背中から外側へと突き出して明らかに翼の意匠が盛り込まれているが、兵器としての有用性はありそうもない。
抱えているガラクタのような大型装備も、レシプロエンジン時代の戦闘機機首のガワだけ被せたような珍奇さでも彼を困惑させた。もちろん、そんな装備を自慢げに晒し、スカートの内側を隠すこともしていない少女にも。
イーゴの脳裏で幾つかの犯罪現場がフラッシュバックして消える……。
『どうなってる。戦闘は?』
散弾銃の銃口を下げながら問う。
『開始しておる。だがどうも話が通じるらしいのだ。詳しくはリーンズィに聞け』
『リーンズィ、あれが首斬り兎だろう?』と言いながらリーンズィを振り返り、暴行でも受けた後であるかのように半裸を晒している少女の姿に困惑を深める。幾つかの犯罪現場の記憶がフラッシュバックして消える……。『何故服を半分脱いでいる?』
『あれが首斬り兎だ。……あっ、そうだ、あまり見ないでほしい』
リーンズィはさっと体を隠した。
『今更興味は無い。それで?』
『まだ同定は済んでいないが間違いない。服は彼女に脱がされた』
『脱がされた?』イーゴの脳裏で幾つかの犯罪現場がフラッシュバックして消える。視線は足の先から指の痕がついている肌と順繰りに辿り、そして全身の損傷程度を確認した。『まぁいい、何故突っ立っている。撃たなくて良いのか?』
……これ以上の思考盗聴は無駄だ。
もうイーゴは完璧に状況を理解している。
素直に状況についてのデータを転送しながら、リーンズィはチープ・ユイシスの動作試験を終了した。
かなり機能制限されているがハッキング済の機体ならかなり精巧な情報取得が可能なようだ。
イーゴの思考内容まで把握できるが、あまり気持ちが良いものでは無いので、封印することにした。
アルファⅡモナルキアが彼らの人工脳髄にハッキングを施していたのは、リーンズィとしては心外だ。
ミラーズと秘匿回線でこの可能性についてやりとりしていたのはペンギンの動画を再生した後のことである。『みんなで観てくださいね』という添付メッセージがあったため、親睦を深めるという名目でペンギンの動画を各機に転送していたのだが、それがどうもある種のウィルスのように作用したらしい。
バレたら怒られそうなので非常に気まずいことだったが、二十倍速を超えるオーバードライブは通常ならば対応出来ない。
もちろん二十倍程度の世界に突入出来ないスチームヘッドはこの部隊にはいないのだが、たとえ専用機であっても肉体への負荷が尋常ではないため、通常は許可や非常事態の認識が必要になる。
だからケルゲレンに先んじてイーゴとグリーンの人工脳髄をハックしてセーフティを外しておいた。
ケルゲレンにも許可を出したという偽記憶を植え付けている。
稚拙な工作ではあるがこの状況なら怒られないはず、とリーンズィは割り切った。怒られたくない気持ちもかなりある。
もしもハッキングが間に合わなければ、リーンズィは首斬り兎に撃破されて終わっていたかも知れない。
『どうしたものかのう……』
ところがどうしたことか、少女は全く無抵抗だ。
ミラーズを除く誰よりも早くオーバードライブに突入していたケルゲレンが慎重姿勢を見せるのも無理は無い。
彼も迎撃態勢を取っていたのに、状況判断に迷っているのだ。
実際、リーンズィを苛烈な攻めで追い込んだにも関わらず、追い打ちを掛けて来る兆しが無い。
奇妙を通り越して異様である。
イーゴが冷静にヒナ・ツジの身体状況を走査した。
『損傷があるな。腹部に貫通痕。真っ二つになってないなら、ハンターの槍弾じゃない。リーンズィ、交戦はしたんだな?』
『交戦した。しかし私が脱出した後、装備を換装して、それきり無反応になった』
加速した時間感覚の中で完璧に静止していたグリーンが身じろぎをした。通常の二十倍という速度において発生する負荷を確認するために、スパイク状の脚部の踏み場を変え、四本の腕に規定通りのプログラムを流し込んで、稼動状態を確認した。
『遅くなりました。極近距離攻撃専用特化機グリーン、オーバードライブ突入完了です。二十倍の世界はキツいなぁ』
増幅された知覚能力に適応し、ゴーグル状のレンズで、二階からこちらを睥睨している海兵服姿のスチームヘッド――ヒナ・ツジの姿を捉える。
『おや、あれが首斬り兎ですか。全身甲冑の機体だと思っていましたが。可愛い娘じゃないですか。へー、パンツはいてる。なんで? 無意味なのに……。あれこれ、交戦は終わったんですか? 今どういう状況なんです? 腹部の傷の直径からして、リーンズィがハルバードの斧槍で一発当てたのは分かりますが』
『しかしそのリーンズィがもうハルバードを持ってないんじゃが』
リーンズィは破壊された両足の動作を確認しながら頷いた。
『詳細は省くが彼女はハルバードを破壊して自分の腹を刺したのだ』
『は? なんでじゃ』
『腹を刺した後、その残骸で私を貫こうとした。視聴率のために……怖かった』
腰部の蒸気機関のスターターベルトを引きつつ真剣な顔で恐怖体験を告白するリーンズィに、一同はただただ困惑した。
ミラーズだけはよしとし、とリーンズィを慰めた。彼女は高機動装備の蒸気機関を起動済だ。
『何じゃそれは。無線の復号ミスであってほしいぞ。実時間で三〇〇〇ミリ秒も経っておらんのに何でそんなことになるんじゃ』
装備を見せびらかすようなポーズを取っていた海兵服姿のスチームヘッドが、不意に活動を再開した。
ヒナ・ツジは全体域に向かって『全スチームヘッドのオーバードライブ突入を確認。打ち合わせは終わった?』と呼びかけを行った。『皆オーバードライブに入ったよね。それじゃあさ、ここですぐかかって来ないと。テンポ悪いよ。みんな脚本ちゃんと読んでる? 素人なの? テンポは大事だよ。カットで間は何とでもなるけどライブ感が無くなる』
『その、素人で申し訳ない』と焦った様子でリーンズィ。リーンズィは全てを理解していた。怪訝そうにセンサーを向けてくる仲間たちを黙殺しつつ『そういった点は編集でカバーするのでもう少し待って欲しい』と出任せを続けた。
『うーん。でも今回の企画、すごくお金が動いてる。ここはたくさん動かしてチャンネルを捕まえるところ。もしかしてヒナが出るタイミング間違えた……? それとも飛ばしてもらうオモチャ間違えたのかな……』
『そ、そんなことはない。こちらの不手際だ。もう少し待ってほしい。まだ他の出演者が集合していない』
『そうなの。仕方ない。オーバードライブでの撮影なんて滅多に無いし。そういうこともある。もうちょっと待つ。うん。遅れもダメだけど全部台無しになるのはダメ。行方不明の大罪人の手がかりがついに見つかる……これは重要回だよ。だからお互い、プロ意識大事にいこ?』
『継続してのオーバードライブは可能か?』
『ぜんぜん大丈夫。でも早く体動かしたいかな。あなたとの戦闘は刺激的だった。綺麗な顔の子と撮影するとあったまって気持ち良い。もっと優しく可愛がって尺稼ぎしても良かったかも』
『リーンズィよ、あそこの娘っ子は何を言ってるんじゃ?』とクローズ回線でケルゲレン。『本当に首斬り兎なんじゃよな? ファデルから聞いておったエージェント・シィーと見た目も装備もかなり違うが』
『首斬り兎だ。そしてエージェント・シィーではない。その娘、ヒナ・ツジだ。確かシィーと合流するために東アジア経済共同体からロシアのシベリアへ向かう途中だった』
『誰でも良いが、シベリアとはノルウェーと逆方向では無いか?』
『それこそどうでもいいです、ケロ隊長』呆れた様子でグリーン。『とにかく、あの娘が敵ってことでいいんですね。いつ交戦開始ですか? それかもう休戦で話が纏まったとか?』
『現在交戦中だ』
『そうね、交戦中ね』ミラーズが二刀を構えた状態で首肯する。『どれも付け焼き刃、私の技じゃないけれど、一つも通じないというのは中々堪えますね。強敵です』
『じゃあ何でお互い何もしてないんですか。少なくとも、ヒ……ヒツジさんでしたか、あちらに攻撃を中断する理由は無いでしょう』
『今ヒツジって言った?』
武器を見せびらかすようなポーズを取ったままヒナ・ツジが無線通信に割り込んできた。
『それはシーズンが古い。今シーズンのヒナは葬兵ヒナ・ツジ決戦仕様。その名もブランケット・ストレイシープ・エディション』
グリーンは四本の腕に仕込まれた刀身を展開させながら体を撓めた。
『なるほど。低強度の暗号通信とは言え、こうも平然と……普通に無礼ですよ』
『それは、ごめん。でもヒロインの呼び方が決まりと違うと視聴者が混乱する』
『……混乱しているのは我々ですが。どう呼べば良いんですかね。不勉強なもので、教えてもらえませんか』言葉だけは慇懃に、格闘戦闘用スチームヘッドが吐き捨てる。
海兵服姿の少女は屍蝋じみた艶めく肌に感情の火を灯した。
グリーンたちが臨戦態勢に入っているのを横目に姿勢を崩し、周囲を見渡した。
『忘れてた。グリーン? さん? 優秀。ここまで時間掛かったらもうアバン始めるべきだよね』
そして、『カメラあっちの方かな……』と呟いた後、『ちゃらららー! ちゃららららー!』と突然歌い出した。
『何……何ですか?』
『何じゃ? 原初の聖句?!』
『聖句じゃありません』とミラーズ。『ただの歌……鼻歌ですね』
> 攻撃の可否を問う。
ケルゲレンの無声通信に、
> リスクが高すぎる。
リーンズィは淡々と返信する。
『ちゃらららー! でででっ! ぱーぱー、ぱーぱーぱー!』海兵服のあちこちを揺らし、ゆるいダンスまで踊りだした。『ついに東アジア経済共同体の所属員を全て斬殺することで平和をもたらし、愛すべき葬兵たちと刎頸の約束を交して別れた、同志ヒナ・ツジ。その冒険はついに新シーズンへ突入! 戦いの場も一新、大陸編は極寒の地ロシアへ! 彼女に示された新たな戦場。それはこの戦争の黒幕にして世界最大の敵である剣豪・シィーが待ち受けるシベリア! しかしヒナを待ち受けていたのは、無限に連なる不可解な都市だった! 少女達を奴隷のように扱い、獣のように襲いかかってくる悪のスチーム・ヘッドたち! そしてついに現れた悪の組織調停防疫局のエージェント……彼らを倒さなければ大罪人シィーへの手がかりは掴めない! この過酷な北の大地で、ヒナは大義を果たし、悪逆と非道の闇に堕ちた父を正義の刃で裁くことは出来るのか?! 頑張れヒナ・ツジ、負けるなヒナ・ツジ、現在絶賛発売中のブランケット・ストレイシープ・エディション……公募愛称ケットシー! 悪を討ち果たすその日まで! 蒸気抜刀、始まりますっ! ちゃらーらららー、でででー。はいアバン終わり』
加速された時間に、沈黙の帳が降りた。
ケルゲレンたちは、その海兵服姿の少女の妄言を理解するために、懸命に努力した。
一方でライトブラウンの髪の少女は前のボタンを全て外されて裸体を露わにした自分を改めて発見し、少し恥ずかしくなった。以前はどのような感情も生まれなかったのだが、ミラーズやレアと交歓を経た現在では、さすがに感じるものが違う。
突撃聖詠服の胸当て部分に乳房を押し込んでからボタンを留めて、それから先ほどの戦闘で少し乱れてしまっているミラーズの髪を指先で整えた。
両手に不朽結晶連続体のカタナを携えた金色の髪をした少女はくすぐったそうにそれを受け入れ、ありがとうございます、リーンズィと囁いた。
それだけのことする時間があっても、一行は理解に苦しんでいる様子だった。
リーンズィは少し姿勢を低くしてヒナ・ツジのスカートの下を観察し、「ぱんつ……ぱんつ穿いてると何か違う……? オシャレなのか……?」とやや現実逃避めいた思考を巡らせた。
『……何ですか? 今の何なんですか?』
これは考えるだけ無駄だという結論に辿り着いたらしいグリーンが硬直から解放され、焦った様子で一行を見渡した。
『そういうことらしい』と真顔でリーンズィ。
『どういうことですか。ケロ隊長、どうすればいいんですか』
『あ、ああ……なんか子供番組みたいじゃったの。子供向けにしては服装が色っぽすぎんか?』
ヒナ・ツジが素早く返答する。
『東アジア経済共同体の倫理規定ではちゃんと合法。でもこのショーツには異議が出たときもあった。でも12歳未満向けの番組では下着が映ってるカットは編集されるから卑猥が無い。露出したままだとさすがに撮影出来ないしぱんつは必須』
『勘弁してくださいよ、アニメじゃ無いんですよ』
『そう、アニメじゃない。CGも無い。ヒナたちの華麗な真剣バトルが大人気』
『そういうもの。なるほど』リーンズィは「そういうもの、なるほど」と思った。『アニメでは無いのだな』アニメでは無いのだな、思った。
『はっ……!』特に表情を変えること無く、しかし焦った様子でヒナ。『もちろんアニメやCGが劣ると言ってるのではないよ。アニメも特撮も最高。ヒナはずっとそういうの病院のベッドで観てた。魂で理解してる。でもヒナ……ケットシーたちも、アニメに負けない。そういうこと』
『そういうものなのだな。とにかくケットシーと呼ぶのが良いのだな。謝罪する、私たちは台本をもらっていないので分からなかった、ケットシー』
リーンズィはもう真面目に考えるのをやめていたがそれだけは辛うじて理解した。
ヒナ・ツジではなくケットシーと呼ぶのが正しい、という情報をケルゲレンたちに転送する。
『そう。ヒナはケットシー。リーンズィさんはプロ。さすが調停防疫局側の女優。台本がないのはきっとヒナたちの不手際。さっきはテレビの人じゃ無いって言ってたけどその敏腕マネージャーみたいな感じが真の姿? ヒナには分かる』
『分かるのだな』だなー、と思った。
『あれはやっぱり顔合わせ? それともインタビュー的な。うん。とにかく今のヒナはケットシー。今後の撮影ではケットシーと呼んで。でも日常パートは別。シンデレラタイム向け特番では本名呼びもOK。本名の方が盛り上がるし。そういうの抵抗ある? レギュラーになるんでしょ? そういうのを撮影することもあると思うけど。いい絵になると思う』
『様々な番組があるのだな。でも鉄棒を腹に刺そうとするのはやめてほしい』
『あれは過激すぎたかも知れない。反省する』
オーバードライブ発動中だというのに、酷く間の抜けた会話が続いた。
4000ミリ秒は経過しただろうか、とリーンズィは目算する。
『これ戦う必要あるのかの……』とケルゲレン。『確認はしておこうか。ケットシーとやら、何故我々クヌーズオーエ解放軍に襲撃を行う。我々がクヌーズオーエ解放軍という組織なのは認識しておるか?』
『怪人ペンギン男はクヌーズオーエ解放軍のスチームヘッド。そういう設定なんだ。覚えた』
『いや怪人て……。何と戦っておるのかも分かっておらんかったと見える。問答無用で破壊しに来ているわけではあるまい、話し合う余地がありそうだが。こちらもなし崩し的に敵対しておる程度じゃし』
『余地なんて無いよ』と即座に返答があった。『スチームヘッドは全て殺す。それがヒナたち葬兵の使命。スチームヘッドは一機残らず殺すの。ヒナたちは皆の安心を守るヒーロー。マガツ・モノノケは全部倒す。でも一番厄介なのはスチーム・ヘッドのマガツ・モノノケ。狂いながら永久に戦い続けないといけない。だからスチーム・ヘッドは全部そうなる前に楽にするの。それにスチーム・ヘッドは強いからかっこよく殺せばテレビの前の人たちは皆夢中になる。みんな喜んでお金も沢山使う。経済が回れば暮らしが豊かになる。ヒナたちにもスポンサーが新しい玩具を売るために新しい武器をくれる。良いことしか無いしヒナはヒロインだから。だからスチームヘッドを殺す』
『その割には……』ケルゲレンはやや口ごもった。『こうして対話ができているではないか』
できてるんですかね、とグリーンが曖昧な口調で呟く。
『テレビは事前の打ち合わせが一〇割。今は打ち合わせだからまだアクションはしない。あと相手があんまりやる気無い感じなのに襲ったりすると視聴者からクレーム出る。スチームヘッドとマガツ・モノノケ以外を殺すと特にクレームが凄い。感染疑いの人間の収容所を葬兵で襲撃した時なんて酷かった。違法サイトに動画がアップロードされて、たくさん低評価が付いてしょんぼりした』
『待って欲しい。感染の疑いがあるだけの、人間を殺した?』
リーンズィは手甲の両手を握り込み、拳闘の構えを定める。
『WHOの外局としては看過できない発言だ。君たちが非難されるのは、道理というもの。殺す必要などない。感染者はまず安静な状態で保護し、状態の経過を観察するべき』
『でも感染疑いが何十万人もいるならどうしようもない』
不死病は、罹患者が死亡するまでは、そうであると決定的な診断を下せない病である。
特異な症状である不死性――いかなる損傷や環境の変化にも適応する能力も、デッドカウントが始まる以前の段階では発現しない。
本格的に発症しても意識が完全に消失するまでは時間がある。
不死病なのか、不死病でないのかは、相応の設備と時間がなければ鑑別不可能だ。数万、数十万の感染疑い例を処理するなど、困難を極める。
そして感染疑いと感染者の扱いは、いかなる組織においても大きく異なる。
少なくとも前者の生命は尊重しなければらならず、後者は悪性変異を起こさない程度であればどのような扱いも許容される。
一つの文明圏を与る組織では、当然早急に鑑別を終了させなければ無制限にコストが膨れあがる。
なるほど、感染疑いの人間を虐殺するというのは、理に適った判別法である。蘇れば不死病、そうでないなら不死病では無かったと言うことだ。
残るのは不死病患者だけであり、単なる同一症状患者は死んで終わる。
しかし、それでも超えてはいけない一線というものが存在する。
『合理性は否定しない。だが個人の尊厳を無視した合理性は、肯定されるべきではない。君たちはそれを拒否するべきだった』
『うん、ヒナたちもおかしいって気付いてた』声音は真面目なものだった。『葬兵はマガツ・モノノケになって苦しんでる人たちを救うヒーロー。まだヨミガエリでもないヒトを斬るのは間違い』
『ならば何故』
『想像して。収容所では四人用の部屋に二十人も押し込まれていて、どこもかしこも酷い匂い。大小糞尿、嘔吐物、出血で水浸し。食べ物もないから皆それを啜っていた。そんなふうな扱い。みんなまだ死んでないのに殺してくれって言うの。ヒナたちもこれならヨミガエリになった方が楽だと思った』
『それでも……』リーンズィは逡巡した。『それでも殺すべきでは無かった』
『あなたは正しい。だから、新しいシーズンだなって分かったの。戦う敵が代わったんだなって。ヒナたちは騙されたわけ。だからちゃんと次の敵を探して、黒幕っぽいプロデューサーを殺した。テレビ局の皆の次は、経済共同体のエライ人たち。健康労働省とか環境衛生省とか……ふふ。ヒーローってそういうもの。弱きを助け強きを殺す。その後弱きも殺す。みんな殺して平和にした。悪を倒したの。そうするとみんな喜んでヒナはヒーローになれる。ふふ。みんなキラキラした目でヒナを見ていたよ。ケットシーが来てくれたって喜んでくれた』
ケルゲレンも、グリーンも、無線越しに戦慄した様子だった。
リーンズィも繋げるべき言葉を見失った。
それぞれの属していた歴史において東アジア経済共同体が存在したのか、そしてどうなったのか、互いに理解してはいない。あるいは、ある分岐においては、未だアジアの諸国は連帯しておらず、異なる組織として活動していたのかも知れない。
どうであれ、ケットシーを名乗るその少女の発言が意味するところは、たった一つだ。
『東アジア経済共同体は、どうなったのだ?』
『最終回になった』
少女は身じろぎ一つせず応えた。
『今は知らないけど。また違う誰かが住んでるのかも。ずっと前だし。でも苦痛に悶えて、辛くて悲しくて、それでマガツ・モノノケになるようなことはもう無くなった。ヒナたちが頑張ったから。残らずヨミガエリになるまで、一生懸命感染させて、それから殺して、殺して、殺して、殺したの。ふふ。一日何人斬ったっけ。すごかった……連日連夜、ゴールデンタイム以外もずっとテレビに映ってた……』
リーンズィは動揺することなく正確に思考を紡ごうとした。
東アジア経済共同体は滅亡しているのだ。
滅亡させられた。
彼女たちの歴史において、まさに彼女たち自身が崩壊させたのだ。
葬兵という組織の実態は不明だが、おそらくは戦闘用スチームヘッドの集団だろう。彼女らの主導でクーデターが勃発し、それが際限なく拡大したのだ。そして経済共同体を覆った戦乱は、最後の一人を殺してヨミガエリ、不死病患者に変えるまで続いた。
グリーンもすぐに思考を切り替えたらしく、交渉を再開した。
『ケットシーさん。どうにかその撮影とやらを止めてもらうことはできませんかね。我々解放軍の間では、あなたには破壊命令が出ている。いざとなったら我々はあなたを壊してでも止めないと行けないわけです。でもそれは本意ではない。生き残りのスチーム・ヘッドは協調すべきです。仰ることも分かりますよ。可能なら全て機能停止させるべきでしょう。しかしまだ先で良くないですか。仕事は山ほど在るんだ。ここはね、平和な形でことを納めたいのですが……』
『それはもっとすごい敵とか悪がいて、そっちとみんなで戦ったほうが取れ高が高いとか? でもここは怨敵シィーの情報をゲットする場面だし、あんまり葛藤とか無くお父さんと同じ調停病疫局の人と活動するのダメだと思う』
> どうするんじゃ? やはりやる気のようじゃが。
とケルゲレンからの無声通信。
> いちおう調停防疫局の見解を重視して時間稼ぎはした。しかし娘っ子じゃろ、援軍を待たずとも全機で飛びかかれば止められるのでは無いか?
> いけません、ケロ様。もう少し堪えてください。
これはミラーズからの忠言だ。
> 敵わんとは思わんのだがなぁ。
> もう少し待って欲しい。何故なら……
ついに5000ミリ秒が経過した。
> 彼女には、現状、何をしても無意味だ。
ケルゲレンだけには、全てを伝えていた。
リーンズィには本気でヒナ・ツジ、ケットシーを説得できるとは考えていなかった。住んでいる世界、観ている光景が丸きり違うというのが対面で会話した彼女には理解出来ていた。まともな理屈で行動していない以上、ケットシーはその独自の思考ロジックでしか活動しない。
あくまでもケットシーとの会話を長引かせたのは、解放軍の機体が集結するまでの時間を稼ぐためだ。
そして、ついにその時が来た。
『こちら警邏二番分隊! 警邏一番分隊、無事かぁ?!』
『三番分隊目標地点まであと50ミリ秒!』
『四番分隊目標地点を視認! 持ちこたえろ! あれ、戦闘してないのか?!』
近隣区画を捜索していた分隊がようやくオーバードライブ状態で接近してきた。
道路の彼方に駆けてくる影が無数に見える。五機のスチームヘッド、一機のパペット。ジャミングのせいで無線が安定しないが二番分隊だろう。
『あっ、この人たちを待っていたのね。沢山いたほうが絵になる。リーンズィさんは慧眼』と納得した様子でケットシー。『それじゃあ戦闘BGMスタートするね』
リーンズィたちの脳内にアジアンテイストを取り込んだメタル調の音楽が響き始めた。
『うわ、何か聞こえ始めましたけど……これ何なんです? もうお互いごめんなさいで手打ちにしませんか隊長』
『説明するね。音楽が聞こえたらヒナが戦う合図』ケットシーが戦闘機の機種に似た奇妙な器具を構えた。当然のように不朽結晶連続体だ。『あなたたちももう殺して良い?』
『実は私たちは少し手順を間違えて到着した、本当はもっと後から来るグループなのだ』
『リーンズィ?』とケルゲレン。『援軍もいる、戦闘を始めても……』
> 戦闘を確認してから意見を求める。
『アアアアアアアアアアララライ!!!』
無意味な雄叫びを上げながらロングソード型不朽結晶武器を構えたスチームヘッドの一団がアスファルトを踏み砕き白煙を上げながら突貫してきた。いずれも二〇倍のオーバードライブに問題なく対応している高性能機だ。
『ああ? なんだあの美人は! 変な服のレーゲント……じゃない、そいつが首斬り兎かぁ?! 何ぼやぼやしてる、さっさと斬れよ一番隊!』
『停戦交渉中なんですよ』とグリーン。『そこから見て分かりませんか?』
『交渉ぉ? そんなもん手足切り離して、胴体串刺しにしてからでも遅くないだろうがよぉ! 日和ってんじゃねえぞ! 行くぞォー!! ああ?! 何か変なBGM聞こえる、何だこれ!?』
『ですよねぇ。至極真っ当なこと言われてますけど、どうします?』
『まぁ黙って見ておれ』
ケルゲレンが翼型装甲板の手で制する。
『見極める必要がある、彼女がどれほどの機体かを』
『JFスライマンの一番槍だぁー! このガキ、股ぐらから頭までぶち抜いて……』
雄叫びを上げてスチームヘッドの一機が飛びかかった瞬間。
『――蒸気抜刀・疾風』
停滞した時間の中で、廃屋の窓辺が爆裂した。
くすんだ灰と透き通った蒸気。それらの入り交じった斑のメイルストロムが冬空に迷い出た入道雲のように膨らんでいる。
断崖に打ち寄せる波濤の如く荒れ狂い、硝子の抜け落ちた朽ちた枠にぶつかり砕け散る蒸気の奔流はしかし、溢れかえる時間の隙間を見つけることが出来ず、その場で凍り付く。
もはやケットシーの姿は無い。
その行き先を示すように、飛び立った蒸気の軌跡が一つ。
『目標ロスト!』
『どこですか?!』
『さらに加速したと言うのか?!』
ヴァローナの瞳が俄に赤い光を帯びる。
辛うじて行動の軌跡を捉えていたリーンズィが慄然として呟く。
『やはり私たちでは、本気を出した彼女の相手にはならない』
一拍遅れて、ケルゲレンたちのレンズが追う。
ケットシーはまさしく空中にいた。
黒色のスカートを戦装束の腰布としてはためかせて、駆ける仕草で空中を貫いている。そこに奇矯さや異質さの色合いは無い。跳躍したまましなやかに伸ばされた脚の病的な白さ。内側で張り詰めた血と肉がかすかに肌を赤らめている。
完璧な一撃を成し遂げた戦士の姿がそこにある。
神速であった。戦闘機の機首に似た器具、おそらくは不朽結晶製の衝角や突撃槍と思しき武器で、突撃してきたスチームヘッドを逆に真正面から打ち砕いていた。片手にはカタナ。装甲ごと心臓を圧壊されたスチームヘッドは呻き声一つ上げない。交錯を認識する間もなく首を切断されているからだ。
リーンズィたちにはそれを抜き放った瞬間すら視認できなかった。
『――蒸気抜刀・地対空彗星之太刀』
無感動な声が無線回線から響いてくる。
後続のスチームヘッドたちが驚愕の声を上げた。
『JFスライマンが撃墜された?!』
『撃墜って言ったって……いつだ?! 誰か観測出来たやつは?!』
『こちらカドリド・ゲッツ』大型の槌と八連装の機関銃を装備したスチーム・パペットがやや遅れて追走してくる。『高熱源体の移動を確認。最低でも三十倍のオーバードライブだ』
『パペットのセンサーで捉えられる限界を超えてるのか! しかし怯むな、あんなわけ分からん機動が何回も出来てたまるか。このまま五機で突っ込んでぶっ潰』
棺桶を閉じる釘の如くそれは真っ直ぐに飛来した。
先頭を走行していたスチーム・ヘッドは正確に心臓部を撃ち抜かれて背負っている蒸気機関ごと地面に縫い止められ、次弾で頸を吹き飛ばされた。
『――蒸気抜刀・電磁抜刀侍銃之太刀』
戦闘機の機首に似た兵器――不朽結晶衝角の前方が開き、紫電が迸っている。
『隊長がやられた!』
『電磁加速砲か!?』
『砲じゃないもん。これはカタナブレードツルギ電磁抜刀装置』
無線を傍受して心外そうな声音でケットシー。
『市街地での発砲は違法。ヒナは抜刀してるだけ』
結晶衝角からは次々に弾丸が射出される。
『でも速すぎてキャッチできず、偶然敵に当たる。葬兵はみんなのヒーローだから法律を守るの』
『……それは銃とどう違うんだ?!』
『だいたいさっき侍銃って言ってただろ?! なんだこいつ?!』
当然の困惑を訴えながら回避行動を取ろうとした一機の顎を、首ごと次の杭が引き裂いた。リーンズィの瞳は捉えている。
それは杭ではなく、確かにカタナである。
不朽結晶衝角に内蔵された加速装置から、嘘偽り無く不朽結晶のカタナを打ち出しているのだ。
『散開っ、散開しろ! 高純度不朽結晶弾だ! 装甲が役に立たん!』
『なんでこんなもんバカスカ撃てるんだ?!』
『撃ち返せ! 相手はコスプレ同然の非装甲だ、当たればどんな弾でもダメージになる!』
しかし解放軍側のスチームヘッドの弾丸は全て衝角で押し潰されたままの友軍機に阻まれ、貫通しても衝角を破壊出来ない。城壁と戦艦の装甲を胸に抱えているようなものだ。
一方のケットシーの手元、結晶衝角の先端で紫電が迸るたび、電磁加速されたカタナが発射され、精密に敵を射貫いていく。
ただし、解放軍側も既に状況に対応しつつあり、心臓部や蒸気機関、頸部ではなく腕や足でカタナ弾を反らし、受け止めるようになっていた。
『くっそ、近付こうとしたらこれ、理科室の標本にされちまうぞ! 一番隊、どうにかしてくれ!』
ケルゲレンは既に簡易蒸気噴射装置を利用して飛翔準備に入っていた。
『見ておられん! グリーン、イーゴ、手筈通り援護を……』
『あ、そっちのテレビの人が一番隊なんだ』
振り返ることも無くケットシー。
『無視するのも悪いから攻撃するね。やっぱり活躍したいでしょ? 上手によけてね。蒸気抜刀・黒羽五月雨之太刀』
レシプロ戦闘機の尾翼めいた形状の蒸気機関の装甲が開き、蒸気によって加速された無数の針状不朽結晶連続体が放出された。
さほど破壊力のあるものではなかったが、万が一蒸気機関に巻き込めば内部構造が破壊される。
ケルゲレンは危ういところでこの致死性の槍の雨を回避。
カバーしきれない分はオーバードライブ加速度を上昇させたイーゴが最前列に踊り出て装甲板で受け止めた。
断裂した身体組織から血を零しつつ、針鼠のような有様に成りながらも散弾銃で応戦する。
もっとも、電磁加速されていない散弾の飛翔速度など、この空間ではシャボン玉にも等しい。
空中のケットシーに到達する頃には彼女はもうそこにいないだろう。
ただ散弾を空中に撒いただけだ。
だが、イーゴとしてはそれで良かった。
『磁界誘導弾の散布を開始する!』イーゴは構わず出鱈目な方向に散弾を撃ち始めた。『残念だが二番隊には期待できない、俺たちが止めるぞ!』
『こちらグリーン、ケルビム・スピア起動準備よし! いつでもいけるよ!』
『タイミングを見失うな、ワシが囮になる! チャンスは一度きりじゃ!』
リーンズィは趨勢をじっと見守っている。
視線を手元に落とす。
頑強だった手甲は、ケットシーとの打ち合いで相当に痛めつけられている。
あとどれだけ持つだろうか。
ミラーズがカタナの一本をホルダーに仕舞い、リーンズィを見上げながらぎゅっとその手を握った。
同じことを考えているのだと本質的な思考回路を共有するリーンズィには分かる。
アルファⅡモナルキアが判断を誤れば、仲間が破壊される。
二番隊の決死行は最終局面に達していた。
『カドリド・ゲッツ、先行してくれ! すまないがお前を盾にして接近する!』
スチーム・ヘッドの一機がパペットの背後に回り、跨乗用の取っ手を掴んだ。
『カドリド・ゲッツ了解した。俺の装甲、役立ててくれ。全力前進!』
ゆっくりと落下しつつ空中に浮遊しているケットシーの反応は淡々としたものだ。全てが予定調和と言った様子だった。
『機関大太刀ネネキリマル、オーバードライブ。チャンバー内最大電力到達――蒸気抜刀・メッサーシュミット之太刀』
結晶衝角の正面装甲表面から、一際大きな閃光が吐き出された。
刻々次第に変化する七色の光が視界を焼いた。
視界が回復した頃には、永遠の冬の街を極大の光芒が貫いて空間を焼灼した痕跡だけが残されていた。
リーンズィの目が非感覚的に捉えられたのは、太刀と呼ぶに相応しい大型質量物体が衝角から射出された事実だけだ。
勇猛な突撃を敢行しようとしたカドリド・ゲッツと名付けられたパペットは、3m近い装甲厚の胴体部を呆気なく撃ち抜かれ、生体CPUごと主要機関を破壊されていた。
神話の古戦場に打ち捨てられた巨人の遺骸の如く内部機構を晒したまま直立して機能停止している。
人格記録媒体は無事だろうが、もう自力では一歩も動けまい。
『カドリド……! しかし、これで隙が出来た! 今の大技でバッテリーは枯渇したと見る!』
生き残った二番隊のスチーム・ヘッドは二機で連携しながら最後の突貫を試みた。
電磁加速銃を乱射しながら不朽結晶剣を振りかざし、ケットシーへ、ついに接近を果たした。
『どんな事情があるのか分からんがバラしてから聞かせてもらう!』
『そう。ネネキリマル、パージ』
ケットシーはあっさりとその機関兵器を放棄した。一刀が達するかと見えた瞬間に、残された翼状のカタナホルダー、その蒸気噴射孔を用いて空中で姿勢を制御。
ひらりと宙を舞うと同時に最接近スチーム・ヘッドの両手足と頭部を切断した。
隼もかくやという空中での姿勢制御は絶技である。
人間は生身で空を飛ぶようには出来ていない。
天空は支配者の領域であり、余人の縋る余地など存在しない。
死角から近寄ろうとしていた一機は、ネネキリマルにセットされていた時限式抜刀プログラムによって放たれたカタナ投擲で首を刎ねられて機能停止した。
圧倒的であった。それを戦闘と呼んで良いのかすらリーンズィたちには分からなかった。演舞とでも言った方がまだ適切だった。
不朽結晶連続体で装備を固めた兵士がこの加速された時間、数秒にも満たない時間で襤褸切れのごとく引き裂かれた。
だが感傷などケルゲレンには無い。
少なくとも大型兵器は使い果たした。
二番隊の戦果だ。ただのカタナしか持っていない今が好機だった。
フレームだけの翼を広げて蒸気噴射で可憐に降下してくる海兵服姿の少女、ケットシーに向かって加速しようとして、生物的な直感によって死を悟った。
『蒸気抜刀・疾風』
声がした。目の前に、ケットシーがいない。レンズが向いている方向に存在していない。捉えられるのは蒸気噴射の軌跡だけ。背面を捉えられている。
不可知の領域を移動して訪れた舞い踊る刃は、まさしく頸を刎ね飛ばそうとしており――
『させないっ!』
ライトブラウンの髪の少女が、握り締めた手甲の拳でその刃の軌跡を逸らした。
無論、学生服の少女はそれを許さない。スカートをマタドールのようにはためかせて二の太刀、三の太刀を繰り出すがリーンズィはこれらを全て迎撃した。
ケットシーはくるりと反転してカタナを背後に隠し、死人の美貌に、心を乱すような、心臓を揉みし抱くような、愛らしくも華やいだ笑みを見せた。
『すごいすごい! ヒナの疾風が見えるんだ!』
『視力は過去未来について2.0なのでとても見える』
『ぬおおおお!?』我に返ったケルゲレンが悲鳴を上げながらバックステップで距離を空ける。『なんじゃ?! また加速しおったのか!』
『三人とも下がっていてください』とカタナを構えるミラーズ。ケルゲレンたちを守るようにして前身し、それから思い出したように『これ、頭の帽子を預かってくださいますか?』とグリーンに頼み、『ここは調停防疫局が引き受けます』
『それは構わんが……何をする気じゃ?』
『猶予を作ります。切る札があるなら準備を』
『ねぇリーンズィさん。いつヒナの疾風を見切ったの? もしかして台本通り? そういう訓練してた?』
『初めて君と切り結んだときのことを考えていた。私は君と同時にオーバードライブを発動した。それなのに、君に完全に先手を取られた。私の計測した値よりも上位のオーバードライブを起動していたのだ。それは何故なのか。どうすればそんなことが可能なのか』
『さっきの急加速のカラクリですか』とグリーン。『あれは何なんですか? たぶん五十倍か六十倍は速度が出てましたよ』
『君は……オーバードライブが出来るのだな?』
『うん。そうみたい』ヒナは嬉しそうにくるくると回り、無意味な剣舞を始めた。『試したこと無かったけど、死んだら出来た』
『ま、待て……どういうことじゃ。オーバードライブが出来るのは見れば分かるが』
『機械に頼っている我々とは違う。彼女はおそらく、生前から引き継いだスキルとしてオーバードライブが使える』拳の位置をボクサースタイルで固定しながらリーンズィが憶測を述べる。『蒸気機関やメカニズムによらない、人間のオーバードライブだ』
単純な話だ。生身の人間に超高速移動のための才能があるだろうか?
生命を顧みない限界駆動のイメージを育む余地があるだろうか?
通常はあり得ない。あったとしても使いようが無い。
人間は空想の中でしかそんな動きは出来ない。
不死ならざる身で実行すれば死ぬだろう。
だがシィーの娘、あの剣士シィーすらも上回る才能の持ち主であると言うケットシーには、生きていた頃からそれがあったのだ。
その自殺願望に等しい破壊的抗戦機動の才覚が。
どうすればそんなものが生きた人間に芽生えるのか、リーンズィには当然理解不能だ。しかしいつか不死身の肉体を得た時、凡俗のスチームヘッドでは知覚することさえ出来ない領域で疾駆するための歯車は、確かに仕組まれていた。
『ケルゲレン、しばらくは私たちが凌ぐ。大丈夫、勘所は掴んだ、ヴァローナの瞳で撃ち落とす』
『いつまで可能じゃ?』
『……無理になるまで』
『良い性格しとるのう! すまんが任せるぞ』
『一騎打ちのイベント、ヒナは好き。ちょっとだけ本気でやろっか? こういうの視聴者は喜ぶし。リーンズィさんは武器は要らないの?』
『不要だ。こちらからは当たらない。君の間合いでなら拳の方が速い。あとまたああいうことされるの厭だ』
『もうしないよ。本当にごめんなさい。たれ込みだけはやめてね』
何の前触れも無く人知を越えた速度での剣戟が始まった。
カタナの刃が翻り光を弾いて空を裂き手を足を頸を狙って振り下ろされる。
それを手甲の拳で全て捌ききる。
ケットシーの刃先の速度は、リーンズィの認知能力の限界を超えている。視覚で捉えることさえ不可能だ。
だがヴァローナの瞳の超常の感覚は確かにそれを見ることが出来る。未来予知じみた力で、ケットシーの斬り込んでくる場所を過去から観測し、刃先が立たないように拳を置いて、精密にその刃を逸らす。
初回の先頭で後れを取ったのは、相手のメカニズムが全く分からなかったからだ。
確かに機械的には二十倍程度のオーバードライブに留まっている。だが時折彼女自身の不死の肉体の操縦技能として発現する数十倍加速のオーバードライブは、来ると分かっていないと、ヴァローナの瞳でも観ることさえ出来ない。
だが、今は違う。観るべき時間、観るべき事象さえ理解可能なら、充分に弾ける。
問題は簡易型の首輪型人工脳髄では限界があるということだ。
あと数十合の斬り合いを凌ぎきれないという未来が既にリーンズィには見えていた。
> 蒸気抜刀・刹那五月雨之太刀です。
チープ・ユイシスのサジェストには覚えがある。徐々に加速していく剣の閃き。
これが最終的にどれほどの速度になるのか、リーンズィは予測するのをやめた。
絶望するための予想に価値は無い。
『あはっ。楽しい、楽しいね、リーンズィさん。リーンズィさんって呼んで良いよね。これってすごいことだよ。ヒナの乱舞に付き合ってくれる人なんて久しぶり! トップの女優さんなんだよね。手足を切り落した後は、今度こそ優しく可愛がってあげる。痛くはしないから。視聴者の皆もラブラブなところが観たいに決まってるし。次のレギュラーはあなたに決まりだよ。二人で一杯殺したり殺されたりしよう! 寝返る敵の幹部は王道だよ。きっと人気が出る! 二人で新しいシーズンのスターになろっ!』
狂っている。狂っているがその願いは無垢だ。
きっと多くの地獄を見たのだろう。
感傷も反感も覚える余裕が無い。刃の軌跡を視認することさえ無く、限界を超えた速度で迎撃し続ける。
リーンズィにはだから、もはや祈ることしか出来ない。
ヴァローナの瞳にも限界はある。この超常の眼球は永久に使える武器では無い。
不規則に発動する肉体のオーバードライブに対抗するにはこちらも加速度を高めざるを得ない。そうなれば、バッテリーの電力残量は当然に磨り減っていく。
じきにどちらかが破綻して、リーンズィは全身を刻まれて地面にばらまかれる。
これは無数の剣閃の中に希望を見出して信じるための戦い。
勝利する未来がリーンズィには見えない。
奇妙なほど平静な意識で、リーンズィはしかし釈然としない感情を抱いていた。
それは全く愉快で無く、出来れば避けたく、あまり考えたくない手段だが。
しかしそれしか無いように思える。
――あるいは、無制限のオーバードライブが可能な、アルファⅡモナルキア・ヴォイドならば?




